今日は、愛知県と岐阜県の県境にある、JR中央線愛岐トンネル群と呼ばれる廃線跡を見学に行ってきました。
この廃線跡は「愛岐トンネル群保存再生委員会」というNPO団体が管理している所で、年に2回見学会を開催しているようです。
ここは中央線が庄内川沿いを走る区間で、現地でもらった資料によると、明治33年(1900年)に国鉄中央線が開通して、昭和41年(1966年)に複線電化されるまで使われていた区間だそうです。
(現役の線路はもっと山の中の方を長いトンネルで貫いています。)
廃線になってからはずっと放置されていたのが、平成18年(2006年)にトンネル群が発見されて、翌年から再生活動がスタート、平成19年(2008年)から一般公開しているとのこと。
ただ、この発見劇はちょっと大袈裟じゃないかなぁ・・・とも思ったり。
小さい頃、庄内川を挟んでJRの対岸を走っている愛岐道路を通ることがしばしばありました。
その当時にも対岸の山肌には一本の筋が見えていて、父親やおばあちゃんから「あれが昔の中央線の跡だよ」教えられていたんですよ。
確かトンネルっぽいのも見えていたような・・・。
まあともかく、昔からそこにあったのは間違いないんですが、注目を浴びだしたのは最近になってからということですね。
見学には定光寺駅で下車して、そこから岐阜方向に少し歩きます。
しばらく川沿いを歩いた後、めちゃくちゃ急な階段を上って一気に線路跡へ。
まず目にするのが、この3号トンネルです。
明治時代に作られたトンネルなので、総レンガ造りですよ!
手前のコンクリートの壁はもっと後になってから作られたものでしょうね。
ちなみに何で最初が1号じゃないのかと言いますと、1号、2号トンネルは定光寺駅よりも名古屋寄りにあって、JRの保線用通路として現役?だからです。
近づくと「ほぇ~(@o@)」と思わず声が出てしまいます。(笑)
何というか、お洒落ですよね。
現代の飾りっ気も何もない、コンクリートのトンネルとは全然違います。
また、開通当時は蒸気機関車ですから、煤で黒くなっていました。
中は真っ暗!
入り口付近と違って、中の方は本当に煤だらけの真っ黒黒なので、余計に暗く感じるのかも・・・。
一般公開はされていますが、当時のままの姿を保つためなのか、照明器具等は一切ありませんので、懐中電灯が必須です。
外は、こんな風に右手に庄内川を見ながら進んでいきます。
地面にはバラスト(砂利)がまだ残っていて、雰囲気はありますが歩きにくいです。
このような外の区間は雨なんかで大分流出しちゃっているようですが、トンネル内はかなりしっかり残っているので、注意しながら歩かないと足を挫きかねません。
こちらは5号トンネル。
トンネルの脇にある三角の壁の部分を「翼壁」というそうですが、本当に綺麗に残っています。
これが出来たの明治33年ですよ!
西暦でいうと1900年なので、今から112年も昔のトンネルがこんなにしっかり残っているなんて驚きです。
4号トンネルをすっ飛ばしてますが、もちろん写真は撮りました。
が、人が多くてどうしてもいろんな人の顔が入っちゃうんですよね。
なので、この場で紹介するのはあまり顔が写ってないものだけにしました。
6号トンネルの入り口では、ボランティアの方がレンガ造りのトンネルの構造を解説してくれました。
一見、規則正しく淡々と積み上げられているように見えますが、色々細かく考えられて積まれているそうです。
また、壁はコケや煤で汚れてはいますが、崩れそうな雰囲気は微塵も感じません。
だからそこ、こうして公開できるんでしょうけどね。
これは、その6号トンネルの出口を振り返って撮ったもの。
見学できるのはここまででした。
行き止まりの先には川があるのですが、橋は撤去されていて、レンガと石で造られた土台だけが残っていました。
また、川を隔た向こう側は岐阜県で、そちら側の地権者の同意が得られず、廃線跡の調査や公開といった話は進んでいないようです。
この一番奥まで約1.7㎞。
戻る途中で昼食のおにぎりを食べて、また定光寺駅から帰路に付きました。
全部で2時間くらいでしたかね~。
個人的にはちょっと短かった印象。
岐阜県側も整備・公開されることを期待します。
ネットで調べると、トンネル自体は何個か残っているようなので。
ちなみに、今回の公開は今日が最終日で、次回は秋だそうです。
もみじがいっぱいあったので、紅葉シーズンは絶景でしょうね!
是非、秋の公開も行ってみたいです。
Posted at 2012/04/30 18:01:36 | |
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