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りょうさいのブログ一覧

2011年05月10日 イイね!

信州真田の陣 其の参 尾引城(横尾城)

信州真田の陣 其の参 尾引城(横尾城)朝一番に、此の日最大の大物砥石城を攻略したので、後は散歩みたいなモンです。

県道45号線を真田市街から松代方面へ向かうと、右手にこんもりした山が見えて来ます。

此の山が尾引城で、県道沿いに信綱寺の案内標識があるので、其処を右折。

すぐに尾引城への案内板がありますが、駐車場がないので路上駐車になります。

旧真田町内の城郭は、非常に整備されていて、案内板も設置されてますので、今回紹介する城の名前は、案内板に準じて書かせてもらいます。

此の尾引城も、一寸前の本なんかでは横尾城と書かれてますね。

尾引城
築城時期は不明だが、此の地方の豪族横尾氏の居城と伝えられる。
戦国時代、横尾氏は村上氏に従ったが、天文17年(1548)の上田原の戦いで、横尾釆女守は戦死し、一族は上州へと落ちて行った。
其の後は、真田氏の支城となったと云う。

い 段郭

現在の登山道(と云うほど険しいモンではないですが)は、大手道にあたり、幾つもの段郭をジグザグに登って行く事になります。
下の方は、畑になっているので、実際何処からが城内かよく分かりません。

ろ 石積み

段郭の上の方には、石積みも確認出来ますが、もう草で隠れて来てます。
夏には見えなくなっちゃうんじゃないかなあ。

は 主郭

主郭に建つのは、秋葉神社。
旧真田町の城郭の主郭には、城の説明と其処から見える他の城郭の配置図があるのが、素晴らしい。

に 土塁

主郭の背後には土塁があります。
石積みがありますが、遺構なのか神社が造られた時のモノなのか。
今回廻った他の真田氏の城郭の土塁にも、同様の石積みによる補強が見られるので、僕としては遺構と考えますね。

ほ 虎口

主郭西の凹みは、虎口になります。

へ 三重堀切

此れが尾引城最大の見所、三重堀切(案内板では二重堀切)。
良いですね〜(^_^)


北から見るとこんな感じ。
此の後は、自然地形を利用した尾根を歩く事になり、途中堀切がひとつあります。

と 副郭

副郭を北から見た所。
北面には土塁があり、其の下に堀切がありますが、だいぶ埋まってしまってます。

所有時間は、40分ほどでした。

参考文献:信州の山城、真田町の遺跡、現地案内板

本日は此れ切り。
Posted at 2011/05/10 22:11:48 | コメント(3) | トラックバック(0) | 信州真田の陣 | 旅行/地域
2011年05月08日 イイね!

信州真田の陣 其の弐 砥石城・米山城 後編

信州真田の陣 其の弐 砥石城・米山城 後編砥石城は、あまりにも「砥石崩れ」として有名ですが、其の後も歴史の舞台から消える事無く存在してました。

真田昌幸が上田城築城するまでの、「真田氏の本城」と云う肩書きの城は、今回訪れた中で幾つもありました。

此の砥石城は内小屋まで巡ってみると、小さいながらも城下町の雰囲気があり、此処が本城として使われた意図がはっきりと感じられましたね。

上田城が築かれた後も、重要な支城として存在し、天正13年(1585)の第一次上田合戦(神川合戦)では、真田信幸が此処を拠点として、出撃しました。

慶長5年(1600)の第二次上田合戦では、西軍についた真田信繁(幸村)が守ってましたが、東軍についた信幸と真田同士の争いになる事を嫌い、開城してます。

る 堀切

本城の背後の堀切。

を 本城 本曲輪

砥石城の中心部である本城の、更に中心となる本曲輪。
山城にしては結構な広さがあり、案内板にも書いてありましたが、居館があってもおかしくないですね。

わ 土塁

本曲輪北端部の土塁があり、直下の堀切との高低差を稼いでます。
真田の城は、こんな感じで本曲輪の背後に土塁を置いて、其の下に堀切で尾根を切ると云うが、多かったですね。

