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2024年09月08日 イイね!

「新快速」が入線しました♪

「新快速」と言えば関西方面の京阪神地区を鉄道旅行すると必ず目にするJR西日本の看板電車。
私鉄王国と言われる関西圏で競合する私鉄に勝つために投入された最速な快速電車ですね。
1970年(昭和45年)に登場したこの「新快速」は早いもので来年で55周年になります。
そういえば東京から大垣夜行に乗り終点の大垣で新快速西明石行に乗り継いだ事を思い出しました。
まぁ~古い人間なんでやっぱり「新快速」と言ったらこの車両なんですよね!ww
いよいよ車両が到着して車両整備しようと思ったらトイレ窓塗り込み用のマーカーペンが無い!
緊急事態なので至急ヨ〇バシへ「XGM01ガンダムマーカーEXニューホワイト」に発注しましたw
さぁ~塗りますよぉ~w
・モハ153を加工中
・モハ152加工中
そして最後はクハ153です。
いやぁ!いいですなぁ~
国鉄急行型電車が揃い踏み。
(左から153系新快速・169系・153系低運転台)
さて京阪神地区で特急料金不要の最速達列車として1970年10月1日のダイヤ改正で登場したのがこの「新快速」です。
このよく乗った153系車両が初代で117系が2代目だと思っていたのですが・・・調べたら違ってました!!
なんと初代は113系が2年間走っていたんですね。
自分の乗車した頃は153系が主流で117系が投入されたばかりでした。
特に117系は関東地区には存在しなかった転換クロスシートの車両でとても新鮮だった事をハッキリと覚えています。
初 代:113系「1970.10.1(昭和45年)~1972.3.14(昭和47年)」
2代目:153系「1972.3  (昭和47年)~1980.7  (昭和55年)」
3代目:117系「1980.1.22(昭和55年)~1999.5.10(平成11年)」
4代目:221系「1989.3.11(平成元年) ~2000.3.10(平成12年)」
5代目:223系「1000番台・2000番台)「1995.8.12(平成7年)」
6代目:225系(0番台)  「2010.12.1~(平成22年)」
       (100番台) 「2016.7.7~(平成28年)」
そもそもこの「新快速」の名称は当初、首都圏の中央線「特別快速」と同じ名称で国鉄本社の許可を得ていたのですが、
運行直前に大阪鉄道管理局より「フレッシュ感を出したい」との理由で「新快速」になったんですね。
そのため英語表記も1990年代途中までは「新快速」を直訳した「New Rapid Service」でしたが、
現在はJR東日本の中央線「特別快速」と同じ「Special Rapid Service」になっています。
ちなみにJR東海の名古屋地区を走る「新快速」は同じ「新快速」でも「Special Rapid Train」と表示されているそうです。
さて現在の運行形態についてですが
・JR西日本では北陸本線「敦賀」から山陽本線「上郡・播州赤穂」間で運転されています。
 2017.3.4(平成29年)から湖西線経由の上り列車(近江今津・敦賀方向行き)のみ水色のラインカラーに「B」表示の種別幕
 を表示、それ以外の列車(湖西線経由の下り姫路方面を含む)は青色のラインカラーに「A」の種別幕を表示しています。
 2011.3.12(平成23年)土休日の米原駅・近江今津駅-姫路駅間のすべての新快速が12両編成に増強され、平日も12両編成で
 運転される列車が大幅に増加し、2017.3.4(平成29年)からは米原駅-姫路駅間が終日12両編成で運転されています。
 そうして2019.3.16(平成31年)からは12両編成の9号車に有料座席サービス「Aシート」車両を連結されています。
 この12両編成で最長運転される列車は、琵琶湖線系統(A)では米原駅-上郡駅間の233.7 km、湖西線系統(B)では
 近江今津駅-網干駅間の194.2 kmにもなります。
 これはJR東日本上野東京ライン(15両編成)の熱海駅-宇都宮駅間(214.3 km)に匹敵する長距離運転になります。
※実は阪和線でも1972年(昭和47年)から1978年(昭和53年)まで天王寺駅-和歌山駅間で「新快速」が運転されていたの
 ですが、南海本線と比較して天王寺駅-和歌山駅では乗り換えの利便性に劣るために早々に快速に統合されてしまいました。
 またJR東海では1989.3.11(平成元年)から中京圏の浜松駅-米原駅間で「新快速」の運行を開始。
 「特別快速」「新快速」「快速」「区間快速」と停車駅の数によって使い分けが行われ現在も運行されています。
さて、国鉄153系直流急行電車についてのまとめてみました。
・1958年(昭和33年)から1962年(昭和37年)まで日本車輛製造・汽車会社・近畿車輛・川崎車輛で630両が製造。
 最大の特徴はなんと言っても貫通路付の運転台前面窓が側面まで大きく回り込んだパノラミックウインドウですね。
 これはその後の車両デザインに大きな影響を及ぼしていますね。
 この特徴ある運転台の前面窓ですが1961年(昭和36年)以降の製造車両は踏切事故対策で300mm高くなっています。
 クハ153-0~80は「低運転台」、クハ153-501~557は「高運転台」と呼ばれていたんですね。
ところで地元の千葉鉄道管理局幕張電車区にも153系が急行用として配属されていたのを思い出しました。
・153系の編成は中間に165系サロを組み込んだ7両編成が5本と中間車2両(MM`ユニット)の予備車がありました。
 ちなみに当時のクハ153の車番を調べると「低運転台」が8両、「高運転台」が2両だったんですね。
 どちらも田町区と大垣区からの転属なんですがよくもまぁこんな古い車両ばかりを配属されたもんですよ(笑)
 また同時期に165系も配属されていて、こちらも7両編成が5本と増結用の3両編成が5本配属されていました。
 当時は「鹿島」「水郷」「犬吠」「外房」「内房」と5系統も急行列車運用があったのでまさに急行王国だったんですね。
さて車両性能ですが101系通勤型電車をベースとした設計なので主電動機は中空軸平行カルダン駆動のMT46(100kw)。
基本的に編成のMT比は1:1でしたが、使用線区によってはあえて低M比の1:2で使用していたようです。
「新快速」には6両編成(4M2T)20本の120両が投入され、同時に非冷房車だった車両は冷房化工事が施されています。
・特別な運用としては当時東海道本線の花形特急だった「こだま」(181系)の代走として何回も運用されています。
・急行「伊豆」の運用に就いていた1981年(昭和56年)置換えの進んでいた185系と混結運転を行っています。
 その後、同年10月のダイヤ改正で急行「伊豆」は特急「踊り子」となり185系に統一されました。
今でも大活躍中している乗って楽しい「新快速」電車。
関西方面へお出かけの際は是非、ご乗車されてはいかがでしょうか? 
Posted at 2024/09/08 18:04:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道模型 | 日記

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