どもども、鹿之介でございます

小生の大好きなWWEのスーパースター
『クリス・ジェリコ』が1年半ぶりに番組に復帰されたので、小生も惰眠を貪るわけにはいかないので復活致しました
「何、誰も帰って来て欲しいとは言ってないだと…」
寄生虫のお前らの戯言は聞こえんなぁ(クリス・ジェリコ風に)
▽クリス・ジェリコ
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(C)鹿之介
嗚呼、ジェリコが帰って来てくれた時は、あまりの嬉しさにテレビに向かって最敬礼でお出迎えをしちゃったよ
まあ、久々の執筆だから何を書こうかと思ったが、小生のお気に入りのプロ野球チーム
『福岡ソフトバンクホークス』に、メジャー帰りの
『岡島秀樹』が入団したから、彼の事についてちょっと執筆してみようかと思います
▽秋山監督と握手を交わす岡島投手
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(C)鹿之介
さて、執筆すると言っても何について書こうかと思うが、今まで特に彼のファンでもなかったので、プロでの活躍はそれ程詳しいわけではありません

でも彼は小生と同郷の
『京都』であり、年も小生のひとつ年下であり、しかも小生の母校
『平安』とは、同じ私学の強豪校としてライバル関係にある
『東山』だったので、否応なく彼の高校時代の活躍は小生の知るところでございました
というわけで、彼の
『東山』高校時代の活躍について執筆してみようかと思いますが、一般的な高校野球ファンであれば、1992年(平成4)春のセンバツ大会 1回戦
岡島秀樹の
『東山』と
小野晋吾(千葉ロッテ)の
『御殿場西』(静岡)の2年生投手対決を思い浮かべるかも知れません

しかし、小生は敢えて翌年の1993年(平成5)夏の全国高校野球選手権大会、京都府予選を取り上げたいと思います
1993年の京都大会は、92・93年のセンバツに出場し、プロ注目の
岡島秀樹投手を擁する
『東山』が優勝候補の大本命

同じく同年のセンバツに出場し初戦でサヨナラ負けを喫し、雪辱に燃える
金進一投手(近畿大)がいる
『北嵯峨』が対抗馬

後にMLBで51勝を挙げた
大家友和投手・倉義和捕手(広島カープ)の
『京都成章』
細谷忍(いすゞ自動車)・茨木久晴(神戸製鋼)・青山真也(JR東海)・巌勝哉(三菱自動車京都)と実力者揃いの
『京都西』(現:京都外大西)
日高一傑(第一経大)・永田誠(日通名古屋)がいる、我が母校
『平安』(現:龍谷大平安)
といった所が穴馬

こんな感じで1993年の京都大会は展開するんじゃないかと言われていました
▽1993年京都府大会トーナメント表(1回~3回戦を抜粋)
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(C)鹿之介
『東山』『大谷』『京都西』コンスタントに8強を狙えるチームが、序盤戦で激突するんですから、小生のみならず京都の高校野球ファンは皆、ハアハアものですよ(;´Д`)ハァハァ
それでは1993年に時計を戻してみましょう
『東山』は優勝候補の大本命に推されながらも、組合せ抽選の結果はノーシードながら実力はシード校と遜色のない
『大谷』『京都西』と同じブロックとなり、エース
岡島秀樹の出来如何によっては早々に消えてしまう可能性もある組合せでした
『東山』は初戦、順当に
『同志社』を降した
『大谷』と対戦することに

長身エース
磯部淳司(島津製作所)・北村吉基(大谷大)等が主力の
『大谷』は、優勝候補の
『東山』にひと泡吹かせるべく、チーム一丸で立ち向かっていったのである

試合は大方の予想通り接戦となったが、勝つというよりも負けないように必死で食らいついていくという
『大谷』の作戦が功を奏し、試合はどちらに転んでもおかしくない状況になりました

しかし、地力に勝る
『東山』がじりじりと
『大谷』を追い詰めていく

好投を続けていた
磯部だがオーバーペースからか
『大谷』の
椹木(さわらぎ)監督に
「磯部がフラフラしていたので交代させた」と言わしめ、2番手の
段畑が
磯部の後を継いでマウンドに上がった

