
今回の天神山城は、当初アクセスだけ調べて望みました。
偽天守閣がある本郭に到着すると、丁度帰るパーティーに出会い(こんな所で人に会うとは思わなかった)、「出郭にも行って来ました」との発言が。
何!?出郭!?
用意して来た日本城郭大系には、全く出郭の事は載っておらず、また縄張り図も載っていなかった為、満足に調べる事が出来ませんでした(>_<;)
なので、翌日情報を仕入れてリベンジと相成りました。
二日間の写真を交えて紹介します。
天神山城
天文年間(1532〜55)に藤田康邦によって築城されたと伝わる。
後に藤田康邦は北条氏康に下り、氏康の三男氏邦を養子に向かえ、自身は用土城に退いた。
北条氏邦は、天神山城は戦略上不利な事を悟り、永禄7年(1564)鉢形城を改修して本拠とした。
天正18年(1590)鉢形城の落城と共に天神山城も廃城となった。
白鳥神社

元々は此の地の豪族岩田(白鳥)武信が、白鳥天満宮として創建したのが始まり。
後に領主となった北条氏邦が信仰し、根古屋城の名前を天神山城へ改めた。
天神山城は1970年代に観光スポットとして模擬天守閣が建てられましたが、今は廃墟となっており、通常の道からは入る事が出来ません。
なので、県道沿いにある白鳥神社または向かいの公民館に車を止めてから、神社の東の山を登る事になります。
①
土塁と堀

白鳥神社から折坂を登って行くと、長さ35mの土塁と掘に到達します。
此の辺りが搦手だった様です。
②
腰郭

更に登ると比較的大きな腰郭があります。
広さからして、建物が建っていた可能性があるとか。
③
模擬天守閣

本郭に建つ模擬天守閣。
説明するまでも無いですが、天神山城に天守閣はありませんでした。
其れにしても、こんな物造って儲かるとでも思ったのであろうか。

中身はこんな感じ。
既に落城してます。
危険なので中には入りませんでした。
④
堀切

本郭と二の郭を断つ堀切。
観光用に作られた橋があります。
堀切は北へ向かい、其のまま谷へなります。
⑤
二の郭

二の郭は細長い形状ですが、三の郭と共に観光用の開発で一部破壊されてしまっています。
二の郭にも物見台らしき物の残骸が。
ご覧の通りの薮で、此の城も夏は来ない方が無難でしょう。
⑥
井戸跡

三の郭の東斜面に井戸跡と思われる窪地があります。
写真では分かり辛いですが、中央の凹んでいる部分です。
⑦
大手

写真を撮った竪堀が大手からの道も兼ねていた様です。
此の辺りは現在樹木の伐採中でして、奇麗になっていました。
下の県道沿いにある「大手桜」からアクセス出来る様になるかもしれません。
南の斜面で、投石用の川原石が確認出来る(鉄砲が未発達だった関東では、普通に石が飛び道具として使われたいたのだ)との事でしたが、落ち葉が凄くて確認出来ませんでした。
参考文献:日本城郭大系5
参考文献:
城址ほっつき歩き、
北武蔵城郭フォーラム
本日は此れ切り。
Posted at 2010/01/31 23:04:05 | |
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北条氏邦城郭巡り | 旅行/地域