名胡桃城は、沼田氏の一族と云われる名胡桃氏が此の地に館を築いたのが始まりと云う。戦国時代は、上杉氏、北条氏を経て、沼田城とともに真田昌幸が攻略。天正17年(1589)、豊臣秀吉の惣無事令によって、利根川の東(沼田城)を北条氏、西(名胡桃城)を真田氏の領域となった。併し、沼田城代の猪俣邦憲が、名胡桃城を攻撃。城代の鈴木主水は自害し、名胡桃城は落城。秀吉は激怒し、関東出兵を決意する。 (参考文献:名胡桃城址パンフレット)

名胡桃城は、群馬県みなかみ町(旧月夜野町)の国道17号沿い(と云うか国道にぶった切られてる)にあります。此の写真でも分かる様に、高低差は殆どありません。

二の丸。写真では分かり辛いですが、入り口は喰違い虎口になってます。

二の丸堀。それぞれの郭の間には堀があり、土橋又は木橋によって直線に結ばれる、所謂「連郭式縄張り」です。

本丸跡。本丸跡もそうですが、城自体も其んなに大きくはないです。

ささ郭からの眺め。城の周囲は、湯舟川が流れており、天然の要害となってます。

般若郭跡は、駐車場になってます。般若郭は、発掘調査で防御施設が確認出来なかった事から、居館跡と考えられている様です。因みに写真に写っている車は、カミさんのシエンタです。娘がオムツ取り替え中。
本日は此れ切り。
Posted at 2009/07/17 22:44:02 | |
トラックバック(0) |
歴史を行く | 旅行/地域