先日、浜名湖で見かけた92年D車のパールグレー。いろいろ興味深いところがあるなと思いつつ、とにかく当日天気が悪かった&
オーナー氏とお話しするのが帰り際だったため、あまり詳しく観察できなかったのだが……実はあの個体、当時ヤナセが(MBJが)発行した500Eのカタログに掲載された画像のクルマそのものではないか、という、ロマンあふれるお話があるらしい。
どうなのか。確かに仕様は似ている。
先日のblogでちらっと書いたように、1992年本カタログの表紙を飾った500E(ナンバーS-KS8807)は、外装パールグレー/内装ブラックファブリック、そしてサンルーフを装備していることが確認できる。これは確かに、組み合わせとしてはまったく同じだ。
またそのお話の根拠となっているのが、
この個体は92年D車とはいえそれ以前の91年、ことによると90年生産ではないかというほど、各部のデティールが一般的な500Eと異なっている点である。
http://kazenikki.exblog.jp/15126664/
たとえばABSユニットに“ABS/ASR”と刻印入りのカバーが装着されていること。これ発表当時(90年後半)の外紙記事を眺めるとわかるが、確かに初期はこのカバー&エアクリーナボックスへのインテークホースがR129と同じタイプ(蛇腹あり)だった。しかしMBJによって国内へ本格的に導入され、広報車(アルマンダインレッド)の記事が国内雑誌に掲載されるようになった92年前半時点では、既に刻印なしカバーに変更されていた。
もちろんシャシNo.もかなり若く、初期の生産であることを示している。そして何より、これがカタログ画像のアレではないかと指摘した某氏は90年車を所有しているプロなのだ。ファイアウォールの指摘など、まさにプロでなくては気づかないポイントだろう。この個体がD車の中でも相当早期に輸入され、91年(あるいはそれ以前)生産であることは疑いようもないといえる。
では、この個体=ヤナセ写真のアレ、なのか。その証拠、あるいはそうではない証拠を探してみよう。とはいっても現車は気軽に見られる距離にはないし、浜名湖でもロクに写真を撮ってない。当時の資料をひっくり返しつつ、
アームチェア・ディテクティブとして推理してみる。
まずヤナセ写真とはどういうものか。あれはいわゆる広報画像で、自社の宣伝はもちろん、基本的には雑誌や新聞といった媒体へ無償で提供、記事に掲載しても構わない写真。新車発表記事を複数の雑誌で読み比べると、同じ写真が掲載されているケースが珍しくないが、アレが広報画像である。インポータであるMBJが用意(撮影)した画像もあるとは思うが、ほとんどの場合は本国MBが用意したものであり、国内カタログに使用された写真も本国広報画像からセレクトしたと考えてよいだろう。だからこそ、ナンバープレートがドイツ仕様なのだ。よって、MBJのカタログにあの画像が使われた=あの個体が日本へ輸入された、とイコールで結べるわけではない。
(細かいことをいえば、おそらく一部の写真は国内で撮っているが、イメージカット的な写真は本国版だと思われる)
で、ヤナセ写真のパールグレーだが、これ実は2台存在している。
(1)1992年国内本カタログ(正方形)の表紙に登場した“S-KS8807”(内装ファブリック)
(2)1992年国内簡易カタログ(4P)に3カット掲載されている“S-KT5609”(内装不明、写真で見ると革の可能性否定できず)
(1)に関しては発表当初からいくつもの雑誌に姿を現していてドイツ本国広報車と考えられ、当時の外紙、しかも1990年パリサロンと前後するタイミングで実走試乗写真が出てる。90年の雑誌に出ている以上は90年生産は間違いなく、極初期生産というより先行量産車のような個体かもしれない。ナンバー付いて公道走っているので、ドイツで確実に登録済みだ。
(2)に関してはちょっと情報が少なく、ザザっと眺めた限りではMBJ簡略カタログ以外に露出が確認できない。ただナンバープレートの“S-KT56xx”は本国広報車として大量に登録された形跡があり、前後のナンバーを付けた500Eが1990年当時の外紙試乗記事に何台も出てきている。よって、こちらも1990年生産分であることは間違いないだろう。
