奉行所での市中見廻りのお役目中に、こんな記念碑を見つけました
▽朝来分校跡記念碑(其の壱)
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(C)鹿之介
なになに、記念碑には
『兵庫県立八鹿高等学校』と
『兵庫県立但馬農業高等学校』の
『朝来分校跡』と刻まれていました

今はご覧のように
『朝来学校給食センター』に変わっているが、ここにはかつて高校の分校が建っていたのですね
▽朝来分校跡記念碑(其の弐)
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(C)鹿之介
裏に回ってみると、学校の歴史が刻まれていました

開校したのが、昭和23年(1948)と敗戦から3年後に分校としてスタートして、およそ30年後の昭和54年(1979)に閉校ですか

30年間で981人の卒業生がこの分校から巣立って行ったのか
こんな記念碑を見つけてしまったら、小生の
『廃なモノ』への情景が、というより勝手な妄想が、物凄い勢いで動き出してしまい、お役目があるにも関わらず周辺の探索に乗り出してしまいました
▽播但線『新井(にい)』駅(其の壱)
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高校と言えば電車通学でしょう、ということで
『新井』駅にやって来ました(播但線は非電化だから気動車通学っていうのかな?)

小生は
『プチ鉄』でありながら、学生時代は一度も電車通学をしたことが無いので、電車通学をしている同級生がとても羨ましかったです
▽播但線『新井(にい)』駅(其の弍)
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ノスタルジックな木造駅舎でございますが、入口横に設置された丸窓は、遊び心のかけらもなく、退屈極まりない現代駅舎にはないアクセントでございます
▽播但線『新井(にい)』駅(其の参)
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(C)鹿之介
待合室でございます

木造駅舎にふさわしく、木製のベンチが置かれています

分校が健在だった昭和40年代には
『新井』駅を利用する学生もいたことでしょう
ベンチにはセーラー服におさげ髪の女学生が、ツルゲーネフの『初恋』を読んでいる
そんな女学生に淡い恋心を抱きながらも、声を掛けられず遠くから見つめることしか出来ない、いがぐり頭の男子学生が待合室の端で彼女のことを横目で見ながら、列車を待っている
少女の向かいのベンチに腰掛ける大人たちは、新聞を見ながら遠い東京の街で繰り広げられる全共闘の学生と警察の攻防戦について、あ~だ、こ~だと喋っている
目を閉じればそんな情景が思い浮かびそうな光景です
▽播但線『新井(にい)』駅(其の四)
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乗降客が少ないためか改札口の片側は閉じられています

かつては急行列車の
『但馬』が停車していたので、駅員さんが今でもおられるのには少しビックリしました

こうして立っていると、今にも
『C57』や
『C11』の蒸気機関車がホームに滑り込んで来るんじゃないかと錯覚しそうになります
播但線を疾走する、かつての主役の映像があったので
▽播但線『新井(にい)』駅(其の五)
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(C)鹿之介
最後に
『新井』駅の全景を収めました
『新井』駅を紹介した動画がありました

駅の雰囲気はこちらの方がより味わって頂けるかなと思います
▽あとがき
分校があった痕跡は今となっては全く見つけることが出来ませんでしたが、ここにはかつて分校があり、981人の学生が学んでいたという事実は存在しています

時代の流れと共に学校も再編され、統廃合ということもあるでしょう

小生が通っていた小学校と中学校も統廃合でなくなってしまいました(小学校は
『京都国際マンガミュージアム』として第二の人生を歩んでいますが…)
そんな朝来の今昔を感じながら今回はここらで筆を収めさせて頂きます
今回、お役目の最中だったので
『iPod』しか持参していなかったので、画像が悪いのはご容赦下さいまし
『にゃご o(^・x・^)o』先生のような綺麗な写真や
『風越 龍』様のような読み手を唸らせる文章を執筆出来れば良いのですが、小生の実力ではこれが精一杯でございます

Posted at 2012/03/19 00:34:28 | |
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