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りょうさいのブログ一覧

2010年01月31日 イイね!

北条氏邦城郭巡り 其の四 天神山城 本編

北条氏邦城郭巡り 其の四 天神山城 本編今回の天神山城は、当初アクセスだけ調べて望みました。

偽天守閣がある本郭に到着すると、丁度帰るパーティーに出会い(こんな所で人に会うとは思わなかった)、「出郭にも行って来ました」との発言が。

何!?出郭!?

用意して来た日本城郭大系には、全く出郭の事は載っておらず、また縄張り図も載っていなかった為、満足に調べる事が出来ませんでした(>_<;)

なので、翌日情報を仕入れてリベンジと相成りました。
二日間の写真を交えて紹介します。

天神山城
天文年間(1532〜55)に藤田康邦によって築城されたと伝わる。
後に藤田康邦は北条氏康に下り、氏康の三男氏邦を養子に向かえ、自身は用土城に退いた。
北条氏邦は、天神山城は戦略上不利な事を悟り、永禄7年(1564)鉢形城を改修して本拠とした。
天正18年(1590)鉢形城の落城と共に天神山城も廃城となった。

白鳥神社

元々は此の地の豪族岩田(白鳥)武信が、白鳥天満宮として創建したのが始まり。
後に領主となった北条氏邦が信仰し、根古屋城の名前を天神山城へ改めた。

天神山城は1970年代に観光スポットとして模擬天守閣が建てられましたが、今は廃墟となっており、通常の道からは入る事が出来ません。
なので、県道沿いにある白鳥神社または向かいの公民館に車を止めてから、神社の東の山を登る事になります。

① 土塁と堀

白鳥神社から折坂を登って行くと、長さ35mの土塁と掘に到達します。
此の辺りが搦手だった様です。

② 腰郭

更に登ると比較的大きな腰郭があります。
広さからして、建物が建っていた可能性があるとか。

③ 模擬天守閣

本郭に建つ模擬天守閣。
説明するまでも無いですが、天神山城に天守閣はありませんでした。
其れにしても、こんな物造って儲かるとでも思ったのであろうか。


中身はこんな感じ。
既に落城してます。
危険なので中には入りませんでした。

④ 堀切

本郭と二の郭を断つ堀切。
観光用に作られた橋があります。
堀切は北へ向かい、其のまま谷へなります。

⑤ 二の郭

二の郭は細長い形状ですが、三の郭と共に観光用の開発で一部破壊されてしまっています。
二の郭にも物見台らしき物の残骸が。
ご覧の通りの薮で、此の城も夏は来ない方が無難でしょう。

⑥ 井戸跡

三の郭の東斜面に井戸跡と思われる窪地があります。
写真では分かり辛いですが、中央の凹んでいる部分です。

⑦ 大手

写真を撮った竪堀が大手からの道も兼ねていた様です。
此の辺りは現在樹木の伐採中でして、奇麗になっていました。
下の県道沿いにある「大手桜」からアクセス出来る様になるかもしれません。

南の斜面で、投石用の川原石が確認出来る(鉄砲が未発達だった関東では、普通に石が飛び道具として使われたいたのだ)との事でしたが、落ち葉が凄くて確認出来ませんでした。

参考文献:日本城郭大系5
参考文献:城址ほっつき歩き北武蔵城郭フォーラム

本日は此れ切り。
Posted at 2010/01/31 23:04:05 | コメント(3) | トラックバック(0) | 北条氏邦城郭巡り | 旅行/地域
2010年01月29日 イイね!

