
まず初めに、今回の震災で被害に合われた皆様には心からお見舞いを申し上げます。
私も宮城県仙台市に住んでおり、今回の震災を経験した物の一人です。
私の住んでいる地域は宮城県でも沿岸部からは離れており
幸いにも被害はひどくありませんでした。
しかし、2年前まで住んでいた多賀城市は信じられない被害を受けてまた、以前職場のあった石巻市も、皆さん報道などでご存知かと思われますが
多数の方が亡くなられて、依然として行方不明の方も多数いらっしゃいます。
以前の住まいも職場も津波に飲まれてしまいました。 私も家族も周りの皆さんのお陰で無事でした。
私が今、住んでいる地区は現在は電気、水道が復旧し何とか以前の暮らしに戻りつつあります。
暮らしが少しづつ戻りつつあるので、こうしてパソコンを開いてみんカラも見れる訳です。
しかし、この様な今までごく当たり前で日常だったことが今回の震災で一瞬にして全てが無くなりました。
最近では、毎日 家の近所のGSでガソリンを入れる為、何百台もの車が並び渋滞になっております。
皆さん、車を置き去りにしていき無人のままです。タイヤを切り裂かれたり、ガソリンを入れる為に
並んだのに逆にガソリンを抜かれるといった無法状態になりつつあります。
近所のスーパーや電気屋、ホームセンターも店の天井が落ちていたり、店自体が傾いていたりと
見るもの、経験するもの、何もかもが信じられない光景で復興するまで全てが初めて経験するものと
なっていくことと思います。
そんな中、以前は挨拶をするくらいだった同じアパートの人達と今回の震災では互いに情報を
共有し、色々助けて頂きました。こんな時はやっぱり人と人の助け合い必要だと実感させられました。
お互いに助け合うことで勇気も沸きました。
電気も水も復旧の目処が立たない頃は、向かいの方々と物を燃やして炊き出しをする案も出ました。
みんな、子供が小さいので子供達には何とか普段通りの食事を食べさせてあげようと必死でした。
その翌日には電気が復旧し、夜の暗闇から開放されました。夜に電気が復旧したのですが
その時、私は一人 外で戦争の様に飛び交う自衛隊やアメリカ軍のヘリコプターを眺めていたのですが
急にアパートの街燈が灯り、嬉しさで近所の全てに聞こえるような大声で「電気が来たー」と
叫んで走りました。
そんな復興を少しづつ実感していた頃は、これから一つづつ良くなるという期待で嬉しかったのですが
最近は先に挙げたガソリン待ちにまつわる犯罪や、無人になった店や被災された方々の家に盗みに
入る話が聞こえてきて、精神的に疲れが出てきています。
復興に向けて頑張っている方々がいる一方で、罰当たりなことをする人間もいるのが辛いです。
リフレッシュを兼ねて、震災後 初めてギャランを洗車してやりました。
水道が復旧してから汲み置きをしていた水の交換がてらその水で洗ってやりました。
以前の様な洗車をしてやるのは、全てが落ち着いてからです。水もまたいつ断水になるか
分かりません。とても大切です。
久しぶりの洗車でだいぶ綺麗になりました。花粉の汚れもひどかったですが、石油コンビナートが
炎上していたのでその影響の汚れもひどかったです。でもこうして洗車できる喜び、生かされている
喜びをこれからも忘れず生きていきます。生かされた者にはこの震災を伝えていく責任があると
思います。格好をつけているのではありません。今回の震災で今までの考え方が全て変わりました。
それ程の経験です。
Posted at 2011/03/27 17:48:57 | |
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