2010 GW 2nd stage 金山・赤城 20100502
投稿日 : 2010年05月05日
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GW2日目は、義母も一緒に、金山散策です。
群馬県太田市(SUBARUの工場がある!)の山上に新田氏の『金山城』の跡地があり、標高236mの金山(かなやま)全体が自然公園になっています。
地元では、一応の走り屋スポット。
8年ほど前は、仕事帰りにちょろちょろと走ったことがあるコースです。
深夜に行くと、駐車場にギシギシアンアンしてる車があるんで、要注意www
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金山城跡地にあった謎のもみじ。
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この季節に紅葉・・・・?
葉緑素が少ない種類?
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息子が走る走る(w
おかぁちゃんは日ごろの運動不足+紫外線の攻撃で死にかけで、追いかける気力もない(w
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金山を下って、お昼ご飯を食べて。
暫くグダグダして。
15時半ごろに旦那の実家を出発。
そのまま赤城へ・・・・・
赤城の大沼についたころは、一般観光客もまばらな夕方。
麓は20℃越えてましたが、山頂(?)は9度。
路肩や沢には雪が残ってます。
途中の釣堀やローラーコースターの駐車場に、異様な数のSUBARU車がいましたが・・・・オフ会?
視線がいたいのは気にせずに、まったりとヒルクライム。
大沼、はじめてきました・・・・
目的は「赤城神社」の御朱印!
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小島・小鳥ケ島にわたるための橋。
境内を掃除していた方を捕まえて、御朱印を戴きましたvvv
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拝殿v
境内案内板より↓
上毛三山の雄赤城山は標高一八二八メートル関東平野北部に君臨する最初の霊峰である東西に長く裾を引く気品ある山容は古代神霊の宿る山として崇められたのも故なしとしない山頂の大沼小沼は千古の神秘を湛え全山原始の面影をとどめ幾多の信仰と伝説を秘めてきた一方遠く万葉の歌人に詠まれてから今日まで幾多知名人の文筆と彩管によって天下に紹介されてきた誇り高き山である 古代の自然神は赤城大明神と沼神の赤沼大神として祀られたと考えられる第十代崇神天皇第一皇子豊城入彦命が東国経営の大任を帯びて上野国に移られた時すでに山と沼の霊を奉斎したと伝えられ更に允恭用明両天皇の御宇社殿を創設し平城天皇大同元年に山頂大洞に神域を定めて遷座奉斎すると伝えられる 尓来朝野の崇敬を受け戦国時代の前橋城主をはじめ天正十八年の平岩氏慶長六年の酒井氏寛延二年の松平氏とそれぞれ崇敬し特に後に幕閣の大老職に就いた酒井雅楽頭忠清は寛永十八年三月山火事によって類焼した社殿を新造営し併せて神田を寄進し松平氏もまた毎年祭粢料を献し奉幣使を派遣するを例とした 江戸時代に徳川家康公を合祀し大洞の赤城神社として山麓諸村の信仰によって守られ 明治時代に入り赤城山が観光客を迎えるようになると一層有名になったが社殿が頽廃したため昭和四十年新たに神域を小鳥ケ島に移す議が起こり昭和四十五年旧社地大沼南畔の大洞より現在地に奉遷したことは碑陰の遷宮の記に記した通りである
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帰り際、赤城に堕ちる夕日の写真がとれました・・・・・
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