さて、館林美術館で芸術鑑賞した後は、勿論城巡り(笑)
クソ暑い中、クソ暑くて有名な館林市内にある館林城を散策して来ました。
例の如く、近世城郭なので縄張り図はありません。
館林城
築城時期は諸説あって不明であるが、赤井照光が築城した際に狐が尾を曳いて縄張りをしたと云う伝説が残る。
永禄3年(1560)上杉謙信が関東に出陣すると、赤井照景は其れに従わなかった為城を追われ、足利長尾氏の長尾景長に与えられた。
其の後、長尾景長は北条氏に属したが、天正12年(1584)小田原に赴いた景長は、兄の金山城主由良国繁と共に抑留され、館林城は北条氏規に与えられ、南条因幡守が城代となった。
天正18年(1590)の小田原の陣では、石田三成率いる豊臣軍に降伏し、関東を与えられた徳川家康によって、榊原康政が10万石の城主となった。
江戸時代には、大給松平氏を経て、徳川綱吉が城主となると全盛を極め、其の後も幕府の重鎮が城主となった。
土橋門

三の丸の土橋門ですが、土塀も含めて復元されたニセモンであります。
館林城は、市役所を筆頭に公共施設が建てられているので遺構は殆ど残ってませんが、此処が一番遺構がはっきりしている所。
三の丸土塁其の壱

土橋門の土塁ですが、しっかりと横矢がかかってます。
水堀も埋められてしまっており、道路の部分が水堀だったんでしょう。
蔀土塁

土橋門を内側から見た所。
蔀土塁によって城内が見渡せない仕組み。
門を開けてすぐに井戸があると云うのも珍しい。
三の丸土塁其の弐

三の丸南側の土塁。
石垣は近代の物であって、館林城に石垣は無かった様です。
本丸土塁

此処も土塁以外は遺構が残ってません。
左にチラッと写っている建物は、向井千秋記念こども科学館。
尾曳神社

狐が縄張りをしたと伝える館林城ですが、尾曳郭があり、現在も尾曳神社が残ってます。
館林・邑楽の城は、湖沼を利用した縄張りで、武蔵の忍城・羽生城・岩槻城と同じパターンの城作り。
共通して云えるのは、現在では其の湿地帯を生かした縄張りが全然残ってない事(^_^;)
あっ、城沼の写真とり忘れた(*´Д`)
総郭には、水堀も残っているらしいんですが、其れほど興味の無い近世城郭なので、やめときました。
参考文献:日本城郭大系4
本日は此れ切り。
Posted at 2013/08/04 22:45:37 | |
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