ちょいとデザインを変更した。それにまつわる駄話をひとつ。今回はあまり500Eに関係ないうえ、超長文。必ずしも当時に感じた、わかったことを時系列に並べているわけではなく、後年に聞いた、わかった、考えたことも含めて自分なりに解釈したお話。
自分のクルマは一点だけ目立つノンオリジナル部分がある(これに関してはいずれ戻す、問題は予算捻出……)ものの、それ以外は完全にオリジナル状態を維持している。そしてブルブラ/黒革の組み合わせなので、とても地味だ。
オリジナル維持は500に限らず、自身のカーライフにおけるスタンスなので、地味なのはしょうがない。ただ複数の500が集まるような場所では目立たないことこの上なく、自車がひと目でわかるような効果も狙い、何枚かステッカーは貼っている。ステッカーなら気に入らなければすぐに剥がせる、お手軽モディファイだ。
そのうちのひとつがこれ。
左右ヘッドライト下に貼った”Rallye Racing”のステッカーだ。この狭いスペースにピッタリのサイズで、ヘッドライトワイパー脇へキレイに収まる。小さいが、黒に赤という組み合わせはインパクトがあり、非常に自車がわかりやすくなったので狙い通り。もっと大きいサイズも存在するのだが、個人的にはこの場所に貼れないと意味がない。
そもそもRallye Racingとは、ドイツで発刊されていた(たぶん今は出ていないと思う)クルマ雑誌だ。一時、日本でもユーロ系カスタマイズでこのステッカーを貼るのが流行ったらしいが、そちらについては気づかなかった。しかしその名前とこのデザインは、子供の頃からずっと気になっていたのだ。
その原因は、これである。
カウンタックLP500S、その中でもウォルター・ウルフがオーダーした、いわゆるウルフ・カウンタックの1号車だ。このクルマの伝説や風評についてはここでは触れないが、特徴的なディティールが見受けられるワンオフ車両であり、しかもその現車がスーパーカーブーム当時に並行業者”オートロマン”によって日本へ輸入された。
……とはいっても1974年生まれの自分にとっては、いくらそのころからかなりクルマ好きの子供であったとはいえ、カメラを構えて道端でクルマを待ち構えるほどにスーパーカーブームの中に居たわけではない。このクルマについてはスーパーカーカードなどで「特別なカウンタック」という程度の知識はあったが、現車はもちろん、当時流行したレプリカも(当時には)実際に見たことはない。
それなのにLP500Sに対して思い入れがあったのは、タミヤが1/24でプラモデル化していたためだ(上に貼った画像も実車ではなく、タミヤオフィシャルのタミヤ1/24製品情報から引っ張っている)。クルマ好きの子供として、時々各社のプラモデルを買ってもらい組み立てたが、他のメーカー製は子供にはなかなかうまく組み立てることができなかった。しかしタミヤ製だけは違った、当時から誰が組んでも、きちんと完成する精度を誇っていたのだ。そんな当時作ったプラモデルのひとつがこのタミヤ製LP500Sで、非常にカッコいいプラモ(クルマ)だなぁ……と感じたのである。
またタミヤ製品はボックスアート(箱絵)も非常に優れたデザインだった。手にしたLP500Sの箱にはあの赤/黒のカウンタックが描かれている……そのボックスアートで非常に目立ったのが、LP500Sのマーカーランプ前に貼られたRallye Racingのステッカーである。これはプラモでもデカールとして再現されていた、ただし幼稚園児が組んだプラモなので塗装もせず、たぶんデカールも貼らなかった(貼れなかった)のではないかとは思うのだが「このマークはなんだろう?」と記憶の奥底に仕舞い込まれることとなる。
それから10年近くの年月が過ぎ、クルマ好きの幼稚園児はクルマ好きの中学生へと、順調に成長していた(いや、この時にクルマに対して興味を失っていれば、もう少しまともな人間になっていたかもしれないのだが……)。中学校に入ってからはカーマガジンとモデルカーズを愛読し、CGそのほかの雑誌は立ち読みして知識を貪欲に吸収、もはやエンスー気取りの耳年増である。
そんな時代が昭和から平成に変わったばかりのある日、駅前の書店でいつものようにクルマ雑誌コーナーの前に立つと、なんか心の琴線に触れるかのようなコピーが目に付いた。
”発見!ウルフ・カウンタック第1号車 完全追跡レポート”
……ウルフ1号車ってあの赤いLP500Sだよな?まだあったんだ……なに、この雑誌、買ったことないな……
手にとって中をパラパラと見た自分は、その雑誌を買っていそいそと帰宅し、むさぼり読むことになる。それは”GENROQ”の1989年4月号(No.34)だった。
その内容は驚きの連続だった、幼稚園児当時には知らなかったような情報も事細かに執筆されている。ウルフ1号車の成り立ち、オートロマンによって輸入されたこと、そしてその後も日本にあり続け、現在(1989年)はさるオーナー(O氏)が所有、しかし現状ではある工場(デルオート、蛇屋じゃなくてATのほう、写真をよく眺めると多摩堤通りの土手が確認できる)の中でバラバラ、ボディ各部にはエアブラシアートが……
この時、ウルフ1号車の毒に犯されてしまった。なんてミステリアスな存在なんだろう……そして、クルマ雑誌ってこんなに面白い記事もあるんだと、一発で打ちのめされた。こんな記事を書く人って、いったい誰なんだ?
