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ぶるーえんじぇるのブログ一覧

2010年03月26日 イイね!

懐かし車シリーズ第10弾:BLUE ANGELメンバー&友達の車

自分らが乗ってた車が懐かしいって事で、「BLUE ANGEL」当時の仲間や、友達の車を挙げてみました。

*画像は私の車ではありません。同色でなるべくノーマル状態と思われる画像です。


とりあえず、自分のからッス。

ミツビシ・A175・ランサーEXターボ(I/C無し)
  エンジンノーマル+足周り+ビンボーチューン仕様
  港北で、ポルシェ944と走ってたら、ポルシェのスピンに巻き込まれ、
  2台とも廃車・・・

ミツビシ・A175・ランサーEXターボ(I/C有り)
  エンジンそこそこチューン+足周り+ビンボーチューン仕様
  前車末期(笑)から、この頃「BLUE ANGEL」発足。
  あちこち放浪ドライブ。愛称「らん太」

ニッサン・R30・スカイライン・RS-X(鉄火麺)
  チューニングショップSSSのゼロヨン仕様+ビンボーチューン仕様
  これは結構いじってました。速かったスが、エンジンブロー。
  愛称「チャコちゃん」

 
-----------------------メンバー&友達の車---------------------------

T君
ホンダ・EF・シビック・Si
  グランド・シビック。タックインの特訓中、電柱に激突。クワガタになる・・・
ニッサン・S13・シルビア・K’s
  こだわって前期型を探して購入。愛称「シビ子」

F君
ホンダ・EF・CR-X・Si
  2代目サイバー・スポーツ・CR-X。真鶴旧道でタコ踊りしてしまい、
  石材屋に突っ込む・・・愛称「赤いホイール」

T1君
ニッサン・B12・サニー・RZ-1
  B12型サニーのクーペモデル。個人的に好きな形です。結構レア車かと。




N君
ホンダ・シティターボⅡ・ブルドック
  一度、直角コーナーでインリフトして、マジでびびってましたね。
ニッサン・R31・スカイライン・GTSターボ
  タービンブローさせてましたね・・・
トヨタ・T160・セリカ・GT-FOUR
  愛称「田吾作」

F1君
マツダ・SA22・RX-7・GT
  アフターファイヤーが激しかったス。男4人乗って長崎まで帰りました。
  エンジンブロー




S君
ニッサン・S110・ガゼール
  角目4灯。夜中、港北でハイドロになり自爆廃車・・・

S1君
ニッサン・S30・フェアレディ・240Z
  アイドリングでエアコン付けるとエンストしてました(笑)

S2君
トヨタ・EP71・スターレット・ターボ
  愛称「ジャジャ馬」

K君
ニッサン・S12・ガゼール・RS-X
  FJ20ターボ。愛称「弁当箱」

H君
ニッサン・R30・スカイライン・RS-X
  前期ニューマンスカイライン。愛称「西部」 





K1君
ミツビシ・エクリプス
  日本では多分レア車。前期型でした。
マツダ・FD3S・RX-7・タイプRB
  結婚して私がデミオに乗ってた頃、サーキットで勝負しようとか
  言ってました・・・お断りしました・・・(T_T)

K2君
トヨタ・AE86・トレノ・GT APEX
  ガードレールに自爆廃車・・・
トヨタ・AE92・トレノ・GT-Z
  
T君
トヨタ・AE86・トレノ・GTV
  コンクリートに激突して自爆廃車・・・
ニッサン・R32・スカイライン・GTS-t
  燃費が悪いと、いつもぼやいてました。





懐かしい車、ありましたかぁ!?   v(^o⌒)-☆
Posted at 2010/03/26 16:45:04 | コメント(14) | トラックバック(0) | 懐かし車 | クルマ
2010年03月17日 イイね!

懐かし車シリーズ第 9弾:ボーイズレーサー~(80年代軽クラス)

懐かし車シリーズ第 9弾:ボーイズレーサー~80年代!
まずは軽クラスです!


●1983年の三菱ミニカ・ターボを皮切りに、軽クラスにもターボ車が出現!
 上のクラスもカモれるハイパワー軽カーが登場しました!




★スズキ・アルト・ターボ/ワークス
 ミラ・ターボと共にハイパワー軽ターボの代表!
 ターボ車なのに、レッドゾーンは驚異の9500回転から!!

