「そりゃあ、あんた達子供に本当のこと言えるようなお父さんじゃないわよ」
四十九日の法要の席で、酔って話し出した叔母を誰も止めなかった。
6人兄弟の長男である親父が亡くなったいま、叔母が最年長者だからだろうか。
「あんた達のお父さんはね、長男でそれはそれは好き勝手なことし放題の、
やりたい事ヤリ放題で育ったの。
典型的な馬鹿殿様ね。
こんな田舎でも、昔は由緒ある家柄だったのよ。
名鉄電車でここが終点だった頃、駅降りて『松浦さんちはどちらですか』と
そこにいる誰に尋ねても知らない人はいないくらいにね。
新幹線もない、大学行く人自体少ない時代に、兄弟全員東京の学校に下宿で
行かせてもらってね。
なのに、兄ちゃんは就職もせず家に戻って来て毎日遊んでるから、
お父ちゃんが『トラック買ってこい』ってお金渡したのよ。
そしたら夕方、バイクに乗って帰ってきたの。
『陸王』って言ったかしら、大きな音のするオートバイでね。
それ見て、お父ちゃんが怒ってね、『明日返してこい』って。
そしたら何と、その明け方に出てっちゃったのよ。
『旅に出る』ってメモ書き残して。
しばらくして、和歌山の南紀白浜にある旅館から『金送れ』って書いた
電報がお母ちゃんに届いてね。
散歩中も中居さんが逃げないか警戒して離れないって言うから爆笑よ」
遺品の整理をしていたら、バイクに乗った親父の写真が出てきた。
オールバックの髪型に、下駄履いてバイクに跨ったもの。
メグロ、キャプトン、インディアン、珍しいバイクも写ってる事から察するに、
数台乗り継いだのだろう。
親父は、僕ら家族にさえ1円の金も遺さず亡くなった。
どこかに借金や債務保証があるに違いないと、親族たちが真顔で語る。
3ヶ月以内に相続放棄の手続きをするよう、次男であり弁護士の叔父にも言われた。
僕が叔父の事務所に入ったばかりの頃、法務局で財産目録を取ったことがあった。
抵当権には百を超える不動産が担保され、職員がホチキスで綴じるのに苦労していた。
こんな分厚い謄本初めてと呟いた台詞が忘れられない。
いつの間にやらそんな財産を全て使い果たし、何ひとつ遺さなかった親父だけれど、
一族の長たる貫禄だけは最期まで保っていた。
祭りでも食事でも、ツルの一声で親族全員が集まった。
それも、もうないだろう。
生きざまを見せる男の背中ってのは、何歳の時の背中を言うのか。
息子の僕に、何を伝えたかったのか。
古いアルバムの写真を見ながら、ひとり考えてみる。
ブログ一覧 | 趣味
Posted at
2012/04/06 14:56:09