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れおん@036のブログ一覧

2010年08月16日 イイね!

ライバルの生産風景

500Eが新車当時のライバルといえば……候補はいろいろとあるだろうが、個人的にはBMW M5(もちろんE34の)だと思っている。

同じセグメントのベーシックなセダンであるミディアムクラスおよび5シリーズをベースとし、外観はそれほど大きく変わりはしないものの、心臓部はまったく別物というクルマ作りの文法は似通っている。まあ、クルマ作りの文法なんてそんなにパターンがあるわけではないのでこじつけともいえるが、それだと話が先に進まないのでとりあえずそういうことにしておく(笑)

違いがあるとすれば、このクラスのメーカー純正スポーツセダン作りにおいては、BMWのほうが先行していたことだろう。初代M5は2代目5シリーズであるE28時代に誕生しており、500Eの直接的ライバルであったE34 M5は1988年デビュー。1990年デビュー(実質は1991年生産開始といってよい)の500Eに対し、明らかに先を行っていた。とある本で「メルセデスはM5の存在が面白くなかったのではないか」という自説を述べていた人がいるが、これは自分も同感。というのも少年時代の自分は、このクラスのセダンに対し「5シリーズ=カッコいい、ミディアムクラス=いいクルマなんだろうけどなんか年寄りじみている」という印象を抱いており、それはM5の存在によるところが大きかったからだ(ちなみにW124全体に対する印象は、その後の500Eデビューで大きく変わったので、イメージリーダーの存在というのは決して無視できない、と思う)。

しかしスポーツセダン作りのごく基本的な文法は共通しているとはいえ、実際には500EとM5の間にはかなりの違いがある。それはV8/直6というエンジン形式の違いであり、それはそのまま排気量の差となり、結果としてトルクが全然違う。最大出力はほぼ同レベルであっても、だ。トランスミッションも500EはATオンリーだがM5はMTオンリー、残念ながら自分はM5(それ以前にE34自体)に乗ったことはないが、おそらく高速トップエンド以外では、500EとM5はライバルというにはあまりに性格が異なるのではないか、と想像している。

この両車の違いは、おそらく両社のクルマ作りにおけるスタンスの違いによるものだろう。それはカタログにも現れており、500Eはカタログ上においてスポーツセダンであることを積極的には打ち出していない。あくまでも安全性に優れた究極の乗用車、プラス余裕の動力性能といった感じだ。”ポルシェ”という言葉は一切登場していない(このキーワードが多用されるのはプレスリリースであり、それを基にした当時の記事である)。

それに対してM5のカタログでは”モータースポーツ”や”サーキット”といった言葉が躍る。そして生産そのものも、BMWモータースポーツ(M GmbH)においてハンドメイドで行われる……とにかく特別なクルマである、ということがアピールされているのだ。

このような違いは、どうやら両社の広報活動にも現れていたようで……先のエントリーで「500の生産風景は意外と見かけない」というネタを取り上げたが、M5はメーカー自らが積極的に公開していた節がある資料を見つけた。

それはBMWジャパンが発行していた「BMW Magazine」という当時の広報雑誌(1993/1号)。



表紙でM5が登場することから想像できるように、巻頭特集はM5特集。これは海外の記事を翻訳したもので、内容的にはおそらく本国広報雑誌or記事だと思われるが、本文/写真とも、明らかにBMW自身によってコントロールされた雰囲気がある。

それは、写真がこんな調子なのだ。





ポルシェライン(?)と思われる写真と比べれば違いは歴然、ポルシェラインは(前回紹介しなかったものも含め)全般的に普通の取材写真(というか、スナップに近い)っぽいが、BMWモータースポーツ社のラインは明らかに造られた写真なのだ。メカ部分組むのに、こんな照明はあり得ないだろう(笑)
そのほかにも、生産を担当するマイスターたちの個人名が本文に登場したりと、少量生産・ハンドメイドを打ち出している。残念ながらE34 M5のカタログを全バージョン所有しているわけではないためチェックはしていないが、この調子だと、カタログにライン上の光景が載っていても不思議ではない気がする。