か 石積み其の壱

本曲輪の虎口付近には、石積みがありました。
一寸崩れて来てますね。
 
よ 大手口馬場

本城の大手口は、馬場として十分な広さがあります。
背後は、本曲輪にかけて何段もの段曲輪が形成されてます。

た 切岸と堀切

本城から砥石城にかけての尾根は緩やかですが、切岸による急崖と堀切によって、行く手を阻まれます。
当時は、梯子を使って上り下りしてた様です。

れ 砥石城

此処は、砥石城の「砥石城」。
四等三角点の戸石城があります。
そう云えば、城内の案内板は最初「戸石城」と書かれていたみたいですが、全部「砥石城」に直されてました。
何でだろ?

そ 岩場

砥石城から米山城に至る尾根は、こんな岩場になってました!
駐車場から素直に来た人は、此の岩場をロープにつかまって登らなくてはなりません。
僕は降りて行ったんですが、下から来た人はひーこら云いながら登ってました。

米山城
海野氏の一族、小宮山氏の城とも考えられるが、詳細は不明。
砥石城の出城であり、村上氏時代には兵糧城や放火台との伝承もある。
米山城も含めて、「砥石城」と呼ぶ事もある。

つ 石積み其の弐

本曲輪の北面には、石積みがあります。
土留めの為のモノですが、此れを見る為に歴史愛好家が登っている為、逆に土が削れて来てます(^▽^;)

ね 米山城

本曲輪には、村上義清の石碑がありました。
砥石城との距離と関係を考えると、別の城と云うよりも、ひとつの城郭なんじゃないでしょうかね。
ところで、色んな地図を見ると、砥石城の表示はないのに、米山城は載ってたりします。
たまに「何でこんなマイナーな城が地図に載ってるんだ?」って所、ありますよね?

砥石城は、1時間45分ほどの登山でした。

参考文献:日本城郭大系8、戦国・江戸 真田一族
参考サイト:埋もれた古城

本日は此れ切り。
Posted at 2011/05/08 13:19:38 | コメント(4) | トラックバック(0) | 信州真田の陣 | 旅行/地域
2011年05月07日 イイね!

信州真田の陣 其の壱 砥石城・米山城 前編

信州真田の陣 其の壱 砥石城・米山城 前編第一次信州真田の陣(5/2)、初っ端に訪れたのは、戦国好きなら誰でも知ってるであろう「砥石崩れ」の舞台、砥石城。

武田信玄の数少ない負け戦のひとつなんですが、此の砥石崩れと云うのは、攻城戦の失敗じゃなくて、撤退戦の失敗だったんですねえ。

武田信玄が自ら「当家の凶事なり」と嘆いたんですが、其の砥石城を真田幸隆が乗っ取りに成功。

どんな手段を使ったかは、稗史・小説の類の世界なんですが、此れによって真田が本貫を回復し、飛躍して行くきっかけになった特別な城と云うのは、間違いないでしょうね。


砥石城
築城者・時期については不明で、歴史に登場するのは、村上氏が小県方面に進出し、同氏の有力な支城になってからである。
天文19年(1550)武田信玄が攻めたが、撤退するのに失敗し、殿軍の横田高松をはじめ兵1000名が討ち死にした。
所謂「砥石崩れ」である。
併し、翌年真田幸隆により砥石城は乗っ取られ、以後は武田氏の属城となった。
後に真田氏の居城となり、上田城築城以後も重要な支城となった。
真田氏が松代に転封されると、廃城となった。

い 陽泰寺

砥石城へは、国道144号から案内標識が出ているので、其れに従って行けば、駐車場に行く事が出来ます。
其処から登山道があり、砥石城と米山城の間の尾根に出るんですが、僕は東嶺にある内小屋(城下集落)から、大手を行く事にしました。
此の陽泰寺は、海野氏所縁の寺院だそうで、山号は砥石山。

ろ 空堀 

内小屋の入口右手を守る空堀。
先は急崖となって神川に落ちて行きます。
現在は畑となってますが、当時はもっと深かったようです。

は 竪堀其の壱

左手を守るのは、尾根上から落ちてくる竪堀。

に 内小屋

現在は畑になってますが、削平された跡に屋敷が建っていたと想像されます。
参考にした「戦国・江戸 真田一族」と云う本では、砥石城は山頂を守るのではなく「谷を守る山城」とあり、此の内小屋を重要視してます。
また上水道施設の工事をした際に、当時の兵糧米が出て来たそうです。

