此の日(5/5)は、GW最終日だったので、家族で藪塚の三日月村に行った帰りに、新田氏所縁の城館巡りをして来ました。
反町館(反町薬師、照明寺)
元徳年間(1330頃)新田義貞が築城して、居館としたと伝わる。
下って、戦国時代に改修され、金山城の支城となった。
併し、北条氏の金山城攻めの際には、逆に北条氏邦の本陣となった。
天正18年(1590)小田原の陣で廃城となったが、正徳4年(1714)堀の西にあった照明寺が火事にあった際、現在の位置(本丸)に移転した。
反町薬師本堂

現在、本丸に照明寺、通称反町薬師が建っているので、まずはお参りから。
中世城館がお寺になっていると云うのは、よくあるパターンですな。
小僧の銅像

本堂の前になかなか面白い銅像がありました。
皆が頭をなでるので、変色してしまって金髪みたいだ…
土塁

所々欠けてはいますが、本丸の周囲は土塁で囲まれてます。
此処は分かり安い南側で、他の箇所の土塁は、本堂や庫裏の裏になっている為、見辛いです。
水堀(北東)

本丸の周囲は、水堀で囲まれてますが、東側は道路の拡張の影響で変形しているので、本当はこんなに広くはないです。
本丸は、凸の形をしていて、折れているのが分かると思います。
水堀(北西)

此処は北西の折れ。
土塁と水堀がちゃんと残っているので、城館と云うか平城の雰囲気が出てますね。
水堀(南)

本丸以外に遺構は殆ど残ってない様ですが、南の水堀の向こうには、土塁らしき盛り上がりが確認出来ます。
他にも西に土塁があるらしいです。
次は、尾島の長楽寺、東照宮に行きましたが、こちらの紹介は割愛。
何回も行ってるので、また改めて紹介します。
世良田館
新田氏一族の世良田義政の居館と伝わる。
空堀其の壱

世良田館は、長楽寺の西にありますが、部分的な発掘しかされてないので、全容は不明みたいです。
空堀は、東辺と北辺の一部が残されてます。
空堀其の弐

此処は、東辺から北辺の折れの部分。
やっぱり、曲輪全体が堀に囲まれていたのかなあ。
空堀其の参

東辺中央には、折れがありました。
深さ3mと案内板にはあったので、現在は保存と安全面から埋め戻されている様です。
子供が池のおたまじゃくしに夢中になっているので、一人とぼとぼ歩いて北西にある新田館に向かいました。
新田館跡(総持寺)
保元元年(1157)新田義重が築き、建久4年(1193)に源頼朝が訪れたのも此の館と伝わる。
また元弘3年(1333)北条高時が多大な課役を課す為に使者を遣わし、其れに怒った新田義貞が使者を斬って梟首したのも此処だと云う。
現在は総持寺の境内となっている。

日本城郭大系の縄張り図には、堀跡が描かれていたので、探してみたんですが…
遺構は全く残ってませんでした(^▽^;)
無駄に片道800m歩いて来てしまった。
後で調べたら、総持寺の本堂には、新田義貞の木像が残っているそうです。
帰ってから気付いたけど、此の日行った藪塚、新田、尾島は全て合併して太田市になっていたんだね。
やっと、GWネタが終わった…
本日は此れ切り。
Posted at 2010/05/18 22:50:20 | |
トラックバック(0) |
歴史を行く | 旅行/地域