北条氏邦城郭巡り 其の参 花園城

北条氏邦城郭巡り 其の参 花園城鉢形城の次は、北条氏邦が跡を継いだ(乗っ取ったとも云う)藤田氏の城郭を紹介します。

藤田氏の城郭は藤田流城郭と呼ばれ、斜面部に竪堀を多用し、この間に多くの腰郭を階段状に配置するのが特徴で、正に今回紹介する花園城は其の典型的な形です。



花園城
藤田氏の始祖藤田五郎政行が築城したと伝わるが、詳細はよく分からない。
藤田氏15代藤田康邦は、北条氏康の子、氏邦を養子に迎え、居城の花園城、天神山城を氏邦に譲り、自身は子供二人と共に用土城へ退き、用土新左衛門と改名した。
天正18年(1590)、鉢形城と共に花園城も落城した。




善導寺

永仁5年(1297)創建の浄土宗の寺院で、白狐山悟真院藤田善導寺が正式。
此の地方の豪族藤田氏の菩提寺として栄えた。
現在は寄居町十二支守り本尊霊場まいりのひとつである。

花園城に駐車場はありませんので、善導寺に車を置き、お参りしてから行ってみましょう。
善導寺から秩父線の側道を西に行き、アスファルト舗装が切れた所を右に曲がると…

① 諏訪神社

諏訪神社があります。
段があり、根小屋として考える事も出来るかもしれません。
神社の裏に向かうと、人が通った形跡があるので其処を進みます。

② 竪堀

すると、出ました!花園城の特徴の竪堀!
此れを登ります。
写真の通り、もの凄い薮と落ち葉でなので、手袋、滑りにくい靴は必須です。

③ 目印

竪堀がクランク状に曲がる所で、先人達が残しておいてくれた目印が!
此の目印はあちこちにあって役に立ちました。
ありがたや。
また余湖くんのお城のページの鳥瞰図を用意しておいたのですが、此れが非常に分かりやすい!
事前の調べで「居場所が分からない」「遭難した」と云う情報があったのですが、此れで迷う事無く進む事が出来ました(^_^)

④ 腰郭石垣

花園城は此の様な石垣が各所にあるのですが、経年変化によって、結構崩れてしまっています。
また落ち葉に埋まって見えない物もあるのでしょう。

⑤ 二の郭

薮です。
なぜかTV用らしきアンテナが立ってました。

⑥ 竪堀

本郭と二の郭の間の竪堀。
竪堀は岩を削岩しており、此の様に荒々しい。

⑦ 堀切

⑥の竪堀は横に曲がって、堀切となります。
写真は…やっぱり薮ですσ(^_^;)

⑧ 本郭石垣

織豊政権以降の高石垣と違って、あくまで補強が目的の物だったのでしょう。

⑨ 本郭

本郭には記念碑が建っていて、松林のせいか薮も酷くないです。
併し、町指定史跡とあるんだから、もう少し管理して欲しいッス。

⑩ 竪堀

最後は一番東の竪堀を降りて来ました。
歩いて行くのは非常に危険なので、座り込んで滑り台を降りる様に降りたのです(^▽^;)
神社の東側に出ました。

いやあ、竪堀を堪能出来て面白かったです。
後で調べてみたら、南西部に段築群と云う物があり、18,9段の帯郭と石垣が残っているとの事。
もう一度行きたくなりました。

併し、此の城は夏は絶対行かない方が良いでしょう。

参考文献:日本城郭大系5
参考サイト:余湖くんのお城のページ北武蔵城郭フォーラム

本日は此れ切り。
Posted at 2010/01/29 23:40:00 | コメント(3) | トラックバック(0) | 北条氏邦城郭巡り | 旅行/地域
2010年01月27日 イイね!

北条氏邦城郭巡り 其の弐 鉢形城 後編

北条氏邦城郭巡り 其の弐 鉢形城 後編鉢形城後編は、発掘調査が行われた所を中心に紹介して行きます。











⑪ 二の曲輪

二の曲輪は二段になっていて、南側の高い部分で掘立柱建物跡や工房跡などが確認出来たそうです。
工房は三軒あり、炭や鉄滓、鞴が発見された為、鍛治工房だった様です。

⑫ 復元土塁と障子堀(畝)

二の曲輪と三の曲輪の間の堀は、発掘調査で畝が確認され、障子堀だったそうですが、此れは北条氏の改修以前からあったと考えられている様です(障子堀は北条系城郭の特徴)。
残念ながら埋められてしまい(深さは12mもあったらしい)、其の様子は見る事が出来ません(>_<;)
二の曲輪側の土塁は高さが不明の為、低めに復元されており、堀と土塁との間には守備兵が配置出来る様に作られています。