クレジットを確認すると、そこにあったのは”福野礼”(現:福野礼一郎)という名前。聞いたことないけど、こんな面白い記事を書く人ならこれからは気にしておこうと決めた。”誰”が書いているかを意識して、雑誌を追いかけるようになったきっかけの二人目である(ちなみに一人目は、モデルカーズを創刊した平野克己氏)。
このGENROQ1989年4月号を繰り返し読んでいると、ウルフ1号車について福野氏が取り上げたのは初めてではないらしい。この頃には日常的に古本屋に出入りするようになっていたので、GENROQのバックナンバーを探し出す(1989年1~2月号)。また4月号では今後も記事が続くような終わり方となっていたので、次号からはGENROQも買うようになった。残念ながら福野氏によるLP500Sレポートはその後に掲載されることはなかったのだが、当時GENROQに深く関わっていた氏は他の記事も多く手がけていた。そして連載記事”福野礼のスーパーカー・ファイル”で、少年は完全に信者と化す。そして福野氏が離れるとともに、自分もGENROQの購入は止めてしまった。
その数年後、福野氏のスーパーカー関連記事をまとめた”幻のスーパーカー”という単行本が出る。そこには出荷直後(納車風景?)なのか、エンジニアたちとともに、ウルフ1号車の前で写真に納まるウォルター・ウルフの姿があった。しかしそのウルフ1号車の小さなモノクロ画像をいくら見ても、あのRallye Racingステッカーらしきものはない。
ここで疑問が生じた。記憶中枢の奥深くにしまいこまれていた、あのタミヤ1/24でも再現されていた、あのRallye Racingステッカーはなんだったんだろう?自分にとってはウルフ1号車=Rallye Racingという刷り込みがあるが、どうやら出荷当時には貼られていないようだ。
件のGENROQを引っ張り出すと(1)外紙の掲載写真(2)日本上陸直後にスーパーカー・ショーに出展された時の写真、そして(3)1989年当時の姿が確認できる。(2)の時点で既にRallye Racingのロゴはなく、輸入業者オートロマンのロゴに変わっている(ただし画像はないものの、文中では上陸当初はRallye Racingロゴのまま、オートロマンのショールームに展示されていたという記述がある)。(3)の時点では、マーカーレンズの下にはなんのステッカーもない。また時系列が前後するが、映画”蘇える金狼”で早朝の銀座を疾走したときはRallye Racing、オートロマンともになかった。
もう一度各記事を読み直す。するとRallye Racingロゴがある(1)は、当時にクルマ雑誌Rallye Racingが取材したときの写真らしい。もう少し調べてみると、Rallye Racingで取材・掲載されたクルマは、車種を限らずほとんど(すべて?)の場合、クルマのどこかにRallye Racingステッカーを貼って撮影しているようだ。
なるほど、それで永年の謎が解けた。ウルフ1号車を世界で初めて取材したとされるRallye Racing、さすがにタミヤとはいえ、ウルフ1号車の現車は取材できずに外紙記事を資料としたのかもしれない(既にLP400のプラモは製作していたので現車が採寸できなくとも大筋問題はないだろう)。もしくは上陸後に取材したがその時点ではRallye Racingロゴが残っていた、またはオートロマンロゴに変わっていたけどさすがにそのままプラモにはしなかった、というところだろうか。
とまあステッカーという小さなネタではあるが、やはりウルフ1号車にこだわる人には強烈な刷り込みとなっているのか、現在のオーナーも現車を入手・レストアした上で、マーカーレンズ前にRallye Racingステッカーをきちんと貼っている。
さて、ウルフ1号車とRallye Racingの関係はこれであらかた終わりなのだが、ではなぜ500Eに貼っているのか。そもそもは「LP500Sと500E、どっちも”500”だ、Rallye Racingステッカー貼ったら面白いかも」という思いつきでしかない。その流れで「希望ナンバーで”30-82”を取る」というのも考えた(笑)