このように生産風景の公開においてもスタンスの違いが現れているメルセデスとBMW、または500EとM5。はたしてどっちが正解だったのか……まあ500Eがカタログ上でポルシェとの関連を述べていないのは、今から想像すると広報のコントロールが一枚上手だったのかな、と思わなくもないんだけど。プレスに対してさわりを公開すれば、ポルシェのキーワードで話がどんどん膨らむ、と考え、そのように流れができたときもあえて舵修正はしなかっただろう……もっとも、その後に伝説めいた話になってしまったのは、予想外だったろうが。

あぁ、そういえば、リンドバーグでBMW専門洋雑誌を立ち読みしたら、E34M5の2ドアカブリオレという珍車が特集されていた。写真眺めただけで本文は斜め読みもしてないけど、あれは当時の試作車なのかな?これは忘れそうなので書いているだけの、ホントの蛇足。
Posted at 2010/08/16 00:42:47 | コメント(2) | トラックバック(0) | ひとりごと | クルマ
2010年07月17日 イイね!

”極上中古車を作る方法”

中古車を語るうえで多用されるキーワードが”極上”だ。具体的には”程度極上”などと使い、まあとにかく中古車としては信じられないほど状態がよく”まるで新車みたいだ”という意味であろう。

さらに”奇跡(のような)”という言葉が重なることもある。たとえば”まるで奇跡のように、程度極上の中古車”となるわけだ。存在することが稀なほど程度がよいのだから、それはもう最高で、もはや新車と変わらないのかもしれない。

しかし……この”極上”という言葉、中古車広告なりwebなりを見ていれば、しょっちゅうぶち当たるキーワードでもある。”奇跡”と組み合わせるには、数が多すぎないだろうか。だいたい”程度はあまりよろしくない”だの”ハッキリいって走るのが奇跡といえるほどボロい”なんてコピーは見たことがない(笑)

でも、そもそも”極上の中古車”ってなんだろう?

……こういうときは、とりあえずGoogle先生に聞いてみよう。”極上の中古車”でトップに表示されるのは……

http://www.amazon.co.jp/%E6%A5%B5%E4%B8%8A%E4%B8%AD%E5%8F%A4%E8%BB%8A%E3%82%92%E4%BD%9C%E3%82%8B%E6%96%B9%E6%B3%95-%E5%88%A5%E5%86%8ACG-%E7%A6%8F%E9%87%8E-%E7%A4%BC%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/454491017X

なんとまあ、自分の思惑通りの結果が返ってきた(笑)
福野礼一郎著”極上中古車を作る方法”(二玄社刊)である。

読んだ人も多そうだけど、未読の人向けに軽く中身を紹介すると、これは「著者からすれば程度が悪くなさそう(一般的には”極上”で通用するレベルだが)な中古車(ロールス・ロイス・シルバースピリット)を買ってきて、DIYでレストア(というかほとんどが掃除)する」という本だ。誌面で見るだけでもその徹底ぶりはかなりのもので、一読して「これを完全に真似するのは無理だ」と感じた。しかし氏にとっては中古車を買ったら当たり前のようにする儀式でもあるらしく、記事化されているものだけでも2.5台分はある(RR&リビエラ&BB)。また古雑誌をひっくり返すと、確かにそれ以外のクルマも掃除している形跡が見受けられる。

上記書籍では帯に”550時間におよぶガレージDIYレストア”という記載がある。550時間といえば気が遠くなるような作業時間だが、その結果は誌面でも表れており、使用前・使用後(掃除前・掃除後)を見比べると、なるほど確かに違う。

……確かに違うのだが、写真は写真、心の中のどこかでは実車を見たら”ものすごく綺麗な中古車”なんじゃないかな、とも思っていた。それなら多くはないものの、世の中を見渡せばないわけではない。あれらが”極上の中古車”なんだろうか。

実は、福野氏が考える”極上の中古車”については、具体的な個体が何度か登場している。(おそらく1978年ごろに)環八の有名中古車店の片スミに並んでいたという、水色のポルシェ914がそれだ。4万kmくらい走っていたというそれは「どこにも乗った形跡がないのだ。」「どこにも使った痕跡がないのだ。」「メーターの示す4万なにがし、クルマのディテールの中で唯一、そいつが中古車としての道を歩んできたあかしとしてポツリとあった。」と称されている(出典”くるまにあ”1999/10)。ただ磨き上げたというのではなく、新車にしか見えないというその雰囲気こそが、氏がDIYレストアを行う目的ではないか、と思っている。

新車にしか見えない、か。しかしそれって、ものすごく綺麗な中古車となにが違うんだろう?

