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のり太郎・再のブログ一覧

2012年04月30日 イイね!

中央線 愛岐トンネル群 見学(長文・写真多数)

今日は、愛知県と岐阜県の県境にある、JR中央線愛岐トンネル群と呼ばれる廃線跡を見学に行ってきました。
この廃線跡は「愛岐トンネル群保存再生委員会」というNPO団体が管理している所で、年に2回見学会を開催しているようです。

ここは中央線が庄内川沿いを走る区間で、現地でもらった資料によると、明治33年(1900年)に国鉄中央線が開通して、昭和41年(1966年)に複線電化されるまで使われていた区間だそうです。
(現役の線路はもっと山の中の方を長いトンネルで貫いています。)
廃線になってからはずっと放置されていたのが、平成18年(2006年)にトンネル群が発見されて、翌年から再生活動がスタート、平成19年(2008年)から一般公開しているとのこと。

ただ、この発見劇はちょっと大袈裟じゃないかなぁ・・・とも思ったり。
小さい頃、庄内川を挟んでJRの対岸を走っている愛岐道路を通ることがしばしばありました。
その当時にも対岸の山肌には一本の筋が見えていて、父親やおばあちゃんから「あれが昔の中央線の跡だよ」教えられていたんですよ。
確かトンネルっぽいのも見えていたような・・・。

まあともかく、昔からそこにあったのは間違いないんですが、注目を浴びだしたのは最近になってからということですね。


見学には定光寺駅で下車して、そこから岐阜方向に少し歩きます。
しばらく川沿いを歩いた後、めちゃくちゃ急な階段を上って一気に線路跡へ。

まず目にするのが、この3号トンネルです。
明治時代に作られたトンネルなので、総レンガ造りですよ!
手前のコンクリートの壁はもっと後になってから作られたものでしょうね。



ちなみに何で最初が1号じゃないのかと言いますと、1号、2号トンネルは定光寺駅よりも名古屋寄りにあって、JRの保線用通路として現役?だからです。




近づくと「ほぇ~(@o@)」と思わず声が出てしまいます。(笑)
何というか、お洒落ですよね。
現代の飾りっ気も何もない、コンクリートのトンネルとは全然違います。
また、開通当時は蒸気機関車ですから、煤で黒くなっていました。




中は真っ暗!
入り口付近と違って、中の方は本当に煤だらけの真っ黒黒なので、余計に暗く感じるのかも・・・。
一般公開はされていますが、当時のままの姿を保つためなのか、照明器具等は一切ありませんので、懐中電灯が必須です。





外は、こんな風に右手に庄内川を見ながら進んでいきます。
地面にはバラスト(砂利)がまだ残っていて、雰囲気はありますが歩きにくいです。
このような外の区間は雨なんかで大分流出しちゃっているようですが、トンネル内はかなりしっかり残っているので、注意しながら歩かないと足を挫きかねません。


こちらは5号トンネル。



トンネルの脇にある三角の壁の部分を「翼壁」というそうですが、本当に綺麗に残っています。
これが出来たの明治33年ですよ!
西暦でいうと1900年なので、今から112年も昔のトンネルがこんなにしっかり残っているなんて驚きです。

4号トンネルをすっ飛ばしてますが、もちろん写真は撮りました。
が、人が多くてどうしてもいろんな人の顔が入っちゃうんですよね。
なので、この場で紹介するのはあまり顔が写ってないものだけにしました。


6号トンネルの入り口では、ボランティアの方がレンガ造りのトンネルの構造を解説してくれました。



一見、規則正しく淡々と積み上げられているように見えますが、色々細かく考えられて積まれているそうです。
また、壁はコケや煤で汚れてはいますが、崩れそうな雰囲気は微塵も感じません。
だからそこ、こうして公開できるんでしょうけどね。


これは、その6号トンネルの出口を振り返って撮ったもの。



見学できるのはここまででした。





行き止まりの先には川があるのですが、橋は撤去されていて、レンガと石で造られた土台だけが残っていました。

また、川を隔た向こう側は岐阜県で、そちら側の地権者の同意が得られず、廃線跡の調査や公開といった話は進んでいないようです。


この一番奥まで約1.7㎞。
戻る途中で昼食のおにぎりを食べて、また定光寺駅から帰路に付きました。
全部で2時間くらいでしたかね~。
個人的にはちょっと短かった印象。
岐阜県側も整備・公開されることを期待します。
ネットで調べると、トンネル自体は何個か残っているようなので。

ちなみに、今回の公開は今日が最終日で、次回は秋だそうです。
もみじがいっぱいあったので、紅葉シーズンは絶景でしょうね!
是非、秋の公開も行ってみたいです。
Posted at 2012/04/30 18:01:36 | コメント(1) | トラックバック(0) | 廃線探訪 | 趣味
2011年08月15日 イイね!

