つくづく、学校には縁がないと思っていた。
中学まで成績優秀だった俺は、進学するつもりだった難関校を急遽変更。
不本意ながら自宅から近い高校へ通うよう、親の説得に応じたものの、
自ら選べなかったことへの反発から、無気力で荒れた3年間を過ごした。
おまけに、大学受験寸前に家業が倒産し、家は破産。
働いてくれるかと親に言われ、あもすもなくその日から働く覚悟を決めたが、
その後の事情で、近所の私立に籍を置きながらバイト三昧の日々となった。
親に言われるまま、運命には逆らわず、なすがままに働いた。
家族で一致協力し合い、家計の為に休みなく時給を稼ぐ仕事に励んだ。
多忙で一所懸命だったけれど、その実、無気力な日々を過ごしていた。
そんな時、一般教養の授業で物理学のA教授に出会った。
駐車場にベンツのSLで乗り付け、態度はでかく、授業中も言いたい放題。
三流私学の全くヤル気のない学生を前に、A教授は吠える。
「僕の書いた本はブルーバックスのベストセラーにもなってるから、
他の教授達みたく君達に購入を強制しなくても全く困らないよ」
そう言われても、買って読まないと試験はその本から出るに決まってる。
上から目線の見下したセリフに、学生から嫌われるのは当然。
でも、授業はわかりやすく、個人的には好感が持てた。
「授業料の高い私学の学生が、授業をサボってバイトだなんて、愚の骨頂。
時給に換算する以前に、選択の誤りに気付かない愚かな行為だ」
なるほど、ふてぶてしくも堂々と語るA教授の言葉に、もう一度、
おのずと勉強したくなる大学を受験したいと思うようになった。
休講や空いたコマの時間を活用し、翌年センター試験を受けたのは自分の選択だ。
合格通知が見たかっただけのことと言いつつも、自らチャンスを呼び込んだ気がした。
自分で決めたことってのは、言い訳できず、後悔なんて無駄なこと。
自ら決断することで、行動や言動が責任をともなうことを知った19歳の俺。
己の道は己で決める、自主自立して大人、そんな当たり前のことに気付かされた。
あれから転学して卒業し、就職後に独立して10年。
ポルシェに乗る今も、ベンツのSLを畏敬の念をもって眺めている俺。
10年の歳月を経て、モデルチェンジをしてもSLらしさを失わない姿勢は、
メーカーのプライドを感じさせてくれる。
恩師なんて言葉を口にするのも恥ずかしいが、必然の出会いだったと今も思う。
時として人の言葉ってのは、心に響くものなんだよな。
Posted at 2012/04/01 19:57:05 | |
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