⑬ 馬出

以前は御金蔵と伝えられていたそうですが、発掘調査で馬出と確認出来たそうです。
北東南を堀、北西南を石積土塁で固められており、相当堅固な感じです。
四角形の角馬出なので、北条流の築城術ですね。

⑭ 井戸

三の丸にある井戸です。
此の辺りは、鍋等の生活用品が出土した為、生活空間だったと考えられている様です。
手前にある石の列は、石組排水溝です。

⑮ 伝秩父曲輪

秩父孫次郎と云う人が守っていたと伝わる場所ですが、茶道具やかわらけが出土した為、宴会や歌会が行われていた場所の様です。
掘立柱建物跡には四阿が復元されています。

⑯ 復元石積土塁

発掘調査で長さ100m、高さ4.2mの石積土塁が確認され、今は奇麗に復元されています。
案内板で発掘当時の石積の写真を見る事が出来ますが、関東にしてはなかなかの物です。
復元された物は、一寸奇麗すぎる感じです。

⑰ 復元四脚門

発掘調査で6段の階段と門跡、土塀が確認され、復元されています。
個人的には、建物の類いは復元しなくても良いと思ってますが、天守閣が無い分、こう云う物を復元して城である事をアピールしてるんでしょうか。

⑱ 虎口

画面左の石積土塁の上には、櫓があった可能性があるよう様です。
此処も門がある可能性が高い場所ですが、柱穴が確認出来なかった為、礎石立ちの門があったと考えれている様です。

⑲ 諏訪曲輪堀切

復元石積土塁の反対の堀切。
此処は発掘調査されてませんが、結構深い堀切です。

⑳ 諏訪曲輪土塁

現在、諏訪神社がある所は諏訪曲輪と呼ばれ、馬出の役割をしています。
角馬出で虎口に付帯しているので、此れも北条流の築城術です。

参考文献:日本城郭大系5、現地案内板

今回の鉢形城は初級です。
次回以降は更にマイナーな上級の城址を紹介します。

本日は此れ切り。

Posted at 2010/01/27 23:35:24 | コメント(4) | トラックバック(0) | 北条氏邦城郭巡り | 旅行/地域
2010年01月26日 イイね!

北条氏邦城郭巡り 其の壱 鉢形城 前編

北条氏邦城郭巡り 其の壱 鉢形城 前編カミさんが子供を連れて友達に会いに行くと云うので、此れは幸いと城巡りをして来ました(^_^)

今回は地元埼玉にしようと思い、現在の寄居町を中心に勢力があった豪族藤田氏と、其の跡を継いだ北条氏邦の城巡りです。








鉢形城
源経基や平将門、畠山重忠が居城したと云う伝説が残るが、文明8年(1476)関東管領山内上杉氏の家臣長尾景春が築城したと云う説が有力である。
此の鉢形城を拠点に反乱を起こした長尾景春であったが、鎮圧後は山内上杉氏が在城となり改修を行った。
後に藤田康邦の持ち城となり、康邦の女婿となった北条氏邦が天神山城から移り、大改修を行い、現在の大きさとなる。
北関東への進出の拠点、武田氏への抑えとして重要な役割を担った。
天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原の陣の際は、三千の兵と共に北条氏邦も籠城するが、前田利家、上杉景勝、真田昌幸ら三万五千の大軍に包囲され、一ヶ月の籠城の末、落城。
北条氏邦は前田利家に預けられ、鉢形城は廃城となった。
江戸時代は代官が置かれた。

鉢形城は二回目の訪問です。
発掘調査も終わり、現在は奇麗に整備された公園になってます。

① 鉢形城歴史館

城址公園の整備と共に建てられた博物館。
小規模ながらなかなか面白いですので、城址を巡る前に立ち寄る事をお勧めします。
パンフレットの裏に城址のガイドマップが載ってます。

② 外曲輪土塁と堀

外曲輪東側の土塁は南北に長く伸びており、外は堀になってます。

③ 石垣

笹曲輪と本丸との間の土塁は所々石垣が残ってます。
角の丸い石と云う所を見ると、荒川の川原石かもしれません。

④ 本曲輪土塁 其の壱

本曲輪は御殿曲輪、御殿下曲輪に分かれており、西は荒川の崖、その他はぐるりと土塁に囲まれています。
土塁の高さもあり、なかなか堅固です。

⑤ 本曲輪

本曲輪は埼玉県の林業試験場だったので、色々な種類の樹木が生えており、散歩が楽しめます。
此の辺りも其の内発掘調査をするんだろうか?