岐阜県・東濃地方 ダム巡り おまけ 北恵那鉄道・廃線跡

ダム巡りでせっかく恵那まで来たので、もう少し北まで足を伸ばして、ある有名物件を見てくることにしました。

その物件とは、1978年(昭和53年)9月18日に廃止された、北恵那鉄道の廃線跡です。
北恵那鉄道は中津川と付知を結んでいました。
先ほど見てきた大井ダムの完成によって、付知川を使った木材の運搬が出来なるなることへの補償として建設されたようです。

というわけで、目的地へ向かいます。
その途中こんなものを見つけました。

(写真をクリックすると大きくなります)



橋の下に橋があります。
上は現役の自動車橋。
下が北恵那鉄道の廃橋です。




『第一中津川橋梁』というそうです。
なんか橋の上まで草が生えていますが、ペンキを塗り直せばまだまだ使えそうな感じです。(笑)

と、思いがけず別の遺構を見ることができ、気分良く本当の目的地に向かいます。




はい、これが目的の物件。
わかりますか?
木曽川に掛かる鉄橋があるのを。
これが北恵那鉄道最大の遺構、『木曽川橋梁跡』です。



上流の橋から撮った図。
逆光になってしまいました・・・。(泣)

これだけ大きな構造物が残されているのは驚きです。
危ないので撤去されてしまうことが多いのですが・・・。

一応、橋の近くまで行ってみたんですが、藪がすごくて近づけそうにありませんでした・・・。
やっぱり、廃線跡は草木が枯れ始める秋か、新芽が芽吹く前の春に行った方がよさそうですね。


このあと、付知までの廃線跡を辿ろうかと思ったんですが、肝心のガイドブックを忘れてきてしまい、どこに線路跡があるのか分からず断念しました・・・。(泣)
また、次の機会に辿ってみようと思います。
Posted at 2011/08/15 13:36:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 廃線探訪 | 趣味
2010年10月24日 イイね!

大崩海岸ドライブ

今日は、静岡県焼津市と静岡市の間にある『大崩海岸』に行ってきました。
地図だとこんな感じ。



今では県道416号線となった海沿いの道を行きます。

少し前まではこの道が国道150号線として、国道1号線と並ぶ浜松~静岡間の重要路線だったのですが、『狭い・曲がる・落ちる』とあまりいいことがない道だったので、今では新幹線の脇をトンネルでぶち抜く広い道に付け替わっています。

なんてって名前が大崩海岸だしね・・・


ちなみに、地図上で道路が海へ張り出している区間がありますよね?
ここは、文字通り崖が大崩れして、陸地にあった道を押しつぶしたため、海上に新しい道を作ったのです。
そして、このがけ崩れに巻き込まれ、1人の方が亡くなりました・・・。
現場はほとんど崩れた当時のまま残っており、落石避けの洞門も潰れた無残な姿を晒しています。
かなり衝撃的な風景が広がっていますが、人が亡くなられた現場ということで、写真は撮りませんでした。

そしてもう一つ、ここにはある名物があります。
それが、旧東海道線のトンネル跡。
今でこそ、東海道線は少し内陸に入ったところをトンネルで抜けていますが、昔は海岸線を走っており、そこに2本のトンネルがありました。
このトンネルは明治時代に作られたかなり古いものです。
しかも、このトンネルの出口部分が崩壊して海岸に転がっているというのです。
これは見に行くしかないでしょう!(^^;)