……並んでいる500の中に、やたらと綺麗な500。周りのクルマもどれも綺麗だが、これだけは何かが違う。一目見た印象は「新車みたいだな」ということ。

開いているボンネットの中をちょいと覗き込み……おかしいな、これ走ってるのか?インテリアを見て……座った形跡がない?メーターは……確かに少ないが、きちんと回っている、デッドストックを昨日今日に下ろしたわけではないようだ。しかしこの距離とはいえ、乗ればそれなりの使用感があるはずなのだが……やはりどこから見てもそれがない。これは”綺麗な中古車”ではない……そう、まるで”新車“みたいだ。

そうか、時間をかけて隅々まで掃除するっていうのはこういうことなのか。”極上中古車を作る方法”の意味が、ようやくわかった気がする。

とりあえず手の届くところから掃除してみるか……ウエスで適当に拭くだけじゃダメなんだな、本の通りに割り箸使うか?

#って自分のクルマがああなるとは思わないけど
Posted at 2010/07/17 04:54:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | ひとりごと | クルマ
2010年02月08日 イイね!

ウルフ・カウンタック1号車とRallye Racing(と500E)

ちょいとデザインを変更した。それにまつわる駄話をひとつ。今回はあまり500Eに関係ないうえ、超長文。必ずしも当時に感じた、わかったことを時系列に並べているわけではなく、後年に聞いた、わかった、考えたことも含めて自分なりに解釈したお話。

自分のクルマは一点だけ目立つノンオリジナル部分がある(これに関してはいずれ戻す、問題は予算捻出……)ものの、それ以外は完全にオリジナル状態を維持している。そしてブルブラ/黒革の組み合わせなので、とても地味だ。

オリジナル維持は500に限らず、自身のカーライフにおけるスタンスなので、地味なのはしょうがない。ただ複数の500が集まるような場所では目立たないことこの上なく、自車がひと目でわかるような効果も狙い、何枚かステッカーは貼っている。ステッカーなら気に入らなければすぐに剥がせる、お手軽モディファイだ。

そのうちのひとつがこれ。



左右ヘッドライト下に貼った”Rallye Racing”のステッカーだ。この狭いスペースにピッタリのサイズで、ヘッドライトワイパー脇へキレイに収まる。小さいが、黒に赤という組み合わせはインパクトがあり、非常に自車がわかりやすくなったので狙い通り。もっと大きいサイズも存在するのだが、個人的にはこの場所に貼れないと意味がない。

そもそもRallye Racingとは、ドイツで発刊されていた(たぶん今は出ていないと思う)クルマ雑誌だ。一時、日本でもユーロ系カスタマイズでこのステッカーを貼るのが流行ったらしいが、そちらについては気づかなかった。しかしその名前とこのデザインは、子供の頃からずっと気になっていたのだ。

その原因は、これである。



カウンタックLP500S、その中でもウォルター・ウルフがオーダーした、いわゆるウルフ・カウンタックの1号車だ。このクルマの伝説や風評についてはここでは触れないが、特徴的なディティールが見受けられるワンオフ車両であり、しかもその現車がスーパーカーブーム当時に並行業者”オートロマン”によって日本へ輸入された。

……とはいっても1974年生まれの自分にとっては、いくらそのころからかなりクルマ好きの子供であったとはいえ、カメラを構えて道端でクルマを待ち構えるほどにスーパーカーブームの中に居たわけではない。このクルマについてはスーパーカーカードなどで「特別なカウンタック」という程度の知識はあったが、現車はもちろん、当時流行したレプリカも(当時には)実際に見たことはない。

それなのにLP500Sに対して思い入れがあったのは、タミヤが1/24でプラモデル化していたためだ(上に貼った画像も実車ではなく、タミヤオフィシャルのタミヤ1/24製品情報から引っ張っている)。クルマ好きの子供として、時々各社のプラモデルを買ってもらい組み立てたが、他のメーカー製は子供にはなかなかうまく組み立てることができなかった。しかしタミヤ製だけは違った、当時から誰が組んでも、きちんと完成する精度を誇っていたのだ。そんな当時作ったプラモデルのひとつがこのタミヤ製LP500Sで、非常にカッコいいプラモ(クルマ)だなぁ……と感じたのである。

