
さて、唐揚げで腹を満たした後は、ときがわ町にある都幾山慈光寺に向かいました。
比企地方の城巡りを計画している中で、次のターゲットに大築城と云うのがあります。
此の城が築いたのは、松山城主上田朝直でして、目的は慈光寺を攻める為に築いたと云う事なのです。
と云うわけで、慈光寺がどんなお寺なのか興味を持った次第。
慈光寺
天武天皇の二年(六七三年)癸酉、僧慈訓が千手観音堂を建て、観音霊場として開基したのが始まりと伝わる。
後に、修験道・天台密教の道場として栄え、此の地方の政治・経済・文化の中核をなしていたと云う。
戦国時代に太田道灌・上田朝直等に焼き討ちに合い、衰退したが、江戸幕府より寺領百石を与えられた。
山門

現在の慈光寺は、思ったよりも規模が小さかったです。
北武蔵城郭フォーラムによると、彼方此方に昔の遺構があった平場が残っているとの事で、中世は僧兵が立て籠める要塞だったんでしょうね。
戦国大名にとっては、目障りな存在だったんでしょう。
多羅葉

皆さん、多羅葉(たらよう)って知ってます?
葉っぱを傷つけると黒くなるので、別名ハガキの木とも云います。
僕のうちにもあるので、昔よく遊びましたね。
何やら説明もありましたが、内容は忘れました(^▽^;)

山なので、前日に降った雪が未だ残ってましたが、お寺の子供が作ったものかな?
観音堂

事前に軽く調べた所、慈光寺には国宝や重文が残っていると云う事で、楽しみにしていたんですが、どうやら其れは経文と云った類の物の様でした。
お経の事はよく分からないし、而も有料の宝物館にあるようなので、今回はパス。
戦国時代に焼き討ちにされたせいか、古い建物は無いみたいですが、此の観音堂はなかなか気に入りました。
雪で足場が悪かったので、あまり見て歩きませんでしたが、春は桜を始めとした花が奇麗な様なので、暖かい季節にもう一度行ってみたいお寺です。
本日は此れ切り。
Posted at 2011/02/17 23:12:17 | |
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