
仙台に住んでいるいとこは大阪の池田出身。
若林区荒浜に家を建てて家族4人で暮らしていましたが、
今回の津波で自宅と車を流されました。
海岸から自宅まで約600メートル。
サーフィン大好きで、毎日のように歩いて波乗りをしに行っていたそうです。
言わば自宅の立地は彼にとっては理想的な場所だったわけです。
それが今回裏目に出ました。
避難した小学校
不思議と津波に耐え、残っている1件の家
ガソリンスタンド
不幸中の幸いは家族4人全員が無事だったことと、会社はなんともなかったので仕事も収入も今までと同じということ。
それと奥さんが小2の娘さんと車で高台に避難していたために、2台あった車の1台が残ったこともよかったと思います。
今は自宅近くのマンションに住んでいます。
今回の震災で仙台中の空きマンション、アパートがすぐに一杯になったそうで、いとこはいいマンションに入れてラッキーだったと言っていました。
オートロック付きの築5年のマンションで、家電も家具もすべて新品。
何も聞かずに招待されたら、ちょっとしたお金持ち?と思わないこともない感じ^^;
しかし実際には買ったばかりの液晶テレビもなにもかも流され、すべての生活用品を新たに買う羽目になったという非常に辛い状況です。
こんなもん大人買いやで、と本人は言っていましたが。
家の2階部分が遠いところでそのまま見つかって、中の学習机や写真や服は無事だった・・・というのがすごい!
これがその学習机
ここまで被害が大きくなったのは、津波の到着が遅かったせいらしいです。
現地では停電で何の情報も入ってこず、1時間以上なにもないのでやっぱり今回も何もなかった…と自宅に帰った方が被害に遭われた。
実際いとこも自宅に戻ろうとした矢先に遠くで「津波だ!」という人の声を聞き、避難していた学校に戻った瞬間に津波が来た、ということでした。
家の2階以上の波がものすごい速度で一気に来たようで、「津波に飲み込まれたら泳いだり出来ないのか」という私の馬鹿な質問に対して「あんなん、即死ちゃう?」と言ってました。
自宅跡に連れていってもらいましたが、ここが住宅地だったとは思えない、家の基礎だけ残っている不思議な空間。
自宅跡地で笑顔のいとこ
この場所には建築許可は下りないのでもう住むことはできないようですが、少し離れた、津波は来たものの建物は無事だったという家は普通にみんな生活していました。
家を一度も見れなかったのは残念だったものの久しぶりにいとこに会い、話は震災のことばかりでしたが何よりみんな元気そうでよかった。
発つときに「また来るわ、とはなかなか言えない距離やけどな」と言うと「家立てたらまた来て!」と笑顔で送り出してくれました。
というわけで宮城から三重の自宅に向かってのドライブがスタート!
天気は予報では大雨。
天気予報の雲の動きで帰りは新潟を通るルートにしました。
東北道から常磐道、北陸道、東海北陸道、名古屋高速、東名阪で伊勢道というコースです。
雨は予想より少なめで、常磐道はガラガラ。
北陸道で少し雨が降り始め、東海北陸道からは本降りでした。
東海北陸道、川島PA
雨が降り始めた地点から自宅まで約300km。
すでに夕方で完全にナイトドライブ。
これが今回もっとも疲れました。
夜の雨降りは白線を見るだけでたいへん。
しかも睡魔が襲ってきてまさに必死で運転しました^^;
仙台を11時前に出発して家についたのが深夜0時55分。
今日は約14時間、896kmのハードなドライブでした。
最終日、自宅についた時のメーター
これで5泊6日のロングツーリングも終了。
トータル4,110km、使用したガソリンは約174㍑、平均燃費は23.58km/Lという結果でした。
6日間で4千㌔以上を一人で運転しましたが、最後の雨中以外はほとんど疲れることなく運転することができました。
POLO君のすばらしいシートが最大の功労者(貢献パーツ?)かと思います。
今回はPOLO君も絶好調で何一つ文句を言うことはありませんでした。
一応積んでいったオイルも補充しなくてよかったしね!
こんなロングドライブはそうそう出来ませんが、ここまで気持ちよく運転させてくれるとまたどこかへ行きたくなります。
今度はディズニーランドぐらいに行きたいなー!
Posted at 2011/10/23 23:13:50 | |
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