またタミヤ製品はボックスアート(箱絵)も非常に優れたデザインだった。手にしたLP500Sの箱にはあの赤/黒のカウンタックが描かれている……そのボックスアートで非常に目立ったのが、LP500Sのマーカーランプ前に貼られたRallye Racingのステッカーである。これはプラモでもデカールとして再現されていた、ただし幼稚園児が組んだプラモなので塗装もせず、たぶんデカールも貼らなかった(貼れなかった)のではないかとは思うのだが「このマークはなんだろう?」と記憶の奥底に仕舞い込まれることとなる。

それから10年近くの年月が過ぎ、クルマ好きの幼稚園児はクルマ好きの中学生へと、順調に成長していた(いや、この時にクルマに対して興味を失っていれば、もう少しまともな人間になっていたかもしれないのだが……)。中学校に入ってからはカーマガジンとモデルカーズを愛読し、CGそのほかの雑誌は立ち読みして知識を貪欲に吸収、もはやエンスー気取りの耳年増である。

そんな時代が昭和から平成に変わったばかりのある日、駅前の書店でいつものようにクルマ雑誌コーナーの前に立つと、なんか心の琴線に触れるかのようなコピーが目に付いた。

”発見!ウルフ・カウンタック第1号車 完全追跡レポート”

……ウルフ1号車ってあの赤いLP500Sだよな?まだあったんだ……なに、この雑誌、買ったことないな……

手にとって中をパラパラと見た自分は、その雑誌を買っていそいそと帰宅し、むさぼり読むことになる。それは”GENROQ”の1989年4月号(No.34)だった。



その内容は驚きの連続だった、幼稚園児当時には知らなかったような情報も事細かに執筆されている。ウルフ1号車の成り立ち、オートロマンによって輸入されたこと、そしてその後も日本にあり続け、現在(1989年)はさるオーナー(O氏)が所有、しかし現状ではある工場(デルオート、蛇屋じゃなくてATのほう、写真をよく眺めると多摩堤通りの土手が確認できる)の中でバラバラ、ボディ各部にはエアブラシアートが……

この時、ウルフ1号車の毒に犯されてしまった。なんてミステリアスな存在なんだろう……そして、クルマ雑誌ってこんなに面白い記事もあるんだと、一発で打ちのめされた。こんな記事を書く人って、いったい誰なんだ?

クレジットを確認すると、そこにあったのは”福野礼”(現:福野礼一郎)という名前。聞いたことないけど、こんな面白い記事を書く人ならこれからは気にしておこうと決めた。”誰”が書いているかを意識して、雑誌を追いかけるようになったきっかけの二人目である(ちなみに一人目は、モデルカーズを創刊した平野克己氏)。

このGENROQ1989年4月号を繰り返し読んでいると、ウルフ1号車について福野氏が取り上げたのは初めてではないらしい。この頃には日常的に古本屋に出入りするようになっていたので、GENROQのバックナンバーを探し出す(1989年1~2月号)。また4月号では今後も記事が続くような終わり方となっていたので、次号からはGENROQも買うようになった。残念ながら福野氏によるLP500Sレポートはその後に掲載されることはなかったのだが、当時GENROQに深く関わっていた氏は他の記事も多く手がけていた。そして連載記事”福野礼のスーパーカー・ファイル”で、少年は完全に信者と化す。そして福野氏が離れるとともに、自分もGENROQの購入は止めてしまった。

その数年後、福野氏のスーパーカー関連記事をまとめた”幻のスーパーカー”という単行本が出る。そこには出荷直後(納車風景?)なのか、エンジニアたちとともに、ウルフ1号車の前で写真に納まるウォルター・ウルフの姿があった。しかしそのウルフ1号車の小さなモノクロ画像をいくら見ても、あのRallye Racingステッカーらしきものはない。

ここで疑問が生じた。記憶中枢の奥深くにしまいこまれていた、あのタミヤ1/24でも再現されていた、あのRallye Racingステッカーはなんだったんだろう?自分にとってはウルフ1号車=Rallye Racingという刷り込みがあるが、どうやら出荷当時には貼られていないようだ。

