みん友の皆さんと
岩櫃城に行く前に、せっかくなので早起きして、行き掛けの駄賃とばかりに一人で城巡りしながら行きました(^_^)
朝なので、道も空いていて、暑くもなく、オープンドライブにはちょうど良かったです。
箱田城
木曾義仲の郎党今井・高梨・小野沢氏の末裔の寄居と伝わる。
大手虎口

一番最初の箱田城に着いたのは、まだ7時前。
城址に建つ「たちばなの郷 城山」と日帰り温泉「ばんどうの湯」の入り口が、ちょうど大手虎口にあたります。
箱田城は、単曲輪で周囲に土塁が盛られ、其の外に空堀、帯郭に囲まれてます。
搦手虎口

こちらは、搦手の虎口。
此処には、案内板があって親切です。
偽天守閣

此れが、城址に建つ天守閣もどきの旅館。
事前の調べでは、もう潰れていると云う話だったんですが、経営は再開されている様です。
おかげで、旅館の敷地の部分は立ち入り禁止で入れませんでした。
立ち入り禁止の部分にもうひとつ虎口があり、其処には櫓台跡もあったそうなので、残念…
真壁城
天文年間(1532~55)に白井長尾氏の重臣、神谷三河守が築いたと云う。
白井城と八崎城の繋ぎの城として、役割をなした。
天正18年(1590)白井城と共に落城。

此の真壁城も単郭で、案内板によると屏風折の土塁、横矢構、安土馬出しがあったらしいのですが、無くなってしまった様です。
写真のこんもりした所が城址で、手前の広場はゲートボール場なんですが、此処に入る道の坂がキツくて下をこすってしまいました(^▽^;)
ロードスターは、城攻めには向かないのう。
東南の桂昌寺は、神谷氏の居館とも云われ、土塁や空堀が残っているとの事ですが、まだ8時前と云う事もあり、止めときました。
八崎城
15世紀後半に、白井長尾氏が築いたと云われるが、詳しい事は分からない。
元亀3年(1572)に真田幸隆に白井城を落とされた長尾憲景は、此の城に退き、3ヶ月後に幸隆の撤退に合わせて、白井城に戻っている。
天正18年(1590)の小田原の陣で、白井城と共に落城し、廃城となった。
本郭

北の空堀から見た本郭ですが、果樹園になっていて思いっきり民地です(^▽^;)
八崎城は、
白井城等と同じく白井長尾氏の築城術なので、西は利根川に面した崖城です。
二の丸、西郭、総郭は、宅地となっていて面影はありません。
新郭

本郭の深堀を挟んで東にあるのが、新郭。
日本城郭大系によると、「外堀の土橋以北には土居も残っている」とあったんですが、田植え前の田んぼと云う事もあり、止めときました。
何か消化不良な城ばっかり…
参考文献:日本城郭大系4、現地案内板
本日は此れ切り。
Posted at 2010/06/24 23:41:00 | |
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