というわけで、転がってるトンネルを見に、大崩海岸へ。
今回は焼津方から入っていきました。


まず、国道150号線から別れ県道416号線に入ると、こんな感じで狭い山道を登っていきます。


しばらくすると、目の前にド~ンと白い旅館が表れます。
背の高い建物が山の上に立っているので、かなりインパクトが・・・。


そして、その旅館の脇のトンネルを抜けると・・・


一気に風景が変わります。
これは、劇的と言ってもいいくらい。
それまで海の雰囲気は全く感じない山道だったのに、いきなり断崖絶壁に張り付く道に豹変します。
が、残念ながらこの道の写真はこれだけ。
ここはまだ直線が長く、景色を楽しむ余裕がありましたが、この先は狭い上にカーブが多く、カメラを構えてる余裕がありませんでした・・・。

そして、今日ここへ来た最大の目的。

期待外れ?でゴメンナサイ。
この写真は、海上橋の焼津方の袂にある駐車スペースから、焼津方面を見たもの。
赤い煉瓦の塊が、かつてトンネルだったものです。
煉瓦造りってのが趣があっていいですね。
そして、この煉瓦の塊の向こうにグシャグシャっと転がっている岩のようなもの達は、かつての護岸です。
なんで、こんなことになっているのかというと、1948年(昭和23年)9月16日に来襲したアイオン台風で地盤ごとゴッソリもって行かれたそうです。
また、去年この辺りを襲った地震でも、少し崩壊が進んだとかしないとか・・・。

事前情報では、あの護岸の方からアプローチできるはずだったんですが、その道がどうしても見つかりませんでした・・・。
ネットで『大崩海岸 トンネル』なんて検索をかけていただければ、もっと衝撃的な絵を見ることが出来ます。

今日はパラパラと雨が落ちていたのと、ここは本当に狭い道で、車を止めて探し回る、なんてことは到底不可能な所で、あの海岸に降りられたら、もっと間近で迫力のある風景が生で見られたと思うんですが、本当に残念です。

なので、なんとしてもリベンジしたいですね。
大波にさらわれて、あの遺構が海に流される前に。(^^;)


最後に一つ。
実は、自分がこの道を通ったのはこれが初めてではありません。(^^;)
もう3、4回は通っています。
なのに、海上橋の横にある崖崩れ現場も、東海道線のトンネル跡も全く気付いていませんでした。
トンネルはともかく、がけ崩れ現場は橋から横を見れば目の前にあったにも関わらず・・・。
(カメラを構えている人が一杯居て、不思議に思った事はありましたが・・・)
海の上のカーブした橋ということで、あまり余所見している余裕も無いところではありますが、自分の視野の狭さには驚かされますね。(^^;)
Posted at 2010/10/24 23:50:26 | コメント(3) | トラックバック(0) | 廃線探訪 | 趣味
2010年10月17日 イイね!

静岡鉄道駿遠線跡 探訪 1回目

静岡鉄道駿遠線跡 探訪 1回目









今日は、静岡鉄道駿遠線の跡を見に行ってきました。
静岡鉄道駿遠線は、今の藤枝から御前崎を経由して袋井まで64.6kmを結んだ軽便鉄道です。
ちなみに、64.6kmというのは軽便鉄道としては日本最長だそうです。

起点は藤枝なのですが、自分のアパートからは袋井の方が近いので、そちらから見ることに。
初めは、袋井から御前崎、藤枝まで行って、さらには焼津の東の大崩海岸にある旧東海道線跡まで見に行こう、なんて大それた事を考えていましたが、結局、御前崎に入ったところで日没サスペンデッド・・・。
予定の1/3も達成できませんでした・・・。(^^;)

敗因としては、
・アパートを出発したのが午前11時半頃と遅すぎたこと。
・廃線跡がどこにあるのか、事前にしっかり情報収集をせずに行って、廃線跡を探し回ったこと・・・。
・一度廃線跡を見つけると、それが結構長く、歩いて回るのに時間が掛かったこと。

とにかく、足が疲れました。
初めに見つけた跡なんて、歩くのに1時間半・・・。
自分は車で行ってるので、一旦歩き出したら、車をとめてある場所まで戻ってこないといけないんですよね。
なので、常に見つけた距離の2倍を歩くハメに・・・。
健康にはよさそうですけどね♪

写真の場所は、基本的に平地を走ってる駿遠線が、珍しく山の斜面を掠めるように走っていた場所。
ここの近くで、息子さんが60歳になるというおじいさんにあって、色々話を聞けました。
やっぱり、現役時代を知ってる人の話は面白いですね♪


というわけで、いつか残りの区間も見に行かねばなりません!
Posted at 2010/10/17 20:04:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | 廃線探訪 | 趣味
2010年10月16日 イイね!

