黄金森公園の駐車場は、運動会の参加者で賑やかだった。丘側の柵に、沖縄陸軍病院壕への案内板があるので迷わず行ける。
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丘の側面を登る遊歩道を進むと急に閑散となった。少し歩くと斜面に20号壕の見学路出口があった。この近くに医薬品・医療器具約200点あまりが埋められていたそうだ。撤退の時に一時保管のために埋めたそうだ。
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更に歩くと道の左側に、少し広くなった草地があり、モニュメントが三個並んでいた。
いちばん左が、鎮魂の和歌が二首、刻まれた碑。 |
中央は、鎮魂と平和の鐘。鳴らしてみる。「カーン!」と鋭く響く音だった。
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そしていちばん右側には、憲法九条の条文を刻んだ碑があった。
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もし憲法が変更されてこの条文が無くなっても、翌日から即戦争とはなる訳ではない。だが、軍事に関連する様々な法整備を進める事が可能になる。子や孫の代、どうなってしまうのだろう。
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遊歩道を挟んでモニュメントと反対側に、20号壕の入口受付がある(撮り忘れた)。入場料を払う。ヘルメットと懐中電灯が貸し出され、待機していたガイドさんが自己紹介して案内してくれる。
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この付近から見つかった爆弾の破片。重い。刃の様に鋭いから気をつけてないと手を切る。炸裂した熱で赤く焼けているのだそうだ。このような破片が多数飛んでくる。当たればどうなるか想像に難くない。
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ひめゆり学徒隊が派遣された当初、病院壕(20号壕)は掘削の最中であり配属される診療科も未定であった。その間、隣にある24号壕に滞在したそうだ。20号壕を掘る作業にも動員された。ツルハシでの作業である。
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何年か前に24号壕は落盤してしまい現在は近づけない。行き止まりの壕であり奥で酸欠が起こる危険もあるそうだ。当時は蝋燭を携行し炎が細くなったら即退避したそうだ。
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20号壕へ入る。入口は施錠してある。壕内の撮影はOKだがネットへの掲載は遠慮して下さいとのことだった。照明は無い。温度湿度が計は20℃・80%を示しており壁面は結露していた。
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壕内の説明は、別稿で書く。言葉を失う内容だった。最後に懐中電灯を消してみる。目を凝らしても真っ暗だった。出たところでガイドは終了。外の明るさに安堵する。
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