試合は結局
『東山』が
段畑を捉え、4-3の1点差で
『大谷』を振り切る形で、3回戦にコマを進めました
2回戦は
『東山』が苦しみながらも難敵
『大谷』制しましたが、続く3回戦は実績では
『大谷』を上回る
『京都西』が待ち構えていた
『東山』にとっては災難のような組合せであるが、
岡島秀樹のみならずチームの総合力が試される試合になることは誰の目にも明らかであった
試合は
『大谷』との2回戦を彷彿とさせるような展開に…
しかし
『大谷』の捨身の戦法に消耗させられた
『東山』には
『京都西』の挑戦を跳ね返す力は残っておらず、
岡島秀樹の93年の短い夏は終わってしまいました
『東山』を降した
『京都西』は余勢を駆って勝ち進み、準々決勝では我が母校
『平安』と対戦
1993/7/27 準々決勝 平安 VS 京都西
西京極球場
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(C)鹿之介
平 安:日高-石原
京都西:細谷-巌
我が母校
『平安』は1990年(平成2)の26回目の出場以降は、3年連続で府大会ベスト8止まりという結果を受け、名門復権を果たすべく弱冠
33歳の青年監督の招へいという荒療治を行うことになった

それが現監督の
原田英彦監督であり、就任から4年後の1997年(平成9)夏には、甲子園で大会№1サウスポー
川口智哉(元オリックス)を率いて、1956年(昭和31)以来実に41年振りに決勝進出を果たし、惜しくも優勝こそ逃したが、見事名門復活という大仕事を成し遂げている
川口智哉(元オリックス)・炭谷銀仁朗(埼玉西武)・赤松真人(広島)・今浪隆博(北海道日本ハム)・岸本秀樹(広島)と多数のプロ野球選手を育て上げ、教え子からの人望も厚い現在の名伯楽である
▽原田英彦監督
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(C)鹿之介
意思の強さを感じさせる凛々しいお顔でございます
▽アンドレ・ヴィラス・ボアス監督
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(C)鹿之介
こちらは先日、イングランドプレミアリーグ、チェルシーの監督を解任された
アンドレ・ヴィラス・ボアス(以下AVB)でございます
AVBは2011年にポルトガルリーグの強豪ポルトを率いて国内リーグ戦・国内カップ戦・ヨーロッパリーグ戦の3冠を達成し、鳴り物入りでイングランドの名門チェルシーの監督に就任する

就任した年齢は奇しくも
原田監督と同じく
33歳であり、名門復活という託された責務も同じものであったが、2人の結果はまるで正反対のものであった
原田監督も就任2年目の1995年(平成7)は夏の京都府予選で
斉藤和巳投手(元福岡ソフトバンク)の
『南京都』に初戦敗退を屈し、帰りの選手バスをファンに取り囲まれるという騒動があった

試合に負ければ、熱狂的なオールドファンから数え切れないぐらいの罵声を浴びせられる

名門であるが故に、平安であるが故に掛けられる期待値は計り知れない
原田監督も人であるが故にめげることもあったろう、しかしめげても
原田監督は一般人のように立ち止まらないし諦めない、下唇を噛みしめながら前を向いて歩き続けて来たんでしょう

だからこそ、今の
原田監督があると小生は感じています
AVBは短気なオーナー、
ロマン・アブラモヴィッチに切られる形でチームを去ることになったが、オーナーが現場に介入したがる性格でなければ、結果はもう少し変わっていたかも
まあ、プロスポーツとアマチュアスポーツを比較するのも正しいかどうかは分りませんが、
AVBを応援していた小生にとっては気になるトピックスであったので紹介させて頂きました
おっとっと、話がかなり脱線してしまいましたが、結局その年の京都大会を制したのは、ノーシードながら
『東山』『平安』を降した
『京都西』が
『京都成章』の本格派右腕、
大家友和から9回に決勝点をもぎ取って2年連続5回目の甲子園出場を果たしました
1993/7/29 決勝 京都西 VS 京都成章
西京極球場
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(C)鹿之介
京 都 西:細谷-巌
京都成章:大家-倉
そして甲子園でも快進撃を続け

1回戦
『佐野日大』(栃木) 7-2
2回戦
『郡山』(奈良) 4-2
3回戦
『鳥取西』(鳥取) 2-1
あれよあれよと勝ち進み、準々決勝まで登り詰めましたが

準々決勝
『市立船橋』(千葉) 3-8
と、ここで快進撃がようやくストップしました
1993年はこんな感じの夏でしたが、小生は丁度大学1回生の青春真っ只中で、戸惑いながらも大学生活に順応し始めていた頃だったと思います

小生の友人
『M-C』さんは、郷土の
『郡山』が負けて怒ってたっけ

別に
『郡山』は彼の母校ではないのですが、やはり郷土の代表が負けるのは嫌なんでしょうね

小生とふたりで
『京都西』のことをケチョンケチョンに言ってましたね
▽あとがき
岡島秀樹のことについて書き始めた随筆ですが、やっぱり最後はグダグダの内容になってしまいましたね

まあ久々の執筆ということで勘弁してやって下さいまし<(_ _)>