●1985年、軽自動車初の3気筒SOHC I/Cターボ「アルトターボ」発売。
 
●1986年、軽自動車初の4バルブ3気筒DOHCエンジンの「ツインカム12RS」発売。

●1987年、「アルトワークス」シリーズ発売。3気筒4バルブDOHC I/Cターボエンジンを搭載、軽自動車に64馬力の出力規制。

モデルチェンジ
●1988年、 丸目のアルト・ワークスへ。(4バルブ直3 DOHC I/Cターボ)
「ワークス」は独立し、標準のアルトとは別デザインになり、角目から丸目に変更、ホイールベースを、当時の軽自動車の中で最長に。
 




★ダイハツ・ミラ・ターボ/TR-XX
 TR-XXは、アルトワークスと共にハイパワー軽ターボの代表!

●1983年、0.547L 直列2気筒SOHCターボ車の追加。10インチ用フロントディスクブレーキ採用。

モデルチェンジ
●1985年、初代TR-XX登場! 直列3気筒SOHCターボ発売。 
 
●1988年、アルト・ワークスに対抗して、64馬力に馬力アップ。
 




★ミツビシ・ミニカ・ターボ/ダンガン
 1983年、軽自動車初となるターボエンジン搭載モデルを追加!過激な軽の先駆者です!

●1983年、ミニカ・ターボ発売!546cc SOHC 2気筒ターボ グロス 39psでした。


モデルチェンジ
●1984年、ターボ車には軽自動車初のインタークーラーを装着。
 
●1987年、550cc・3気筒SOHCターボへ変更。キャンバストップ+ターボもありました!

モデルチェンジ
●1989年「ダンガン」発売!アルトワークス、ミラターボの争いに割って入った三菱のホットモデル!!
国内の四輪ではクラス初で、市販車初の、660cc 5バルブ 直列3気筒 DOHC ターボを載せ、64PSに!
 




★スバル・レックス・ターボ/SC
 軽に初めて4WDターボやスーパーチャージャーを載せたスバルのホットモデル!


●1983年、SOHC直列2気筒ターボモデルを追加。軽クラス初のフロントベンチレーテッドディスクブレーキを採用。

●1984年、4WDターボも設定。

モデルチェンジ
●1988年、スーパーチャージャーモデルを追加。SOHC直列2気筒3バルブEGI 550cc IC付きS/Cでネット55馬力。

●1989年、マイナーチェンジで直列4気筒・スーパーチャージャー仕様61馬力の「クローバー4」へ変更。(90年に64PSへ)
 





★スズキ・セルボ・ターボ(マイティボーイ)
 軽のスペシャルティカーで、もともとターゲットは若い女性でした。

●1983年、背の高い軽が増える中、低いクーペボディで、スズキ初のターボモデルの「CT-G」を追加。 ボンネットのエアーインテークはダミー。40PS

 マイティボーイも基本、同シャーシ「スズキのマー坊とでも呼んでくれ」のキャッチフレーズでした。


モデルチェンジ
●1988年、550ccの直列3気筒SOHC12バルブ シングルキャブ 40PS
 ニックネームは「横丁小町」 女性バイクチームがサファリラリーにエントリーし、見事クラス優勝
 





ダイハツ・リーザ・ターボ
 セルボに対抗し、ターゲットは若い女性でしたが、後期にターボ車を追加。外見はおとなしかったです。

●1989年、ターボモデルのTR-ZZ(ティーアール ダブルゼータ)追加。 直3 SOHC 550cc EFIターボ  
 



安くてコンパクト、上のクラスの車に負けない速さと、この頃のKei-Carは、ボーイズレーサーの極みかもしれませんねぇ!!

    ☆~(^-゜)v
Posted at 2010/03/17 13:14:58 | コメント(11) | トラックバック(0) | 懐かし車 | クルマ
2010年03月04日 イイね!