件のGENROQを引っ張り出すと(1)外紙の掲載写真(2)日本上陸直後にスーパーカー・ショーに出展された時の写真、そして(3)1989年当時の姿が確認できる。(2)の時点で既にRallye Racingのロゴはなく、輸入業者オートロマンのロゴに変わっている(ただし画像はないものの、文中では上陸当初はRallye Racingロゴのまま、オートロマンのショールームに展示されていたという記述がある)。(3)の時点では、マーカーレンズの下にはなんのステッカーもない。また時系列が前後するが、映画”蘇える金狼”で早朝の銀座を疾走したときはRallye Racing、オートロマンともになかった。

もう一度各記事を読み直す。するとRallye Racingロゴがある(1)は、当時にクルマ雑誌Rallye Racingが取材したときの写真らしい。もう少し調べてみると、Rallye Racingで取材・掲載されたクルマは、車種を限らずほとんど(すべて?)の場合、クルマのどこかにRallye Racingステッカーを貼って撮影しているようだ。

なるほど、それで永年の謎が解けた。ウルフ1号車を世界で初めて取材したとされるRallye Racing、さすがにタミヤとはいえ、ウルフ1号車の現車は取材できずに外紙記事を資料としたのかもしれない(既にLP400のプラモは製作していたので現車が採寸できなくとも大筋問題はないだろう)。もしくは上陸後に取材したがその時点ではRallye Racingロゴが残っていた、またはオートロマンロゴに変わっていたけどさすがにそのままプラモにはしなかった、というところだろうか。

とまあステッカーという小さなネタではあるが、やはりウルフ1号車にこだわる人には強烈な刷り込みとなっているのか、現在のオーナーも現車を入手・レストアした上で、マーカーレンズ前にRallye Racingステッカーをきちんと貼っている。

さて、ウルフ1号車とRallye Racingの関係はこれであらかた終わりなのだが、ではなぜ500Eに貼っているのか。そもそもは「LP500Sと500E、どっちも”500”だ、Rallye Racingステッカー貼ったら面白いかも」という思いつきでしかない。その流れで「希望ナンバーで”30-82”を取る」というのも考えた(笑)
(30-82は、ブーム当初から現在までウルフ1号車が付けているナンバー)

しかしそれ以上の理由は、ある意味ではこのウルフ1号車の存在がなくしては、自分が現車500Eを買うことはなかったかもしれないからだ。

自分が今の500Eに決めた理由は、程度とか整備履歴とか値段とか雰囲気とかいろいろあるのだが、もうひとつ”この店(人)”から買ってみたい”というのがあった。大通り沿いにきらびやかなショールームを構えているわけではなく、また社長一人でやっており、広告も一切出していない。でも一部の人には名前がよく知られている、そんな店だ。

そんな店の存在に気が付いたのは、福野氏の記事を追っかけていたためである。そもそも福野氏の記事を追っかけるようになったのは、ウルフ1号車の存在がきっかけだ。ということは、まだ見たことのないウルフ1号車が、この目の前の500Eに引き合わせてくれた、ともいえる……などと考えながら、商談中に「GENROQのウルフ1号車の記事がきっかけで、福野さんのファンになって……」なんてことをとポロリと漏らした。

するとA氏は、これまた(自分にとっては)衝撃の事実で返してきた。「ああ、あのクルマならデルオートでバラバラになってたところを見てますよ。当時からよく出入りしてたんですが、ずっと置いてありましたからね~」

……これは単なる偶然でしかない。ただ、自分がこの500に路上で出会ったのが完全なる偶然で(売りに出ていたのは半年以上前から知っていたが、見にも行ってなかった)、しかも売主があのウルフ1号車発掘記事のリアルな風景を見ていたなんて、偶然にしてもそうそうあるものではない……くだらない思い込みであることは十分わかってはいるが、LP500Sが500Eを介して自分を呼んでいるのか?

