新しいカルダン駆動の電車もいいんですが・・・
やっぱり旧型な吊り掛け駆動の電車に懐かしさを感じてしまう今日この頃なんですよねぇ~w
前回に東急電鉄の7600系と8000系が入線してからず~っと探していたんですが・・・
やっと!2016年5月に発売されたデハ3450形2両セットを入手することが出来ました。
歴代のBトレインショーティーの中では末期に販売された製品なんですね。
この車両は東急電鉄の前身である目黒蒲田電鉄と東京横浜電鉄で活躍していたんですね。
もちろん戦前に製造されたバリバリの吊り掛け駆動の電車なんです。
おぉ!なんと付属パーツが豊富にありますね。
前面テールランプの作りがもはや「ますこっとれいん」ですね。
それもそのはずでBトレインショーティーの製品を担当の方が独立されて株式会社「企画室ねこまた」を設立されたんです。
そして販売部門である「SHOPねこまた」から「ますこっとれいん」を販売しているんですから当然ですよね。
さて、まずは組立違いをしないように必要パーツを並べます。
こちらは部品点数も少ないのでデカールを貼り付けたら完成です。
いやぁ~しかし・・・実にイイ!!w
前面の表現も素晴らしい製品ですね。
ショーティーなモデルならではの側面も可愛らしいです。
う~ん!やっぱり旧型な電車は模型の制作意欲をそそりますね。
まぁ~もちろん大いに個人差がありますけどねw
ところでこちらの制作にあたり、目蒲線・池上線で活躍した東急電鉄の旧型電車を調べてみました。
さらに調べていると大東急時代の影響が大きく関わっている面があってとても楽しませて頂きました。
もう、それはそれは調べれば調べるほど興味がそそられてなかなか車両の制作にたどり着けないほどだったんです。
=デハ3450形=
新製配置:目黒蒲田電鉄・東京横浜電鉄
元形式:モハ510形(510~565:末尾3番は惨事を連想させることから欠番になっているんですね)
製造年:1931年(昭和6年)~1936年(昭和11年)
製造会社:川崎車輛(44両)・日本車輛製造(6両)
車両特徴:川崎車輛(丸妻)・日本車輛製造(三面折り妻)
初期の10両はパンタグラフを2基搭載。
型式変革:登場時はデハ510でしたが、大東急成立後にデハ3450(3450~3499)に改称されています。
塗装色:ダークグリーンの車体に鉛丹色の屋根 → 1950年代中頃に黄色+紺色 → 1960年代後半からライトグリーン
主電動機:日立製作所製(HS267系)
電動機出力:94Kw
主制御器:電空カム軸式(PBー200:直列5段、並列4段)→ 電動カム軸式(MMC-H-10G:直列8段、渡り3段、並列8段)
運転台計器類:ブレーキ圧力計(ブレーキ菅圧力計・元空気溜め圧力計)※ブレーキシリンダー圧力計は設置なし
ATS導入時に速度計を設置したんですね。
車両変革:片室式の両運転台 → 全室運転台化(3498下り方を除く)→ 片運転台化(3450・3458・3499を除く)
正面貫通化(3450非パンタ側・3452・3453・3455・3456・3460・3461を除く)
室内更新工事(窓拡大アルミサッシ化・壁面アルミデコラ化・床面リノリウム化)が行われたが半鋼製のまま。
この時にデハ3498の下り方も全室運転台化されています。
デハ3472は大井町線二子橋の併用軌道上でダンプカーと接触、東横車輛工業製デハ3600車体に載せ替えが行われ
てノーシル・ノーヘッダーの全鋼製車体になっています。
両運転台車の3両は事業用車両として継続使用の予定がありデハ3498は荷物車に改造されデワ3043になりました。
本形式は車両番号にほとんど関係なく、両運転台・片運転台、貫通・非貫通、貫通扉、客扉、尾灯、床下機器配置に
車両の向きなど様々な差異があって同じ車両は二つとないんですよ~
これはかつて元住吉検車区構内に転車台が存在していて、車輪の片減り防止のためにしばしば方向転換を行っていたか
らなんですね。
さらに加えて前面貫通化の改造などが各車の使用実態に応じて行われたので、更新改造が車両番号に関係なく、
しかも50両ある全車を8年程度の長期に渡って行ったので更新内容も変化していたからなんですね。
運用範囲:路面軌道の旧新玉川線(渋谷~二子玉川駅)を除く全線で活躍しました。
5Mまたは4M1T:東横線(1972年まで)、田園都市線・大井町線(1981年まで)
組成変更されて2M1T:目蒲線・池上線(1989年まで)
=デハ3500形=
新製配置:東京横浜電鉄
元形式:デハ1000
製造年:1939年(昭和14年)~
製造会社:川崎車輛(22両)
車両特徴:横浜から京浜電気鉄道・湘南電気鉄道への乗り入れを想定されて制作された車両です。
あらかじめ標準軌への改軌が出来るように台車に長軸が組まれているんですね。
戦後に片室の両運転台車は全室の片運転台化に改造されて、中間にサハを挟むため偶数車は方向転換が行われました。
なお、前面の貫通化はデハ3508を除きおこなわれていないんですね。
デハ3450形のようなバリエーションは無く、前面中央窓が1段または2段、客用ドア窓の大小がある程度です。
その後、デハ3650形と同じ車体更新工事が行われ張り上げ屋根化、前照灯・尾灯のユニット化で「海坊主」スタイル
になりました。
型式変革:登場時はデハ1000でしたが、大東急成立後にデハ3500(3450~3499)に改称されています。
