
次は、真田の城の中でも、真田の一門衆矢沢氏の城です。
矢沢氏は、元々海野氏の分かれで、諏訪上社の神使御頭を務めたりしていました。
天文年間は海野氏の配下でしたが、真田幸隆の弟頼綱(案内板には綱頼とある)が矢沢氏を継ぐ頃に、武田氏に属す様になった様です。
矢沢城は、現在矢沢公園となっているんですが、駐車場がありません。
路上駐車となるんですが、矢沢集落は道が狭いため、車を停めるのも一苦労でした。
矢沢城
真田幸隆の弟、矢沢綱頼(頼綱)が居城として築いたと伝わる。
天正13年(1585)の第一次上田合戦では、綱頼の子三十郎頼定が800の兵で籠城し、依田源七郎の率いる兵1500を撃退したと云う。
真田氏の松代転封後は、仙石政勝の領地となった。
い 段郭

城の入口には、案内板と大日堂があり、どうやら此の道が大手の様です。
暫く登ると、出ました!
真田の城、必殺の段郭です。
事前にwebで調べた話では、公園とは名ばかりであんまり管理されてないとの事でしたが、桜が植えられているせいか、花見に合わせた草刈りが行われた様で、そんなにヒドい物ではありませんでした。
ろ 空堀

中腹にある空堀。
ゴミ箱があったり、一寸ヒドいな…
は 石垣其の壱

空堀のすぐ北には、石垣が。
石積みと云うよりも石垣と云っていい、しっかりとした物です。
に 城山神社

本郭すぐ下の郭には、城山神社がありました。
ほ 石垣其の弐

本郭の虎口周辺にも、石垣があります。
へ 本郭

山頂が本郭で、東から南にかけては急崖なので、郭はありません。
急崖の下には吉田堰があり、天然の水堀となって城を守ってます。
と 堀切

本郭から北東の尾根沿いにも郭は続き、二の郭の先は堀切で切られてます。
ち 竪堀

「と」の空堀は竪堀となって落ちて行きます。
竪堀の南にも幾つもの段郭が構えられています。
30分ほどの見学で、車に戻って来たら、
トランクに鍵がさしっぱなしでした! Σ(゚口゚;
よく無事だったもんだ…
気を取り直して、東へ向かいました。
矢沢支城
矢沢城の背後の備えとして築かれた砦と考えらている。
一説には、矢沢頼綱が入嗣以前の矢沢氏の居城とも考えられている。
矢沢支城は、現在山林と畑になってしまい、原型は分からないとの事でした。
其れでも、竪堀が二本残っているとの事なので、其れを探しに山林へ突入。
竪堀其の壱

一本目。
随分と枯れ枝が捨てられていますが、たぶん此れがそう。
竪堀其の弐

恐らく此れが、二本目。
山林の中は、イバラがあって結構痛かった…
郭?

一寸高くなって段差が出来てますが、後世の耕地化による可能性高し。
此の高くなっている所が崖の先端部。
今は木が生い茂ってますが、矢沢城を見下ろす事が出来、眺望は良さそうです。
参考文献:日本城郭大系8
参考サイト:
日本史史料研究会
とりあえず、此れで1日目は終了。
案外、砥石城に時間がかからなかった為、3時半には見終わってしまいました。
此の後は、
真田温泉ふれあいさなだ館で汗を流し、真田の郷を後にしました。
本日は此れ切り。
Posted at 2011/05/14 23:11:21 | |
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