「運がいい」
私はこの歳まで、自分が運がいい人間だと考えたことすらなかった。
運不運を語る前に、自分に与えられた課題をこなす。
その結果として、今の自分があるということ。
例えば過去の試験や試合について。
本番で大ミスでもしない限り、結果は日頃からの実力だと思っている。
コンクールで落選しても、それは自分がレベルに達していないからだと。
うちのパパは口ぐせのように、自分は運がいいのだと言う。
何か良いことがあると、「ほら、運がいいだろ?」って。
そんなに喜ぶようなことかなって思うけれど、
楽しそうに「ラッキー」ってつぶやくパパを見てると、私も楽しくなってくる。
いつも呑気そうに笑顔でいるパパ。
忙しそうでも、しかめっ面をして悩んでる顔を見たことがない。
でも、人並み程度の生活は出来ているから、苦労もあるのかなと思う。
今日、家の車庫に新しいクルマが駐まっていた。
とっても大きくて、白いボディのアウディQ7。
パパ曰く、親しい友人から買ってくれないかと頼まれたそうだ。
まだ新しいであろう白い巨体は、海原を泳ぐクジラかシャチを思わせる。
座ってみるとシートは上品だけれど、室内空間は特別広いと思わない。
でも、乗っていると分厚いボディに守られ、包まれているような感覚だ。
アウディってドイツ車だし、きっと高いに違いない。
それに、これはパパが欲しかったクルマなのだろうか。
パパに聞くと、笑って「いいんじゃないか」だって。
「頼まれごとは、試されごと」
これもパパの口ぐせで、知人に頼まれたら必ず「喜んで」と答えるのだとか。
つまり、このクルマも頼まれたから買ったってことらしい。
「凄く損する場合もあるんじゃない?」と尋ねたら、「そうかも」だって。
良くも悪くも、類は友を呼ぶ。
運や出会いは、日頃のご縁で手元にやって来るものなのだそうだ。
最近パパと話していて、少しだけわかってきたことがある。
運がいいって、裏を返せばどれだけ一所懸命に努力しても報われないことがある
ってことを知ってるってこと。
だから、努力が結果として報われた時に、運がいいと口にする。
それくらい成功するって難しいことなんだとも思う。
何度も落胆し、普通なら諦めるようなことであっても、続けることが当たり前。
努力したからといって、必ず良い結果が出る訳じゃない。
でも、いつか日の目を見ることがあれば、それは運がいいと思える。
苦労を家族に見せず、そっと「ラッキー」とつぶやく。
それがオトナなのかな。
Posted at 2011/08/28 14:09:38 | |
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