懐かし車シリーズ第8弾:ボーイズレーサー~(80年代以前)

長文で有名?な「懐かし車シリーズ」です。
時間ある時に、飲み物用意してゆっくりどうぞ!(笑)


ボーイズレーサー
1980年代中心に流行った、主に1600cc未満の小排気量車に、高性能エンジンを積んだ、懐が寂しいけどスポーツ走行をしたい若者向けに作られたホットモデルの車でス。

ハッチバックスタイルの車がほとんどでしたね。

ボーイズレーサーの区分を、何で分けるかで考えましたが、とりあえず今回は排気量1600cc以下って事で分けました。チェリー、レビン・トレノ等微妙なんですが・・・


ボーイズレーサー創成期(80年代以前)でつ


ニッサン・チェリー:(1970-1974年)
(初代)日産初のFF車
サニーから流用した、X-1という名のスポーティーグレード専用のSUツインキャブを装着したA12型1200ccです。
71年、2ドアクーペを加え、73年、足回りを固め、オーバーフェンダー装着した、クーペX-1Rを追加!
A12型(ツインキャブ)直列4気筒 OHV 1171ccで80ps/9.8kgm、重670kg




スズキ・フロンテクーペ:(1971年-1976年)
「ふたりだけのクーペ」
フロントフェンダーボンネットはFRP製ッス。
シートは当時としては本格的なバケットタイプを使用!
1972年、前輪ディスクブレーキを装備した最上級のGXCFを追加。
車高は軽乗用車中最低の1200mm、前後重量配分は39.5対60.5、ゼロヨンは19.47秒でした。
360ccLC10W型で37ps/4.2kgm、重480kg




ホンダ・シビック: SB1/SG/SE/VB(1972-1979年)
(初代)当初は、低回転・低出力の水冷エンジンでした。
が、高水準のハンドリングにスポーティーモデルを望む声が多く、1974年、シビック初のスポーツモデル、「1200RS」を追加です。
ツインキャブ5速MTを装備、出力は76PS。
1200cc 直4 EBI型 ツインキャブSOHC76PS/ 、重650kg




トヨタ・スターレット:KP4*(1973年 - 1978年)
(初代)ミニ・セリカ的な性格のパーソナルクーペです。
主要なメカニカル機構はパブリカやカローラからの流用ッス。
3K型1200ccエンジンにはシングルキャブ(68馬力)とツインキャブ(74馬力)の2種を用意。
1976年、排ガス規制の為、ツインキャブ仕様が廃止されました・・・
1200cc 直4 3K-B型 OHV 8バルブ ツインキャブで74ps/9.5kgm、重755kg




トヨタ・スターレット:KP61(1978年 - 1984年)
(2代目)「1300スターレット」ほとんどのハッチバックライバル車がFFになりましたが、KP-61はFR!
同クラスで初めて全グレードにフロントディスクブレーキを標準装備です。
リアは固定車軸ですが、リーフリジッドから4リンク+コイルスプリングに変更
FRの素直な挙動、軽量ボディと優れたシャシーバランスで活発な走りが人気でした。
82年EFIを装着した4K-EUエンジンモデルを追加。
1300cc 直4 4K-U型で74PS/10.7kgm、重730kg




ミツビシ・ミラージュ(1978年-1983年)
(初代)スーパーシフトと呼ばれる2速の副変速機を持ち、主変速機と合わせ、4×2速の8速です!
サスは、フロントはマクファーソンストラット、リアは独自のトレーリングアーム式の4輪独立懸架を採用。
後に1600 cc(サターン・G32B)も追加。
1982年ミラージュIIでクラス初の1400ccに三菱重工製のターボを搭載し105PSへ!
G12B型オリオンエンジン1.4L 直4 SOHCで82PS/12.1Kg·m、重775kg




ホンダ・シビック:SR(1979年 - 1983年)
(2代目)「スーパーシビック」
外観は先代から引き継ぐ台形です。
ホイールベース、トレッドとも拡大され、ひとまわり大きくなりましたが、構造の合理化により車重の増加をおさえてます
このモデルからワンメイクレース「シビックレース」を開催!
通常モデルより5PSハイチューン(85PS/12.3Kg·m)なエンジンを搭載したホットモデル「CX」も追加。
EM型CVCCⅡエンジン1.5L SOHCで80PS/12.3Kg·m、重780kg




トヨタ・スプリンタートレノ/レビン:TE71(1979年 - 1983年)
(4代目)ノッチバックの2ドアハードトップ、3ドアハッチバック(ハッチバッククーペとリフトバック)、4ドアセダンの4タイプっす。
「レビン」は3ドアハッチバッククーペの2T-GEU型搭載モデルのみでした
SR/レビンはスタビライザー付き、ブレーキはサーボ付4輪ディスク、スアリングはクイックレシオ
2T-GEU型1.6L 直4 DOHC(レビン)で115ps/15.0kg·m、重975kg




以上っす!次はボーイズレーサー、最盛期の80年代!・・・そのうちにね!