この商談初日はいったん保留にして帰ったのだが、たぶんこの時点で気持ちは決まっていたと思う。即答しなかったのは、現車を見ないで断れない関係からのオファーがあったためだ。後日確認したそちらの車両は、はっきりいってほとんどケチの付けようがなかった。ただ当初に伝えていた予算をオーバーしていた、交渉の余地は残されていたのだが、もし値下げされると決めきれなくなってしまう。そこで予算オーバーを理由に、呼ばれたような気がする現車に決めた。

Rallye Racingステッカーを左右対で、しかもヘッドライト下に貼らなくてはいけないのはこれが理由である。ウルフ1号車へのオマージュだから、フロントウィンドウやボディサイドじゃダメなのだ。決して広いスペースとはいえないW124のヘッドライト下にピッタリのサイズが存在したというのも、これまた運命なのだろうか。ということで他人が見たらまったく意味がわからなくとも、個人的には大変気に入っていて、予備もきちんと用意してあるのだ。
-----------------
■2010/02/09追記

えっと、資料読み返したらちょっと気になる記述を見つけてしまった。本文を編集して消すのはちょっと違う気がするので追記。

>(2)の時点で既にRallye Racingのロゴはなく、輸入業者オートロマンのロゴに変わっている
>(ただし画像はないものの、文中では上陸当初はRallye Racingロゴのまま、
>オートロマンのショールームに展示されていたという記述がある)。

と書いた。これはGENROQ1989年1月号から引用。

しかしF-Road2008年7月号では(これ別にウルフ1号車に関する記事ではないのだが)「日本に来てオートロマンのショールームで見たときはもう(Rallye Racingステッカーは)ついてなかったけど」という記述がある。

書いたのは両方ともF野氏なのだが(笑)、一体どっちなのよ!(笑)
感覚的には後者かな、と思うけど……
Posted at 2010/02/08 22:28:29 | コメント(4) | トラックバック(0) | ひとりごと | クルマ
2010年02月07日 イイね!

大黒から砧公園

今日はおは大で大黒だが、sai105さんと早めに約束してたのでちょい暗いうちに出ようとした。

しかしエンジンに火を入れるとちょっと気になる症状が……1発くらい失火してるのか、妙に振動がある。これ1年くらい前(つまり寒い時期)にも一度出た、その時は再始動で解決したので同じようにする。ひどくはないが、普段よりはやはり振動がある……デスビ内に湿気が入ってリークしてるんだろうか?少しアイドリングさせたら収まった。

以前に症状が出た時はその後に再発しなかったこともあるがその時点では特に何もせず、夏前の定期点検時に伝えて一応チェックはした(で、特に何のコメントもなかったということは、問題はなかったはず)。デスビ関連は納車ちょい前に変えてるのでまだ2年くらい、それでも駐車中に湿気が入り込むことがあるんだろうか。気持ち悪いのは、昨日始動した時はまったく問題がなかったこと。今朝に雨が降ったわけでもないので、そんなに湿度が高いわけでもないだろうし、昨日は洗車もしてないし。

まあ症状はすぐに収まったし、様子見ながら暖気走行しても問題なさげなので、とりあえずそのまま向かう。大黒行くときはいつも第三京浜経由なのだが、この時期は最短距離で向かうと玉川でも水温が上がりきらないので、今日は環七経由で少し遠回り、ちょうどよい感じ。つーか7時頃だとやたらと空いてる。

んで到着。やたらと寒いのでそそくさとマックへ。店を出たころにはぼちぼち、皆様方ご到着。初めてお会いしたノーマルE500の人と話しこんでしまううち、時間が過ぎてしまったのでsai105さんと次の目的地へ。でも第三京浜と首都高ルートで別行動(笑)

向かった先は砧公園。500?の集まり……



嘘です、全体像はこれ。





青山にある濃い古本屋、ロンバルディの店主が主催するイベント”世田谷モーニングクルーズ”は、何の縛りもないゆるーい集まり。

http://lombardi.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/2010-0c99.html

でもやっぱり、集まる人もかなりのカーキチたちでなかなか楽しい。ミニカー方面でもかなり濃い方とお会いした。

毎月第1日曜に開催して今日で1周年、ただし開催されない時もあるので注意(秋口は危険)。来月はどうなんだろう?

http://lombardi.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/1-a1d6.html

昼ごろまでうだうだと話し込み、それから友人と昼食のため移動していたら、世田谷のポルシェセンターから出てくるボーナイトの500発見。チラッと見ただけだが、US仕様風のピンストが入っていたような?やっぱりブルブラ以外の500はいいなぁ、ただボーナイトって以前も取り上げたが、意外とよく見かけるので雑誌がいうほどレアカラーではないとは思うけど。

しかしお目当ての店は臨時休業というオチで、その近くで適当に済ませておしまい。なお始動時の振動は、その後は一度も発生せず。
Posted at 2010/02/07 23:54:45 | コメント(1) | トラックバック(0) | ひとりごと | クルマ
2010年02月05日 イイね!

