
昨日の話。
珍しくカミさんの運転でフラフラとドライブです。
僕は、予定をしっかり立ててから出かける方ですが、カミさんは気ままに行くのが好きなので、此の日も目的も無く群馬の東毛方面へ。
邑楽町で、多々良沼公園の看板を見つけて駐車場にクルマを停めると目の前には、空堀と土塁らしき盛り上がりが。
此れは、
城址じゃね !?
公園の中に入ってみると、記念碑と説明板があり、案の定中世の城址でした(^_^)
ぶらりと家族で出かけて、城址に来たのは
天久沢陣城に続いて二回目だなあ。
鶉小城
元弘3年(1333)、北条高時が鎌倉で滅ぼされ、逃れてきた弟の慧性と荒間朝春が築城した。
其の後、多々良氏を経て、戦国時代は館林城主足利氏の重臣小曽根氏が、小田原北条氏が侵攻した際に此処を守った。
空堀

駐車場ですぐ目に入ったのは、此の空堀。
南側よりも北側の方が深いけど、大分埋まっている様に思います。
土塁

空堀と平行に、南北に一直線に土塁が並んでます。
土塁はそこそこの高さ。
虎口

遊歩道が通っていて、土塁が分断されてました。
公園化にともなうモノかと思ったら、家に帰って調べてみると、追手虎口の様子。
此の土塁の先には、水門もあったと考えられているそうな。
二重堀

現地の案内板には書いてなかったけど、日本城郭体系には二重堀とありました。
今では、虎口付近の一部にしか残ってません。
鶉小城は単郭で、遺構は此の空堀と土塁だけ。
浮島弁財天

三角形に突き出た郭の先には島があり、浮島弁財天が。
此れも、鎌倉から逃れてきた慧性と荒間朝春が建てた物らしいです。
多々良沼

浮島弁財天から鶉小城を眺めた図。
こんな感じで、土塁と堀切のある西側以外は、沼に囲まれてます。
多々良沼と云う名前の通り、此の辺りは鉄工業が栄えていたそうで、其れを把握する意味合いも此の城にはあったんでしょうね。
事前に調べてから城址を楽しむのも良いですけど、思いがけなく城址に巡り会うと云うのも嬉しいもんです。
公園には遊具もあったので、娘もしっかり遊んだのでした。
参考文献:日本城郭体系4、現地案内板
本日は此れ切り。
Posted at 2012/04/02 22:58:08 | |
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