急に
『松山へ行きたい』という感情が湧いたので。
どんくらい突然かって、そりゃもう
小田和正の某ラブ・ストーリーくらいしか
他に例を見ないクラスの瞬間風速ですよ。
まぁ、当初GWに予定していた松山旅行が
YB-1の不調で一時棚上げになっていましたから
鬱憤が溜まってたんじゃないですかね(他人事)
と、いうわけで、リュックひとつに最低限の整備工具と着替えなどを詰め込み
まったくもってノープランのままYB-1のペダルをキックした6月11日の午前8時。
旅のお供にはiPod。流れてくるのは2003~2006年に発表された曲たちのプレイリスト。
私が学生の頃に流行っていた曲たちである。
ああ、そういえば思い出した。
YB-1ってのは、私が学生の頃に欲しくてたまらなかったバイクだ。
何の因果か社会人になったいま、YB-1がひょんなことで私の愛馬になって、
まさに今、そいつにまたがって学生時代を過ごした街へ向かって走っている。
なんとなく、タイムマシンに乗ってるような感覚になる。
道程は順調に進み、まずは
大分市佐賀関の国道九四フェリー乗場へ無事到着。
フェリーのほうも特に混んでいる様子はなく、乗船手続きもあっさりと終わる。
私と同様に原付(ホンダ カブ50)で四国へ渡ろうとしている青年と意気投合し
おかげで船上での時間は退屈することなく過ぎていった。
ちなみに水曜どうでしょうのファンだってさ。やっぱりな。
1時間ちょっとで、つつがなく三崎港へ上陸。
高知を目指すというカブの青年と道を分かれ、当方が目指すは松山市。
三崎~八幡浜~大洲~伊予~松前の内陸側コースで距離にして100km弱。
数字を見るとなかなかにえげつないが、特にトラブルもなく15:00頃には
松山駅前に到着。
さて、早速だが10年前の自身の足取りを辿ってみることにする。
まずはなんといっても我が母校、
愛媛大学。
ゼミでお世話になった先生の手引きもあり(事前にメールしていた)
本来なら既に部外者のはずの私が大義名分を得て学内へ入ることができたうえ
先生と学内のカフェで茶をしばきながら昔話に花が咲いた。
写真掲載は憚られるので控えるが、
10年経てば学内の様子もすっかり変わるもので
新しく建てられたであろう校舎や、改装された建物が散見される。
私が在籍していた学部・学科も大きく改組されたのだそうだ。
悲しいことであるが、愛大のアイドルだった老犬
“ハナちゃん”の姿も見当たらなかった。
すれ違う現役愛大生たちの『ウェーイwww』的なノリが懐かしいと同時に、なんだかむず痒くもある。
所変わって、こちらはかの有名な
道後。
市内環状線(路面電車)の道後温泉駅と、向かいにあるカラクリ時計、そして道後温泉本館である。
学生時分は特に感慨など無かったのであるが、時が過ぎると来てみたくなる不思議。
結構な数の友人達が旅館でアルバイトをしていたっけな。
道後から移動し、
当時私が住んでいた地区へ。
環状線勝山駅から歩いてすぐのところで、大学へは自転車で10分かからないくらい。
大街道(繁華街)へは自転車で5分。南側にはかつて高校野球で一世を風靡した松山商業高校。
北西側には松山城の天守閣が見えるという、よくよく考えたら何気に好立地。
4年間アルバイトをしていたコンビニも歩いて2分の距離であった。
なお、
そのコンビニは既に潰れていた。 あゝ無情。
本日のお宿は、その潰れたバイト先のすぐ向かいにある
アビスイン道後松山。
予約無しの飛び込みで泊まれました(そのまた近くの東横インは空室なし)
しかしまぁ、
かつての住まいとバイト先のすぐ横で宿を取るってのも
考えてみればなんだか妙なもんである。
とりあえず宿を確保したところで、昔つるんでいた友人からの連絡を待つ。
友人は既に結婚して、現在は今治市の住人となっているが
私がバイクで松山に向かった旨を事前に伝えたところ
『松山と今治の中間地点で会おう』と。
指定されたのは
“道の駅 風和里”。車で行けば30分程度なので、原付だと・・・ まぁ、今は考えまい。
シャワーで汗を流し、とりあえず腹を満たすことにする。
せっかくなので城北方面へ向かい、昔よく行った飯屋を巡ってみるが
太洋軒・・・潰れてる。
ビブ・・・場所を忘れた。
キリン堂・・・潰れてる。
味楽来瑠・・・開いてない。
ハイカラ亭・・・なんか違う。
プーの森・・・潰れてる。
あとなんか清水町の・・・何だったっけ、思い出せない。
というわけで、最終的に中華屋
“元帥”に決定。
まぁ、ここで“からあげ焼き飯”を食べればまず間違いない
と、思っていたのだが・・・