⑥ 田山花袋碑

本曲輪には城址記念碑の他に、田山花袋の詩碑も建ってます。

⑦ 荒川の絶壁

西側は荒川による天然の要害。
鉢形城を築いたのは、長尾景春。つまり白井城、平井城と同じく白井長尾氏の川の崖を利用した築城術な訳です。

⑧ 本曲輪土塁 其の弐

此れも本曲輪の土塁で、外は堀が切られている為、高低差がかなりあります。
う〜ん、たまらん!

⑨ 深沢川

本曲輪と外曲輪の間に流れる深沢川。
写真では大した事無いですが、場所によっては崖になっており、此処も天然の堀となってます。
昔は今よりも水量が多かったらしいです。

⑩ 弁天社跡

今は空堀ですが、昔は水堀だったのかもしれません。
中の高い所に弁天様が祀られていたのでしょう。

続きは後半にて。

参考文献:日本城郭大系5、現地案内板

本日は此れ切り。
Posted at 2010/01/26 23:28:17 | コメント(3) | トラックバック(0) | 北条氏邦城郭巡り | 旅行/地域
2010年01月20日 イイね!

貫前神社

磯部温泉に入った後、帰りに上野の一之宮である貫前(ぬきさき)神社に寄ってみました。

貫前神社の周辺はよく通るのですが、未だお参りした事が無く、今回初めてお参りして来ましたσ(^_^;)

貫前神社
御祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)と、比売大神(ひめおおかみ)。
安閑天皇の元年(531)に物部姓磯部氏が、氏神である経津主神を祀り、蓬ヶ丘綾女谷に社を定めたのが始まりと伝わる。
現在の社殿は寛永12年(1635)に徳川家光の命によって建てられた物で、国の重要文化財に指定されている。

御祭神が比売大神というのが面白いですね。
此の地方の守護神で、機織養蚕の神様と云う事ですが、富岡製糸場がある此の場所にふさわしい神様です。

総門

総門をくぐると下り階段になって、社殿へと向かいます。
下ってお参りする神社って珍しくないですか?
大鳥居までは登り階段になりますが、総門近くの駐車場に停めたので、ちゃんと(?)登ってお参りしませんでした。

月読神社

現在の社殿が建てられる前は拝殿だった建物で、江戸時代は牛王堂として使われていました。
明治以降に月読神社に改称されたそうです。

楼門 重要文化財

楼門は、寛永12年(1635)に徳川家光の命によって建てられ、国の重要文化財に指定されてます。

本殿 拝殿 重要文化財

奥(画面右)が本殿で、手前(画面左)が拝殿です。
楼門と同じ時期に建てられた物で、こちらも重要文化財です。

日枝神社 伊勢内宮 下宮

左から日枝神社、伊勢内宮、下宮。
日枝神社は、現在の社殿が出来る前の本殿でした。

現在社殿は修理中で、HPを見たら1/16に仮殿に神様をお還ししたそうです。
と云う事は、此の日(1/17)は既に神様は引っ越しした後と云う事か…

本日は此れ切り。


Posted at 2010/01/20 23:18:09 | コメント(2) | トラックバック(0) | 歴史を行く | 旅行/地域

プロフィール

「最近、みん友の皆さんにコメント出来なくてごめんなさいm(_ _)m」
何シテル?   07/21 22:46
車のサイトなのに、車ネタはあんまりありません(^▽^;) 最近は、中世城郭(江戸時代の城は其れほど興味ない)を中心とした史跡巡りのブログがメインになりつつあり...
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