
吾輩は猫である。
名を「メルル」といふ。
些か洋風な名前ではある。
生まれも育ちも生粋の日本であるが、舶来の純な血統ゆえ、「たま」とか「ミィ」とか「ニャア」ではいかんという事らしい。これにはあるじの洋風寓話好きもたぶんに関係していると思はれる。
もっとも「くーにゃん」だろうが「しま次郎」だろうが、此国の一般的な呼び名と同様に、人間の区別的記号性認識用語は、我輩には何の意味もない。
我輩は我輩であり、紛れもなく猫である。
さて、このあるじ。
やたらと我輩に話しかけてくる。
人間同士で会話するより、我輩相手に喋っている方が多いくらいである。
客の悪口、天気の愚痴、洗濯物の多寡、物価に対する不満、料理の盛り付け、自分の親や連れ合いへの皮肉などなど、まったく次から次へときりがないのである。
人間語を解さぬ猫相手ゆえの気安さからであろうが、我輩にしてみればいい迷惑である。
実は我輩が人間の言葉を理解し、それを他人に伝へる事が出来ると知ったなら、さぞ仰天するのではなかろうか。一度試してみたいものである。
あるじ。
機嫌のすこぶる良いときは膝の上であやし抱っこなどもしてくれる。
「たまとり」や「頬ずり」を強要されることもあるが、子猫の頃と違って「人生」ならぬ「猫生」の酸いも甘きも噛みわけた我輩には、正直煩わしいことである。
とはいえ、あるじの膝の上は我輩の特等席であることはいふまでもない。
逆に機嫌の悪い時は、悲惨なものである。
何度這い上ろうが、摩り寄ろうが、けんもほろろにおしのけられ、最後には頸筋(くびすじ)をぎゅうとつかんでそこらへ抛(はふ)り出される始末である。
隣りの「三毛」に聞くところによると、あるじは料理人といふ人間中で一番獰悪(だうあく)な種族であるさうだ。此料理人といふのは時々我々を捕(つかま)へて煮て食ふといふ話で、気紛れさも相まって、いやはや人間とはかくも奇妙で野蛮な生き物である。
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2011/01/04 16:52:11