
今週から仕事で、自転車に乗って本庄市(旧児玉町)をうろちょろしてたりします。
9月も半ばだと云うのに、未だにクソ暑い〜。
で、今日は仕事中だと云うのに、史跡巡りをしてきました(笑)
と云う訳で、緊急パクリ企画
埼玉県偉人伝第壱弾 塙保己一
勿論元ネタはうらん4989さんね〜。
塙保己一

延享3年(1746)に児玉郡保木野村(現本庄市児玉町保木野)に生まれた。
7歳の時に病によって失明したが、15歳で江戸に出てて学問(特に国学)を志した。
寛政5年(1793)和学講談所を開設し、40年かけて群書類従の編纂を行った。
文政4年(1821)に総検校となったが、同年に亡くなった。
塙保己一旧宅(国指定史跡)

塙保己一が生まれ育った当時の家。
現在も塙保己一の弟の子孫の方が住んでますので、門の外からの見学。
塙姓は、師匠の雨富須賀一の本姓からもらった物なので、元々は荻野氏。
なので、住んでいる方は荻野さんです。
遠景

東南より見た図。
こじんまりとしてますが、茅葺きが良いですね〜。
塙保己一は、一時期「保木野一」と名乗っている時期もあって、江戸に出た後も、故郷の事が忘れられなかったんでしょうねえ。
塙保己一墓所

此れは、つい昨日移転したばかりの塙保己一の墓所。
今朝の埼玉新聞にも載ってました(笑)
墓所とありますが、遺骨は無く、明治になってから生家の荻野氏が四谷の安国寺から墳墓の土を持ち帰って、慰霊碑を建てたのが始まりと云うもの。
墳墓の老朽化と周辺の整備の為、塙保己一公園として新たに整備されました。
かのヘレンケラーも目標とした人物。
雉ヶ岡城に記念館もあるので、城巡りのついでに行ってみよっと。
本日は此れ切り。
Posted at 2012/09/13 23:23:02 | |
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