  ☆*(у^∨^у)*☆
Posted at 2010/03/04 12:48:58 | コメント(13) | トラックバック(0) | 懐かし車 | クルマ
2010年02月24日 イイね!

懐かし車シリーズ第7弾:WRC ~ グループB車両

懐かし車シリーズ第7弾:WRC ~ グループB車両グループB車両ですが、実は前回の「第6弾:WRC ~ グループBカー」の時に、ほとんど下書き作ってて、次は楽だぁ!
と思ってたんですが、どうやら第6弾の画像と一緒に全部消してしまったみたいス・・・(T皿T)エーン

また作り直し・・・ショックで凹んでしまいました・・・(T T)



●ランチア・ストラトス(1974年)グループ4車両ですが特別出演。はい!えこ贔屓です!
 1974年、ランチアがラリーのためだけに開発したスペシャルモデル。私が一番好きな車でつ!

 ギア比を極端なクロスレシオにし、フェラーリのV6エンジンを低中速のトルクを重視にチューニングして、リアミッドシップに横置きのFR。

 リヤトレッドは1460mm(R32 GT-Rが1480mm)もあるのに、ホイールベースは2180mm(現行の軽自動車で2400~2490mm位)しか無いッス。ラリーカーとして、直進安定性を捨て、回頭性の良さを優先させました。
 
 WRC初期に大活躍し、ターボチャージャーを追加したストラトス・ターボでサーキットレースにも参戦!!





●ランチア・ラリー037(1982年)
 1982年、WRCに投入したグループBラリーカー。

 4WDのラリーカーが優勢な中で、ミッドシップエンジン・リヤドライブ(MR)方式で最後のタイトル獲得車です。

 シャーシの設計・生産はダラーラ、エンジンは元フェラーリのトップ・エンジニアのランプレディが設計。
 加給器はターボの急激なトルク特性はラリーに向かない、とスーパーチャージャーを装備。
 ワークスカー“コンペティツィオーネ”では最高出力325馬力です。

 ラリー037はその後のミッドシップレイアウト・スポーツカーに影響を与えました。フェラーリF40にも影響をあたえ、ホンダNSXの開発責任者は「NSXの開発で最も参考にし、また影響された車は(ライバルのフェラーリ328ではなく)ランチア・ラリー037であった」と言っています。





●ランチア・デルタS4(1985年)
 1985年、WRC最終戦グループBに登場、1-2フィニッシュでデビューを飾る。

 エンジンは、1,759ccの直列4気筒DOHCツインチャージャーエンジンをリアミッドシップに縦置きです。
 ターボチャージャーとスーパーチャージャーを使うツインチャージャーを採用し、1986年最終戦では600psを超えていますた。
 車重は890kg、パワーウエイトレシオは2kgを切り、性能はF1以上とまで言われたらしいス。
 当時の最新テクノロジー、ビスカスカップリングのフルタイム4WDを採用、初期のエボリューションモデルには、デフロックのためのレバーも装備。

 85年最終戦~グループB終了の86年まで13戦中6勝しましたが、プジョーの抗議などにより「幻の王座」となる。
 ランチアのワークス参戦したラリーカーで唯一タイトルの無い車両となり、「無冠の帝王」と呼ばれました。






●プジョー・205ターボ16(1984年)
 1984年、第5戦 ツール・ド・コルスに登場。

 当時、ラリーの世界にやっと4WD車が登場した時期で、ミッドシップ4WDという特殊なレイアウトの車輌無かったため、配置レイアウトや耐久性が疑問視されましたが、その後のグループBマシンのレイアウトの王道となりました。

 後期のエボリューション2は、フルパイプフレーム、モノコックとフレーム以外、ボディ全体がケブラー製でした。
 エンジンは、ターボ過給の1,775ccオールアルミ製で、最高3bar!の加給圧から540PSを出しました。

