
日は変わって、此れからは第二次信州真田の陣(5/6)の話です。
図書館で縄張り図のコピーをもらい、最初に訪ねたのは、打越(おっこし)城。
資料によっては、内小屋城と呼ばれる城で、其の名の通り内小屋(城下集落)を守る城でした。
因みに、内小屋の西を守るのが、其の前に訪れた
尾引城(横尾城)で、此の二つの城は対に考えるべき城です。
此処の内小屋は、後に信綱寺が建てられた様に、真田氏にとって特別な場所であったと思われます。
信綱寺の駐車場に車を停めて、周辺の散策へ繰り出しました。
打越城(内小屋城)
築城時期は不明で、村上氏に属した横尾氏の城。
横尾氏が上州へ逃れた後は、真田氏が居城とした。
い 黒門

信綱寺の総門で、門全体が黒っぽく見える事から、黒門と呼ばれているそうです。
で、此の黒門が建っている場所が、堀切だったりします。
此の辺りは岩が剥き出しで、黒門の左右も郭なんでしょうが、あまり削平されてません。
ろ 犬走り

城址は散策路になっていて、城の南にある此の道は、当時の犬走りの様です。
此の上は切岸で、結構急。
は 堀切

本郭の背後は、堀切で切られてますが、だいぶ埋まってます。
に 本郭

一番東にあるのが、本郭。
ほ 二の郭

本郭の西は、だんだんと低くなって、郭が続きます。
此の下にも郭が続きますが、墓地となっているので、写真はパス。
へ 大柏木川

城の北は急崖で、大柏木川が天然の堀の役目をしてます。
信綱寺
横尾氏の菩提寺として、当初は好雪斎大柏寺と云われた。
横尾氏が没落すると、真田信綱が打越へ移し、大柏山打越寺とした。
信綱が長篠の戦いで戦死すると、跡を継いだ昌幸が信綱の菩提寺とし、寺名も信綱寺と改められた。
本堂

古い建物ではない様ですが、屋根の六連銭が輝いてます。
山内にある宝物館は、此の日は閉まってました。
宝物館には、信綱の首級が包まれていた「血染めの陣羽織」があるんですが、見たかったな〜。
ところで、打越城と云い、信綱寺と云い、最初は横尾氏の物だったのを、真田氏は見事に乗っ取ってますな。
真田信綱夫妻、昌輝の墓

中央が信綱、左が信綱夫人、右が昌輝のお墓で、昌輝の物は近年に新しく建立された物です。
信綱寺は、最初から此処にあったわけではなく、享保年間に現在の地に移されたそうです。
其の際に、信綱のお墓の中から鎧が出て来たそうで、此れも宝物館にあるのか〜、
く〜っ、残念!
古城緑地広場

近くには、古城緑地広場と云う公園がありましたが、別に史跡ではないのでパス。
参考文献:真田町の遺跡、信州の山城
本日は此れ切り。
Posted at 2011/05/16 21:10:54 | |
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信州真田の陣 | 旅行/地域