最終?ポチり第4弾が到着しました!ww
(これ以上はちょっと家庭的にマズいので一旦中止www)
どうもパート2のシークレット品だったみたいで結構な高値ですが、たまたまお安く入手出来ました。
Bトレインショーティのクモハ42(ブドウ色)です。
本当の初期型タイプのBトレインショーティなので興味本位の調査目的での入手なんです。
クモハ42は20mの2扉クロスシート車体の両運転台式の制御電動車です。
1933年に合計13両だけ造られた戦前の旧型国電なんですね。
日本車輛製造(001~004)4両
川崎車輛(005~009)5両
梅鉢鐵工所(元:帝国車輛製造、現:総合車両製作所)(010~013)4両
002・004・006の3両だけがパンタグラフが偶数(下り)向きに装備されていました。
クロハ59との編成の関係からこの3両だけとなっていますが定かではないようです。
東海道本線電化により京阪神間の私鉄との競合から製造された車両ですがモータは100kwと小さく劣勢だったようです。
やはり戦前の関西では私鉄が圧倒的に強かったんですね。
そして戦争に突入すると優等列車どころでは無くなって戦時改造されます。
1944年から10両(001~010)について4扉化して40系電車の台車振替で低速化の計画されましたが
戦局の悪化に伴って半分の5両(002~004、007、010)の改造で中断してしまいました。
残りの3両(011~013)も3扉化で後位の運転台撤去してモハ51形へ型式変更する計画がありましたが
こちらも1両(012)のみが2扉のまま運転台撤去が行われてモハ51017に変更されています。
しかもこの車両はその後1953年に更新修繕Ⅱの実施時に3扉化されています。
この時点でモハ42は2扉高速化車両と4扉低速化車両が混在する状態になりましたが
1953年の型式称号規定改正で4扉車の全車が新形式モハ32形(のちのクモハ32形)になりました。
戦時中の戦災で1両(003)、事故で1両(004)が廃車されています。
ちなみに戦災の1両はオハ71-133からマニ76-41に生まれ変わっています。
さらに事故の1両は小田急電鉄デハ1821になってデハ1811に改番されて最後は秩父鉄道デハ806になって活躍しました。
戦後の混乱期も乗り越えた6両のクモハ42でしたが時代の波には勝てず順次廃車されてしまいました。
1978年:3両(クモハ42008・009・011)静トヨ
1979年:1両(クモハ42013)静トヨ
1986年:1両(クモハ42005)広ウヘ
2000年:1両(クモハ42006)広セキ
余談ですが幕張本郷駅が出来るまで津田沼駅から幕張電車区まで職員輸送用にクモハ40030が定期運行されていました。
当時、津田沼駅の通勤対策アルバイトが終わると用も無いのにこの電車に乗って
電車区と駅を行ったり来たりと、今で言う「乗り鉄」を思いっきり楽しませてもらいました。
担当の構内運転士(かなり年配の方)に説明を受けながら運転席に入って楽しんでいたんですね。
ATSの確認ボタンが後付けなんで立ち上がらないと押せない位置に付いていたり
戦前の旧型国電の特徴をひとつずつ勉強しながら教えてもらいました。
特に自動ブレーキの掛け方が非常に難しく今思えばとても贅沢な乗り鉄をしていたんですね。
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鉄道模型 | 日記
Posted at
2023/01/27 17:15:35