名古屋 南方貨物線跡 探訪

名古屋 南方貨物線跡 探訪










まず初めに、一言おことわりを・・・。

この記事は9月20日のお話で、初めはyah○oのブログに載せていたんですが、ブログを2つ管理するのが面倒になったので、こちらにごっそり転載することにしたものです。(^^;)


以下、yaho○ブログからそのまま引用。


9月三連休の最終日、東海道本線大府から名古屋貨物ターミナル駅までを結ぶ予定だった『南方貨物線跡』を見てきました。

といきなり書かれても、『南方貨物線』とは何ぞや?という人も多いと思います。
そういう自分も、1981年に名古屋で生まれ、それからずっと名古屋で過ごしてきたのに、その存在をまったく知らずに生きてきました。(^^;)

少し解説しますと、名古屋駅のすぐ隣の笹島駅で貨物の取り扱いをしていた昭和40年代に、笹島駅が手狭になっきてた為、西名古屋港線の途中に名古屋貨物にターミナルを新設することになりました。
また、速度の遅い貨物列車が東海道本線を圧迫する、といったことを解消するため、大府駅から貨物線を新設して東海道本線を複々線に拡張し、笠寺からは新幹線の脇を併走するように西進させて(途中で新幹線は北上するが、こちらは西へ直進)、途中名古屋港線も飛び越え(連絡線も計画)、名古屋貨物ターミナルの少し南で西名古屋港線と合流し、稲沢まで一本のルートを通す目的で計画されたのが『南方貨物線』でした。

南方貨物線が無いと、東海道本線を下ってきた貨物列車がこの新ターミナルへ入るには、一旦稲沢まで北上しそこで貨物線に入り名古屋駅まで逆走(東海道線から貨物線に入る分岐は稲沢駅にしかないのです、何故か・・・)、そこから西名古屋港線を通って名古屋貨物ターミナルへ、というメンドクサイことをしなくてはなりません。
もちろん、上り列車も名古屋貨物にターミナルで荷扱いをした後、また稲沢まで戻ってから東京方面へ向うことになります。
(とはいえ、笹島駅も稲沢からの貨物線でしか進入できない構造であったので、折返し運転が必要なのは一緒ですが・・・)

しかし、当時物流の主役がトラックへ移りつつあり、国鉄による貨物輸送は激減。
1967年(昭和42年)から工事が始まり、1975年(昭和50年)までにほとんど工事は終わりあとは線路を引くだけ、という段階までたどり着いたのですが、沿線から反対運動も持ち上がった為、1979年(昭和54年)に計画は中止となってしまいました。
現在では、名古屋貨物にターミナルだけは開業したものの、南方貨物線が中止されたおかげで、稲沢までの折り返し運転を強いられています。

というわけで、こんな昔から名古屋の地にあった『南方貨物線跡』ですが、ネットで調べると、まだ立派な高架線がかなりの部分残っている模様。
デジカメも新調したところだったので、探索に行ってきました。


写真部分は省略


総工費約345億円もかけて建設された南方貨物線ですが、結局一度も使用されないばかりか、約300億円かけて撤去工事が進められています。
撤去した跡地の売却も進められていますが、回収できるのは40億円程度だそうです。

一度はあおなみ線と接続して東海道本線のバイパス線として開業する案も浮上しましたが、当時の東海道本線の混雑率(約135%)では意義は薄いとされ、見送られました。

ただ、今回の探索では結構な人口密集地を走っているように思えました。
途中には大きなショッピングセンターやマンション密集地、住宅街があります。
東海道本線のバイパス線としては意義が無いかもしれませんが、この地域の人たちの新たな需要はあったのではないかと思います。
これだけ大きな構造物が何も利用されないまま取り壊されていくのは、本当に残念なことですね・・・。


以上、転載おわり。(^^;)

というわけで、南方貨物線には一度も列車が走っていないので、正確には『廃線』ではなく『未成線』でした。

写真部分はフォトギャラリーにて・・・。
Posted at 2010/10/16 17:45:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 廃線探訪 | 趣味

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生まれも育ちも愛知ですが、今は勤務先の静岡に住んでます。 フォレスターを2台 8年乗った後、憧れだった3シリーズ ツーリングのオーナーになりました。 ...
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