ほ 竪堀其の弐

内小屋から案内標識に従って、大手道を登って行く事になるんですが、つづら折れになっていて結構キツい(;´Д`A ```
山頂と水の手の分岐点近くに竪堀がありました。

へ 水の手

大手道の中腹には、幾つもの段曲輪があり、家臣達の居住スペースでした。
其の一角にある水の手は、現在も水が湧き出てます。

と 矢竹

枡形城と本城との間に生える矢竹。
戦国時代に、矢(矢柄)に使うために植えられたモノなんだとか。

ち 枡形城

砥石城は、尾根沿いに「枡形城」「本城」「砥石城」の三つ(米山城も合わせて四つの場合も)の区域に分けられています。
枡形城は、北を守る要害で南側に二段の曲輪があります。

り 枡形虎口

此処が、枡形城の由来ともなった枡形虎口なんですが、云われてみればそうかなあと、思える程度。
枡形城は、城内で最高地点にあり、此処が本城とされていた時期もあったとか。

ぬ 堀切其の壱

枡形城の北尾根を断つ堀切。
此の先にも曲輪があり、眺望が非常に良く、物見として充分な役割があります。
此の日は残念ながら、黄砂で眺めは今イチでした。

参考文献:日本城郭大系8、戦国・江戸 真田一族
参考サイト:埋もれた古城

本日は此れ切り。
Posted at 2011/05/07 22:47:54 | コメント(2) | トラックバック(0) | 信州真田の陣 | 旅行/地域
2011年05月06日 イイね!

第二次信州真田の陣

第二次信州真田の陣今日も、GW10連休の平日を利用して、信州は真田の郷へ行って来ましたよ\(^▽^)/

で、今日は最初に行ったのは此処。

旧真田町にある上田市真田図書館です。

と云うのも、事前に地元の図書館やネットで調べたんですが、予定していた城の半分しか縄張り図が見つかりませんでした。

なので、第一次(5/2)は縄張り図が分かっている城だけ攻略。

第二次(5/6)は、縄張り図を現地調達なのです(笑)

ところで、此の上田市真田図書館は、昨年秋に建て替えられたばかりと云う事で、とても奇麗。

入口のドアに、六文銭をデザインしてあるのが、センスいいですな。

勿論、必要な縄張り図は全部揃えられたので、今日は6城の攻略して来ました。

此れで、旧真田町と旧上田市北部の真田関係の城址は、大体終わったかと。

でも、あの城のあそこには、もう二度と行くまい。

(さて何処でしょう?)
 

本日は此れ切り。
Posted at 2011/05/06 22:09:27 | コメント(2) | トラックバック(0) | 信州真田の陣 | 旅行/地域
2011年05月02日 イイね!

第一次信州真田の陣

第一次信州真田の陣真田…

其れは、幸隆に始まり、昌幸・信幸・信繁と云った、名将を生んだ一族。

戦国時代好きには、たまらない響きである。

真田ファンであれば、尚更だろう。

と云う訳で、今年のGW10連休は平日を利用して、

上田市にある真田一族所縁の城と史跡を訪ねる事にしました\(^▽^)/

本日は、第一次信州真田の陣として、7城ほど攻略に成功。

写真は、真田幸隆夫妻の菩提寺である長谷寺です。

詳細は、第二次が終わり次第、随時更新予定也〜。

本日は此れ切り。
Posted at 2011/05/02 22:10:45 | コメント(4) | トラックバック(0) | 信州真田の陣 | 旅行/地域

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「最近、みん友の皆さんにコメント出来なくてごめんなさいm(_ _)m」
何シテル?   07/21 22:46
車のサイトなのに、車ネタはあんまりありません(^▽^;) 最近は、中世城郭(江戸時代の城は其れほど興味ない)を中心とした史跡巡りのブログがメインになりつつあり...
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