(30-82は、ブーム当初から現在までウルフ1号車が付けているナンバー)
しかしそれ以上の理由は、ある意味ではこのウルフ1号車の存在がなくしては、自分が現車500Eを買うことはなかったかもしれないからだ。
自分が今の500Eに決めた理由は、程度とか整備履歴とか値段とか雰囲気とかいろいろあるのだが、もうひとつ”この店(人)”から買ってみたい”というのがあった。大通り沿いにきらびやかなショールームを構えているわけではなく、また社長一人でやっており、広告も一切出していない。でも一部の人には名前がよく知られている、そんな店だ。
そんな店の存在に気が付いたのは、福野氏の記事を追っかけていたためである。そもそも福野氏の記事を追っかけるようになったのは、ウルフ1号車の存在がきっかけだ。ということは、まだ見たことのないウルフ1号車が、この目の前の500Eに引き合わせてくれた、ともいえる……などと考えながら、商談中に「GENROQのウルフ1号車の記事がきっかけで、福野さんのファンになって……」なんてことをとポロリと漏らした。
するとA氏は、これまた(自分にとっては)衝撃の事実で返してきた。「ああ、あのクルマならデルオートでバラバラになってたところを見てますよ。当時からよく出入りしてたんですが、ずっと置いてありましたからね~」
……これは単なる偶然でしかない。ただ、自分がこの500に路上で出会ったのが完全なる偶然で(売りに出ていたのは半年以上前から知っていたが、見にも行ってなかった)、しかも売主があのウルフ1号車発掘記事のリアルな風景を見ていたなんて、偶然にしてもそうそうあるものではない……くだらない思い込みであることは十分わかってはいるが、LP500Sが500Eを介して自分を呼んでいるのか?
この商談初日はいったん保留にして帰ったのだが、たぶんこの時点で気持ちは決まっていたと思う。即答しなかったのは、現車を見ないで断れない関係からのオファーがあったためだ。後日確認したそちらの車両は、はっきりいってほとんどケチの付けようがなかった。ただ当初に伝えていた予算をオーバーしていた、交渉の余地は残されていたのだが、もし値下げされると決めきれなくなってしまう。そこで予算オーバーを理由に、呼ばれたような気がする現車に決めた。
Rallye Racingステッカーを左右対で、しかもヘッドライト下に貼らなくてはいけないのはこれが理由である。ウルフ1号車へのオマージュだから、フロントウィンドウやボディサイドじゃダメなのだ。決して広いスペースとはいえないW124のヘッドライト下にピッタリのサイズが存在したというのも、これまた運命なのだろうか。ということで他人が見たらまったく意味がわからなくとも、個人的には大変気に入っていて、予備もきちんと用意してあるのだ。
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■2010/02/09追記
えっと、資料読み返したらちょっと気になる記述を見つけてしまった。本文を編集して消すのはちょっと違う気がするので追記。
>(2)の時点で既にRallye Racingのロゴはなく、輸入業者オートロマンのロゴに変わっている
>(ただし画像はないものの、文中では上陸当初はRallye Racingロゴのまま、
>オートロマンのショールームに展示されていたという記述がある)。
と書いた。これはGENROQ1989年1月号から引用。
しかしF-Road2008年7月号では(これ別にウルフ1号車に関する記事ではないのだが)「日本に来てオートロマンのショールームで見たときはもう(Rallye Racingステッカーは)ついてなかったけど」という記述がある。
書いたのは両方ともF野氏なのだが(笑)、一体どっちなのよ!(笑)
感覚的には後者かな、と思うけど……