ナンバープレートの数字

希望ナンバー制度が取り入れられて、多少なりとも個性が発揮できるようになった?ナンバープレート。自分は以前はまったく気にしていなく、260Eのときは非希望でそのまま払い出されたナンバーにしていた(もちろん、覚えやすい番号が割り当てられるといいな、程度の意識はあったが)。

500Eに乗り換えたときは、ちょっと思うところがあって、希望ナンバーを取った。そうすると500に限らず気になるのが、他車のナンバープレート。気をつけて見ていると、意外なまでに希望ナンバーのクルマって多い。たとえば「11-22(いい夫婦)」とか「11-88(いいパパ)」なんて語呂合わせも結構目に付く。また逆に「11-12」なんてわかりやすいナンバーが非希望で付いていると「すげー!」と思ってしまう(笑)
もっとも大部分は意味がわからず、クルマにも関係なさそうで、記念日でもありえない(たとえば最初のヒト桁が”3”で始まる4桁とか)番号で、頭を悩ませてしまうのだが。

んで500のナンバー、これはぶっちぎりでよく見かけるのは「・5-00」だろう。500Eに限らずSL500やらCLS500やらS500やら、はたまたフィアット500やらでよく消費されるせいか、分類番号も進んで、なんと品川管轄ではすでに”355”まで行っているらしい(わたしゃ品川管轄じゃないですが)。
http://www.k5.dion.ne.jp/~nplate/list/kibou/k0500.html

じゃ次は……と思って、ミーティング時に撮影した写真を何枚か見てみたけど、意外と次は法則性が無かった。「非希望」と「希望だけど意味はわからない」が同じくらいのイメージか。誰でもすぐに思いつきそうな「・1-24」は500に限らず、W124ではあまり見かけない気がする。というかメルセデスでコードナンバーってのは世代を問わずにあまり見ない(ポルシェは多いんだけど)。「・・-36」ってのは自分でも考えたが、過去に見たのは1台だけかもしれない。あとは「排気量」とか「年式」ってのがわかりやすいところだろうか。

ちなみに自分の希望ナンバーは「意味はわからない」パターンで、西暦にも記念日にも当てはまりそうもない数字だから、他の人にとってはまさに謎だろう。ネタをバラせば非常に単純で、前車260Eの時に払いだされた4桁をそのまま希望しただけ。両車とも色がブルーブラックで同じため、クルマに興味がない人が見れば乗り換えに気づかないこともあり(←実話)、実はかなり気に入っている。いや、実際はクルマに興味がない人が他人のナンバーなんて覚えているわけもないのだが、そこはそれ、自己満足だからどうでもよい(笑)

もともとは、260Eが嫌になって乗り換えたわけではないのでなにか引き継げないかと考えていて思いついたのだが、こういうことができるのでいい制度かもしれない。ちなみに知人で、希望ナンバー制度が取り入れられる前に、ある番号がどうしても欲しくて陸運局に日参したという人がいるが……昔のクルマ雑誌を見ていると、お金持ちのオーナー車両は複数車種間で番号が揃っていたりするのも、基本的に同じ手口だったようだ。

ということで、意外とナンバープレートの数字も面白いねぇ、というお話。

おまけ画像。



実家にあったオペル・ベクトラの4桁を並べ替えると、自分のナンバーになる(偶然)。
しかしそれよりも注目してほしいのは、二桁ナンバー時代に分類番号が”36”まで到達していること。これは名古屋管轄だけで、しかもその後すぐに3桁時代に移行してしまったので、なかなかレアなナンバーである。
http://www.k5.dion.ne.jp/~nplate/list/2keta/33.html
(ただこのベクトラはもう手放したので、このナンバーも存在しないと思われるが)。
Posted at 2010/02/05 04:10:50 | コメント(5) | トラックバック(0) | ひとりごと | クルマ

プロフィール

「てすてす」
何シテル?   05/18 00:51
いろいろ好きなクルマはあっても、実際に買ったクルマ/バイクは地味なのばかりかも。というか、ほとんど同じクルマ/バイクを各2台乗り継ぎ(どちらも普通の人は気付かな...
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