=クハ3650形→デハ3650形=
新製配置:東京横浜電鉄
製造年:1942年(昭和17年)
製造会社:川崎車輛(6両)
車両特徴:こちらは先の大戦により数奇な運命を辿った車両なんですね。
デハ3550形(後の同型車とは無関係)と2両編成で大量増備される予定でしたが、1945年(昭和20年)5月25日
夜間の空襲により井の頭線の永福町検車区の31両が被災し24両が焼失という壊滅的な被害を受けました。
翌月には急遽、陸軍の手により小田原線との間に代田連絡線を敷設し、小田原線と国鉄青梅線から14両を借用。
本格的復旧に向けて東横線のクハ3650形の相方として投入予定だったデハ3550形と湘南線のデハ5300形(京急300
形)の相方として投入予定だったクハ5350形の投入を決定します。
その後、デハ3550形はデハ1700形(1701~1707)に、クハ5350形は電装されデハ1710形(1710~1715)になり
1972年(昭和47年)まで活躍しています。
一方、残されていたクハ3650は戦後も落ち着いた1952年(昭和27年)に電装が施されデハ3650と改称されました。
こちらは1973年(昭和48年)から車体の更新工事がはじめられました。
最初に更新工事を行った3653・3654はデハ3450形に準じて行われたのですが・・
翌年に更新工事が行われた残りの4両は張り上げ屋根化され、前照灯・尾灯が前面窓下にユニットとなる「海坊主」の
スタイルとなりました。
さらにその後に3653・3654も同様の「海坊主」スタイルとなりました。
また、3500形の22両も全車がこの「海坊主」スタイルとなって1989年(平成元年)吊り掛け車全面置換えまで活躍し
ました。
=大東急時代の系譜=
大東急の時代とはそもそも1942年(昭和17年)に制定された「陸上交通事業調整法」に基づいて東京電鉄の五島慶太氏が同じ
く経営していた小田急電鉄・京浜電気鉄道を合併したことにはじまります。
さらに1944年(昭和19年)戦時統制下だった「陸運統制令」の影響を受けて京王電気軌道を合併。
1945年(昭和20年)には子会社で経営基盤が脆弱だった相模鉄道の経営を受託して大東急時代になったんですね。
ちなみにこの「陸上交通事業調整法」は戦時下に立法された「陸運統制令」とは違い現行法で今でも効力があるんですよ。
もちろん「陸運統制令」は「国家総動員法」に基づき戦争を遂行のための定められた法律なので敗戦と共に廃止されています。
=大東急からの分離・独立=
さて、戦争も終結して戦後になると大東急時代にも大きな変革が起きます。
戦時中に東條内閣の運輸通信大臣を務めていた五島慶太氏は公職追放となり経営での影響力が弱まります。
さらに戦後の混乱で戦災復旧・輸送力増強等の対策や資金調達等の関係で緊急な対応が求められ経営の大きな重荷となります。
1942年(昭和17年)から1948年(昭和23年)までの6年間は大東急時代として経営統合されていたわけなんですが。
1948年(昭和23年)京浜急行電鉄・小田急電鉄・京王帝都電鉄(現:京王)の3社が大東急から分離することとなりまし
た。
しかしこの時に京王帝都電鉄(現:京王)が元京王電気軌道の路線だけでは独立採算が危ぶまれたため、合併前は小田急電鉄の
路線であった井の頭線を京王帝都電鉄(現:京王)に付け替えられて現在の路線となるわけなんですね。
もちろん、付け替えに反発していた小田急電鉄には箱根登山鉄道と神奈川中央乗合自動車(現:神奈川中央交通)を合併させて
まるく納めています。
=大東急時代の鉄道車両=
さて大東急時代には鉄道車両番号が重複するために一斉に改番が行われました。
・旧東急横浜電鉄(玉川線) :1~999
・旧小田急電鉄(井の頭線も含む):1000~1999
・旧京王電気軌道 :2000~2999
・旧東京横浜電鉄 :3000~3999
・旧京浜電気鉄道 :5000~5999
その後、大東急が再編した後も各社はこの大東急時代の車番を継承しているんですね。
すなわち、小田急の旧1000系、京王旧1000系(井の頭線)、京王旧2000系(京王線)、東急旧3000系などがそうですね。
なお、京浜急行は車番から5000を引いた番号で継承したので京急230形などがあるわけなんですね。
また、再編成後も各社は電動車を「デハ」としていて車両も東急車輛製造(現:総合車両製作所)で生産されています。
=大東急時代の名残=
今でも旧大東急系の健康保険組合「東京西南私鉄連合健康保険組合」として存続しています。
※但し、1978年(昭和53年)に小田急系は小田急グループ健康保険組合として分離独立しています。
各社が大東急から分離・独立したあとも従業員や家族には4社共通の乗車証が発行されていたんですね。
しかし時代の流れからでしょうか、現在は自社線内のみになっています。
=制作後記=
実はこの3450形を入手するに際して流通量が少なくなかなか商品が見つからずに難儀していました。
さらに調べるうちに2017年に発売された「デハ3450形復刻旧塗装」も欲しくなってしまいこちらも探すことに・・
また、大東急時代の車両の移動で京王帝都井の頭線も調べるうちにそちらにも夢中になってしまいましたw
すでに新製品の販売は無いので、これからものんびりと楽しませてもらおうと思っています。