 グループB最後、最速の2年間で、ドライバーズ、マニュファクチャラーズの両タイトルを守り続けました。






●アウディ・クワトロ(1983年)
 1983年、全輪駆動のラリー車など構造が複雑で重量がかさむだけとの批評を受けながら登場。

 4WDとターボエンジンで、全輪駆動車として好成績を収めた初のラリー車。
 WRCの緒戦であっさり優勝し、以後2年間破竹の大活躍を続けました。
 
●アウディ・スポーツ・クワトロ S1(1985年)
 アウディ・スポーツクワトロの後継として1985年に投入。
 
 直列5気筒 エンジンで、排気量2,110cc、ミスファイアリングシステム搭載、シフトノブにクラッチセンサーがあるセミATを装備し、最高出力450馬力ッス。

画像はスポーツ・クワトロ S1





●フォード・RS200(1985年)
 1985年、WRCに登場

 が、グループBのホモロゲーションを取れず、2.1L/650psの予定だったエンジンは、1803cc/450ps、ワークスカーでも後部のスペアタイヤキャリア付き、車内も市販車と同じダッシュボードでした。

 1986年の第2戦では、熟成不足の為、信頼性が低く、エンジンブロー。

 第3戦ポルトガルラリーでは、コース上の観客を避けようとしてコントロールを失い、コースアウトし観客に突っ込み40人以上の死傷事故を起こしてしまいました。

 その後グループBは消滅してしまいますが、RS200ワークスカーは0-60mph加速を2.8秒で走り、RS200Eは2.1秒という記録を持ち、世界最速の車としてギネスブックに掲載されました。

 また、RS200Eは2004年、パイクスピーク・ヒルクライムのアンリミテッドクラスに出場、ワークスRS200の元ドライバーによって優勝してます。





 そして残念だった幻のブループBカー・・・
●三菱・スタリオン4WDラリー (1983年)
 グループB車両のWRCに、参戦とホモロゲーション用車両の市販を視野に入れ開発。
最高出力360ps、最大トルク32.0kg-m
試作車のT1が、4月に2号車のT2が完成し精力的なテストが行われ、比較実験で仮想敵とされた当時のWRC最強マシンアウディ・クワトロを上回るコーナーリングスピードをマーク。
しかし、1984年市販車生産計画中止が決定・・・幻のマシンとなる。
総生産台数は5台。
スタリオン4WDラリーで培われたハイスピード4WDマシンの技術は、後のギャランVR-4やGTO、ランサーエボリューションに活かされた。



(*∩∀∩)v
Posted at 2010/02/24 17:19:11 | コメント(11) | トラックバック(0) | 懐かし車 | クルマ
2010年02月17日 イイね!

懐かし車シリーズ第6弾:WRC ~ グループBカー

懐かし車シリーズ第6弾:WRC ~ グループBカー懐かし車シリーズ第6弾は、WRC ~ グループBカーです!!

今回、これを作るのに必死で、夜はみんカラ見る時間がありませんでした
ゴメンナサイ m(_ _)m

今回も長いです!
kuraさん、飲み物用意しといてください!(笑

あまりにも長くなったんで、今回はグループBの全体と、流れです!

次回から、主な車を乗せてきますので、よろしくね!



グループB

半ば伝説的な最速のレースカテゴリーとして名高い

グループBは、現在のグループAカーとグループCカーの間にあったカテゴリー。

競技専用の自動車であるグループC車両とは異なり、一般の市販車として公認された自動車に大幅な改造を施せるものがグループB車両

WRC(世界ラリー選手権)のトップカテゴリーとして定められていました。
 
グループBでは、連続する12か月間にベース車を200台製造することにより選手権への出走が認められる、すなわちホモロゲーションを受けられるというカテゴリーでした。

ワークスカーの出力が、300馬力前後から450馬力-600馬力前後までにパワーアップし、空力特性を上げるためのさまざまなエアロパーツが付加されるようになり、まさに戦闘マシンと言うのがふさわしいい形となっていきました。

1tそこそこの車重に対し、450馬力-600馬力のパワーを持ったモンスターマシンが、あらゆる条件の公道を爆音を響かせて疾走する様は、観客を熱狂の渦に巻き込んでいきました。