ちなみにドイツの車検制度がどうなっているのか、詳しくは知らないが、ナンバープレートの頭に入っている“S”はシュツットガルトで、また市章の馬が入ったステッカーが貼られている(たとえばBMW=ミュンヘンは違うデザイン)ため、使いまわし可能な仮ナンバー的なものでない限りは、本国管轄の広報車はすべてシュツットガルト登録のはず。
で、これ(これら)のパールグレーが、関西に生息している個体かというと……個人的には違うんじゃないかな、と考えている。
まず確実にファブリックの“S-KS8807”は、欧州試乗で酷使された個体である。500Eは1990年末の発表に対し、日本での導入発表は1991年12月とかなり余裕があったため、あえて登録済みの中古個体を慌てて輸入する理由はないはずだ。
次に“S-KT5609”だが、こちらは実走の証拠が現時点では見つからないものの、前後ナンバーが本国広報車として使われた以上、同様と考えるのが自然だろう。よって、これもあえて日本へ持っては来ないのではないか。
もっとも、それだけではあまりに弱い。その根拠を上げるならば、両車ともトランクパネルが非日本仕様(欧州仕様)となっていること。
ビーグルデータカードを拝見すると、この個体は当初から日本仕様として生産されている。これだと辻褄が合わない。またオプションコード341のサイドマーカーもそうで、2台とも当然非装備だ。もちろん、生産後に向こうで広報車として使い、日本へ移送するときにパネルを交換してマーカーを追加する……ってことはできるだろう。しかしその場合はビーグルデータとしては履歴に残らない。またメーカー自身&MBJが、そんな面倒なことをするとは考えづらいのだ。欧州で走った車両は本国でデータ取りに使い、仮に販売用ではないとしても、日本向けにはちゃんと日本仕様を送るのが自然だ。
では、この車両はどういう扱いだったのか。ファーストオーナーがヤナセだったということでMBJ広報車という意見も見受けられるが、一般的にMBJの広報車といえばアルマンダインレッドのアレで、実際のところ、他のカラーが媒体に出たことは一度もないはず(~1991年にMBJ提供の車両が姿を現したことはない)。もちろん、たまたまスケジュールの関係で媒体に露出しなかった……という可能性もあるのだけど、あれだけ各媒体に取り上げられたのに一回も出なかったのは不自然&500Eのポジション的に何台も広報車を用意したとは思えない、という気がする。またアルマンはパールグレーより確実に作りが新しく、たとえばエアコンはR134aだし、ABS/ASR刻印入りのカバーもない。あまりに時期がズレすぎなのだ。
で、ここからは完全な想像だが……500Eを国内の路上で走らせた時にどうなるか(たとえば渋滞にはまった時に水温が……的な)、それを現地テストするための車両だったのではないだろうか?それならば正規導入発表以前、それもかなり早い段階で輸入されたこと、生産時期が早いこと、一部装備がないこと、インポータ所有車だが媒体に貸し出されなかったこと(あるいは掲載NGで一部に乗らせたのかもしれない)の納得がいく。
以上、推理終わり。いわゆる広報車とはちょっと違うとは思うが、MBJが日本へ入れたファーストロットの、あるいは最初の500Eであることはほぼ確実な気がする。ちなみに90年に生産された500Eはわずか46台であり、また本国広報車はそれなりの数が用意されていた形跡があるので、それこそ本国広報+各仕向地テスト車だけ、なのかもしれない。うーん、もっとじっくり観察したかった(笑)
#ところでこの個体にはオイルクーラーは付いているのだろうか?
#それと赤い90年、それこそ本国広報の可能性があるような……並行っすよね?
Posted at 2012/05/12 13:38:54 | |
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