思いのほか量が多く感じるんですね。
おかしいなぁ、昔は普通に食べてたんだけどなぁ・・・
えっ、もしかして俺
おじさんになったの?(32歳 男性)
ちなみに、学生の群れに混ざって
ソロでからあげ焼き飯を食らうおじさんの姿は
今をときめく学生たちからすれば、さぞかし奇異なものに写ったことだろう。
そうこうしているうちに友人から連絡が来たので、指定場所へ向かうことに。
高砂町から本町~山越~堀江を抜け、JR予讃線と併走する。
所要時間のことは考えないようにしていたので、どのくらいかかったかは覚えていないが
今治から走ってきた友人とほぼ同じタイミングで目的地に到着できた。
友人の駆るカワサキ エストレヤとの一枚。
私がYB-1を欲したのは、元々こやつが乗っていたスズキ コレダ50に影響されてのことだが
現在は眠りについているらしく、共演は叶わなかった。
しかしまぁ、学生時代の友人ってのは良いものだ。
10年振りに会っても、あの頃となんら変わらない会話が出来る。
お互い歳を取って、言葉の端々に若干ある種の哀愁は漂ってきたものの
それを差し引いても“気の置けない友人”とはこのことを言うのであろう。
気付いたら、年甲斐もなく日付が変わるまで話し込んでしまっていた。
酒の力を借りずにこんなに間が持つというのも、要するに
“学生時分のノリ”そのものである。
後ろ髪を惹かれる思いで別方向へ走り出す。
再会は近い将来か、また10年の時があくのかはわからないが、どうか達者で居ておくれ。
深夜の冷えた風に晒されながらホテルに辿りつき、眠りに着いたのは3:00近く。
何の因果か、
10年前の私が深夜のコンビニバイトに出勤する頃合であった。
鍋本舗(22歳)が働く頃、鍋本舗(32歳)が入れ替わる様に眠りに着いたわけですなぁ。
翌日は7:00に起床。適当にホテルのバイキング飯を喰らい
しぶりんのTシャツでいざ出発です(脈絡なくアイマス要素を入れてくるPの鑑)
まずは
大街道~銀天街~松山市駅にかけて、YB-1を押しながら徒歩で散策。
びっくりしたのが入口しょっぱなのラフォーレと、明屋書店がなくなっていたこと。
よく行っていたお店は潰れたか移転したか知れず。皆大好きロックもなくなっていました。
ランドマークである松山三越といよてつ髙島屋の安定感はどこかホッとしますが。
ガンプラを買い漁った“富士教材”は健在で、私の心のユグドラシルは守られましたね(?)
当時はまったくノーマークでしたが、噂の清まるもひっそりと。
あとは漸くYB-1にまたがり
市内環状線(路面電車)沿いに印象的な風景を数枚撮ったところで
まさかの雨が降り始め、散策もほどほどに切り上げて三崎を目指すことに。
往路が内陸側だったからという単純な理由で、復路に
予讃線沿いの海岸線コースを選択。
天気の良かった初日に海岸線沿いを走れば気持ちがいいものを・・・ これは逆にすべきでした。
コンビニで買った安物のレインコートで雨風をなんとか凌ぎながらの行軍。
伊予~長浜あたりを走っている折に雨足は一番強くなり、雨粒が痛いのなんの。
よりにもよってジェットヘルメットのバイザーなしタイプですし。
ペースを早めればそれだけ早く港に到達できるが、その代わりに雨粒と風でダメージ倍増。
逆に遅くすれば走行中のダメージは減るものの、ダラダラと雨に打たれる時間が長くなる。
どっちにしろ体力を奪われるという非常にもどかしい選択ではありましたが
出来れば明るいうちに自宅まで帰り着きたかったので、体を小さく丸めて強行突破。
おかげで15:30発の船になんとか間に合い、その便最後の乗船客として滑り込み成功。
船室で暖かいカップ麺をすすり、毛布に包まって体力の回復をはかるも
降り立った大分側も雨には変わりなく、むしろ愛媛側より雨風が冷たい感さえある。
辟易しつつも、引き続き由布市までの道程を雨中行軍。
結局自宅に到着したのは19:30頃だったと記憶しております。
さて、今回の旅は移動総距離およそ350km。燃費は約25km/Lと伸び悩みましたが
道程のアップダウンを考えれば、まぁこんなもんでしょうか。
何より
“学生時代に欲しかったバイクで学生時代を過ごした街を走り回る”
という荒唐無稽な企みはとりあえず達成できたので、満足であります。
次は装備を万全なものにして
より計画的な旅をしようと思います。
※懲りておりません
≪6/23追記≫
本ブログでふれました、愛大のアイドル犬“ハナちゃん”は
残念ながら、2015年1月に帰らぬ犬となったようです。
御冥福をお祈り致します。