が、FIAは、WRC、特にグループBの人気に営利主義に走り、安全性より速さのみを追求していく・・・
グループBカーはあまりにも速くなりすぎ、危険で、一流ドライバーでも制御不能の領域にまで踏み込み、数々の悲劇を生みました。


軽量なものは1tを切る車体で、強力なエンジン強力なダウンフォースを生む空力性能を生かしてグラベルやターマックを疾走する様は、残された映像から当時の激しい競争を知ることができます。

その加速力は0-100km/h加速は1.7秒-2.5秒ほどであったとされています。

これは1,000馬力とも言われた当時のF1カーをも凌いだと言われます。

1986年にヘンリ・トイボネンが、F1モナコGPが開催されるモンテカルロ市街地コースランチア・デルタS4でエキシビジョン走行した際には、当時の予選グリッドで6位に相当するタイムを出したという逸話も残っています。

軽く大型空力パーツを装着した車体と強力なエンジンの組み合わせというコンセプト、見る者を圧倒する走りから、「公道を走るF1」と形容されました。



1985年

第5戦ツール・ド・コルスではアッテリオ・ベッデガの運転するランチア・ラリー037が立ち木に激突し、ベッテガが死亡



第8戦のアルゼンチンラリーではアリ・バタネンが直線でコントロールを失い大クラッシュ、再起不能ともいわれた瀕死の重症を負ってしまう

最終戦、ホモロゲーションが認められたランチアが必勝を期してランチア・デルタS4を投入

ツインチャージドエンジンリアミッドシップに縦置きし、4輪を駆動
量販車とは名前以外ほとんど似てもいない、もはや勝つための装備のみを満
載させたマシンでした。

デビュー戦でデルタS4は圧倒的なパフォーマンスを見せ、ヘンリ・トイボネン、マルク・アレンのドライブで1-2フィニッシュ


1986年

第3戦のポルトガルラリーでまたもやグループBカーの惨事が発生。

地元からフォード・RS200にてワークス参戦していたヨアキム・サントスが、コース上の観客を避けようとして観客席に時速200キロメートルで突っ込み、死者3名(一説には4名)を含む40人以上の死傷者を出す大惨事を引き起こした。

ベッテガの事故死バタネンの重傷事故、そして大勢の観客を死傷させる大惨事という警鐘があったにもかかわらず、関係者は主催者側の観客整理のまずさに事態の責任を求めグループBカーの性能の暴走を認めませんでした

結局ポルトガルラリーは全マニュファクチャラーが競技から撤退し、残りの日程はプライベーターのみで争われる事態となりました。

第5戦のツール・ド・コルス決定的な事故が発生しました。

初日からトップを独走していたランチアのトイボネンが緩い左コーナーにノーブレーキで突っ込みコースオフ、崖から転落した直後に爆発炎上

トイボネンはコ・ドライバーのセルジオ・クレストとともに死亡

ランチア・デルタS4ボディ下部に燃料タンクがあることと、マグネシウムホイールを装着していたことなどから、車両はスペースフレームとサスペンションを残して全焼してしまいました。



トイボネン/クレスト組の死亡事故を受け、国際自動車スポーツ連盟 (FISA)は緊急会議を招集し2日という異例の早さで声明を発表、以後のグループBのホモロゲーション申請を受け付けないこと1986年限りでグループBによるWRCは中止し1987年以降は下位カテゴリーであるグループAにて選手権を行うと決定

グループBは、速さのみを求め、速くなりすぎたために、わずか5年でWRCの舞台を追われることになりました。


ほんのわずかな期間だけの最強モンスターマシン達の光と影・激しく輝き そして散っていった・・・
グループBマシン、今でも記憶に焼きついてますねぇ・・・



次回は、主だったグループBカーを乗せます!
が、ちょっとまた休憩はいりま~す!

ふう!つかれましたぁ~!!!  

 
v(^o⌒)-☆
Posted at 2010/02/17 02:53:36 | コメント(16) | トラックバック(0) | 懐かし車 | クルマ

プロフィール

「LEJM2019春・お疲れ様でした! http://cvw.jp/b/650746/43005136/
何シテル?   06/29 15:22
アヤシサ・お馬鹿・エロ95% クルマ3% 偽善2% 謎2%で構成されてるオッサンですwww あれ?計算合わないけどまあいいや(笑) クルマの事は、無知で...

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