懐かし車シリーズ第6弾は、WRC ~ グループBカーです!!
今回、これを作るのに必死で、
夜はみんカラ見る時間がありませんでした。
ゴメンナサイ m(_ _)m
今回も長いです!
kuraさん、飲み物用意しといてください!(笑
あまりにも長くなったんで、今回はグループBの全体と、流れです!
次回から、主な車を乗せてきますので、よろしくね!
グループB
半ば伝説的な
最速のレースカテゴリーとして名高い
グループBは、現在のグループAカーとグループCカーの間にあったカテゴリー。
競技専用の自動車であるグループC車両とは異なり、
一般の市販車として公認された自動車に大幅な改造を施せるものがグループB車両。
WRC(世界ラリー選手権)のトップカテゴリーとして定められていました。
グループBでは、
連続する12か月間にベース車を200台製造することにより選手権への出走が認められる、すなわちホモロゲーションを受けられるというカテゴリーでした。
ワークスカーの出力が、
300馬力前後から450馬力-600馬力前後までにパワーアップし、空力特性を上げるためのさまざまなエアロパーツが付加されるようになり、まさに
戦闘マシンと言うのがふさわしいい形となっていきました。
1tそこそこの車重に対し、450馬力-600馬力のパワーを持ったモンスターマシンが、あらゆる条件の公道を爆音を響かせて疾走する様は、観客を熱狂の渦に巻き込んでいきました。
が、
FIAは、WRC、特にグループBの人気に営利主義に走り、安全性より速さのみを追求していく・・・
グループBカーはあまりにも速くなりすぎ、危険で、一流ドライバーでも制御不能の領域にまで踏み込み、数々の悲劇を生みました。
軽量なものは
1tを切る車体で、
強力なエンジン、
強力なダウンフォースを生む空力性能を生かしてグラベルやターマックを疾走する様は、
残された映像から当時の激しい競争を知ることができます。
その加速力は0-100km/h加速は1.7秒-2.5秒ほどであったとされています。
これは1,000馬力とも言われた当時のF1カーをも凌いだと言われます。
1986年にヘンリ・トイボネンが、F1モナコGPが開催されるモンテカルロ市街地コースをランチア・デルタS4でエキシビジョン走行した際には、当時の予選グリッドで6位に相当するタイムを出したという逸話も残っています。
軽く大型空力パーツを装着した車体と強力なエンジンの組み合わせというコンセプト、見る者を圧倒する走りから、「公道を走るF1」と形容されました。
1985年
第5戦ツール・ド・コルスではアッテリオ・ベッデガの運転するランチア・ラリー037が立ち木に激突し、ベッテガが死亡。
第8戦のアルゼンチンラリーではアリ・バタネンが直線でコントロールを失い大クラッシュ、再起不能ともいわれた瀕死の重症を負ってしまう。
最終戦、ホモロゲーションが認められたランチアが必勝を期してランチア・デルタS4を投入。
ツインチャージドエンジンをリアミッドシップに縦置きし、4輪を駆動。
量販車とは名前以外ほとんど似てもいない、もはや勝つための装備のみを満
載させたマシンでした。
デビュー戦でデルタS4は圧倒的なパフォーマンスを見せ、ヘンリ・トイボネン、マルク・アレンのドライブで1-2フィニッシュ。
1986年
第3戦のポルトガルラリーでまたもやグループBカーの惨事が発生。
地元からフォード・RS200にてワークス参戦していたヨアキム・サントスが、コース上の観客を避けようとして観客席に時速200キロメートルで突っ込み、死者3名(一説には4名)を含む40人以上の死傷者を出す大惨事を引き起こした。
ベッテガの事故死、バタネンの重傷事故、そして大勢の観客を死傷させる大惨事という警鐘があったにもかかわらず、関係者は主催者側の観客整理のまずさに事態の責任を求め、グループBカーの性能の暴走を認めませんでした。
結局ポルトガルラリーは全マニュファクチャラーが競技から撤退し、残りの日程はプライベーターのみで争われる事態となりました。
第5戦のツール・ド・コルスで決定的な事故が発生しました。
初日からトップを独走していたランチアのトイボネンが緩い左コーナーにノーブレーキで突っ込みコースオフ、崖から転落した直後に爆発炎上。
トイボネンはコ・ドライバーのセルジオ・クレストとともに死亡。
ランチア・デルタS4はボディ下部に燃料タンクがあることと、マグネシウムホイールを装着していたことなどから、車両はスペースフレームとサスペンションを残して全焼してしまいました。

トイボネン/クレスト組の死亡事故を受け、国際自動車スポーツ連盟 (FISA)は緊急会議を招集し2日という異例の早さで声明を発表、以後のグループBのホモロゲーション申請を受け付けないこと、1986年限りでグループBによるWRCは中止し1987年以降は下位カテゴリーであるグループAにて選手権を行うと決定。
グループBは、速さのみを求め、速くなりすぎたために、わずか5年でWRCの舞台を追われることになりました。
ほんのわずかな期間だけの最強モンスターマシン達の光と影・激しく輝き そして散っていった・・・
グループBマシン、今でも記憶に焼きついてますねぇ・・・
次回は、主だったグループBカーを乗せます!
が、ちょっとまた休憩はいりま~す!
ふう!つかれましたぁ~!!!
v(^o⌒)-☆
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Posted at
2010/02/17 02:53:36