
花園御岳城の次に向かったのは、金尾要害山城。
此の城は県道沿いにあって、道向かいに駐車場もあるので、アクセスが楽チン。
…と思ったら、5台くらい置ける駐車場がいっぱい。
そう、此の金尾要害山城は、現在はつつじ山公園になっていて、丁度つつじ祭の真っ最中。
仕方無いので、一寸引き返して別の駐車場に車を置いて、山の入口でボランティアさんに管理料金をチャリンと払って来ました。
グッドタイミングなのかバッドタイミングなのか(^▽^;)
金尾要害山城
天文元年(1532)に藤田重利が築城し、金尾弥兵衛が城主を務めたと伝わる。
鉢形城の支城として、金尾峠を守る役割を担ったが、天正10年(1590)鉢形城の落城と共に廃城となった。
い 二の曲輪

二の曲輪には、築城時に建立したと伝わる愛宕神社が建ってます。
虎口は二つあり、「ほ」の枡形虎口と、南の坂虎口です。
ろ 土塁

二の曲輪の北東部は、削り残しの自然地形が土塁の役目になってます。
は 堀切

二の曲輪の北東の尾根沿いに残る堀切。
に 竪堀壱

二の曲輪の北面の両端には、竪堀が置かれ、寄せ手の動きを封じてます。
写真の北東のモノは確認出来ましたが、南西の竪堀はよく分かりませんでした(^▽^;)
ほ 枡形虎口

樹木が生い茂って、写真ではよく分かりませんが、枡形虎口。
此処の守り方は明確で、北東の尾根沿いから攻めて来た寄せ手は、まず「は」の堀切で方向転換を迫られ、右に行くと「に」の竪堀で横の動きを封じられます。
其処で左に進むと、狭い通路に誘導され、二の曲輪の土塁から攻撃を喰らう事になり、更に此の枡形虎口で足止めを喰らうと云う仕組み。
へ 一の曲輪

山頂にある一の曲輪には、展望台があり、非常に眺めが良いです。
此処に城が築かれたのがよく分かりますね〜。
展望台にいた人達が、みんな北の荒川対岸を見てるんで、何でかな〜と思ったら、秩父鉄道のSLが走って来ました(^_^)
と 石積み

一の曲輪の南面には、所々石積みが見られますが、随分と崩れているようでした。
其れにしても、つつじには目をくれず、関係ない所の写真ばかり撮っている僕を、他の人達はどう思っただろうか(笑)
ち 竪堀弐

金尾要害山城は、築城時期が二段階に分かれ、三の曲輪から南が後から造られたと考えられているようです。
土橋を挟んで、竪堀があるんですが…薮です(^▽^;)
暫く篠をかき分けながら、三の曲輪を見て廻りましたが、何が何だかよく分かりませんでした(;´Д`A ```
因みに、土橋の東にも竪堀はあったらしいのですが、現在は埋められてしまってます。
り 金尾峠

当時も峠が、堀切となって城に取り込まれていましたが、県道が拡幅している為、随分と様子が違っているはずです。
参考にした実測図と県道の形が違う為、南の曲輪と腰曲輪を繋いでいる土橋も、もしかしたらもう無いかもしれません。
つつじ

せっかくなので、山を下りながら一寸だけつつじ鑑賞。
まだつぼみも多いので、GWの連休が見頃になりそうです。
参考文献:秩父路の古城址
本日は此れ切り。
Posted at 2011/04/27 22:27:04 | |
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