
さ〜て、お次は城巡りを中断して、真田氏所縁の角間渓谷へ向かいました。
県道4号線を北上して、角間渓谷の看板のある交差点を右折。
松尾城(松尾古城)の位置を確認しながら集落を抜けると、林の中へ。
オープンドライブが気持ちいい(^_^)
角間温泉の一軒宿、岩屋館を抜けた先にある駐車場に車を停めて、しばし散策です。
岩屋観音
間渓谷に残る大小の洞窟は、縄文時代の住居跡と云われる。
最大の岩屋洞窟は毘邪王の住処で、坂上田村麻呂が討伐に手こずり、馬頭観音の例言を借りて此れを仕留めた。
此れによって、堂宇を建てたのが岩屋観音の始まりと云う。
中世は修験道によって栄え、真田忍者が此処で修行したと云う伝承も残る。

真田忍者が修行した地と云うので、行ってみました。
実際には修験者の修行の場で、修験者は全国彼方此方を歩き回るので、情報を得る為に重宝されたみたいですね。

そう云えば、真田氏の上州の本拠である岩櫃城の岩櫃神社にも、真田忍者が修行した云う伝説がありましたね。
やっぱり真田と忍者は、切り離せない関係にあるんだろうか?
猿飛岩

周辺には、溶岩で出来た奇岩がたくさんあり、此れは猿飛佐助が修行したと伝わる猿飛岩。
明らかにフィクションの人物なんですがねえσ(^_^;)
此処、角間渓谷にある角間温泉は、真田一族の隠し湯と云われています。
秘湯って感じがして、一度泊まってみたいなあ。
其れと温泉と云えば、猿飛佐助と並んで真田十勇士の人気者、霧隠才蔵の隠し湯と云われる千古温泉と云うのも、旧真田町内にありますよ。
次は、真田一族所縁のお寺へ。
長谷寺
元は種月庵と呼ばれていたが、天文16年(1547)真田幸隆が真田山長谷寺として創建し、菩提寺とした。
山門

此のアーチ型の山門は、創建当時の物と伝えられています。
六文銭が誇らしげですね。
歴史があるのは此の山門くらいで、本堂とかは最近建て替えられた物の様です。
其れと、此の長谷寺の山号は、ずばり「真田山」。
真田ファンには堪らないでしょうね。
真田幸隆夫妻・昌幸の墓

裏山には、ひっそりと真田幸隆夫妻・昌幸のお墓があります。
中央が幸隆、左が幸隆夫人、右が昌幸です。
真田一族の菩提寺ともあって、結構参拝客が訪れてました。
本日は此れ切り。
Posted at 2011/05/11 22:24:24 | |
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