2011年05月19日
今、起きましたので、続けたいと思います。
結局、そんなこんなで3/31を持って退院となりました。
その後、自宅療養となったんわけですが、入院前とあまり変わらず。
ただ、色々なことに挑戦しようと、例えば再春館製薬所の痛散湯を試してみたりして、今まで改善できなかったことに何とか挑戦しています。
また、5/4-5/5にかけて、熊本方面に久しぶりに家族旅行をしてみました。
1日目は、トロッコ列車に家族を乗せて、最終的に熊本のビジネスホテルに1泊(一応温泉付き)。2日目はグリーンランドへ家族及び義理の弟夫婦+義理の父を連れ訪問。
やっと、長崎に着いたと思い食事をして、「さて帰ろうか」っていうところで、食事をとったレストランから出た瞬間、「ガリ」って音が車体下部からしました。
駐車場が若干下向きにスロープになっていたことに気が付かず、更にフル乗車で車高が下がっているところに、縁石がありフロントパイプ及びマフラーを強打。
アイドリングが若干、上昇していて「こりゃ、やっちまったな」と思いつつ、帰宅。
次の日、保険会社へ連絡しレッカー、レンタカーを要請し、ショップへ愛車を移送。
案の定、いずれかから排気漏れを起こしている模様。せっかく、エキマニ+タービンを交換しており、これじゃいかんとショップに相談。ショップからは、エキマニをk2ギアからエキマニ専門店であるマキシムワークスへ変更してはとの提案を受け、「ただじゃ起きないぞ」との意識から、その提案を受託。ただ、困ったことにタービンが廃盤になるらしく、在庫がないとのこと。各店舗をあたってもらい、商談中のタービンを譲ってもらうことに。ここで更に問題判明。マキシムワークスのエキマニはトルクチューブも付属しており、付属のトルクチューブは純正仕様。しょうがなく、ワンオフでトルクチューブを製作依頼。(もしかして、世界で1台のレガシィになりそう)
これを契機に夏場対策として、ラジエターをシムスに交換。また、サンドイッチブロックを使用して、油温、油圧管理を実施予定。
まあ、ともかく金がかかること。自分のレガシィは何のための車なのかよくわからなくなってきまして、一度、ネッツトヨタでプリウスを見積もり。
普段の足として使用するならプリウス程度で十分と考えてのこと。ただ、これは未だ家族会議にもかけていないので、何とも言えない状況。
日々の足にはプリウス程度で十分で、これ以上、レガシィを痛めたくないのが本音。また、セカンドカーを持つことで、嫁も買い物などで苦労しないで済むような気がします。
って言ったところが、今の現状です。
アー疲れた。5/23に産業医との面談の後、5/25からリハビリ出勤の予定です。
これ以上、何もなければと祈る次第です。
以上が、入院から今現在に至る状況です。
何か足りないことがあれば、また、その4としてブログを追加予定です。
Posted at 2011/05/19 20:25:37 | |
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病気 | 日記
2011年05月19日
その2として続けます。
病院での生活は非常に規則的なものでした。
起床:5時(これは就寝時間にもより、夕食をとって直ぐ寝てしまう(19時)と、だいたい夜中の2時ぐらいに目が覚めます。そうした場合、ナースステーションで追加眠剤をいただき、5時まで何とか床に就きます。なぜ、5時かというと、その時間からでしか、喫煙所が空いていないためです。)
朝食:7時30分だいたい朝食はご飯とみそ汁+ちょっとしたおかずで、ほとんど体を動かさないので、味はともかく十分な量でした。
その後昼飯までは、検温、血圧測定があり、軽い飲み物が出ます。何種類かあるのですが、自分はヤクルトにしました。ただ、東日本大震災からは、ヤクルトの大きさが小さくなったので、牛乳に変えたように記憶しています。
基本的に食事の間はやることがないので、自分のベットでスマホでネットサーフィンや喫煙所でのだべリングをしていました。
昼食:12時30分ぐらい これも大した量でもないし、味付けもかなり薄味です。ああ、そういえば、入院する際、食事で何か苦手なものがないか聞かれましたが、自分は好き嫌いがないので、一般的な食事でした。人によっては、豆類がだめとかあり、食事のトレーには必ず自分の名前が記載された札が乗っています。
また、その後ですが、これまた何もすることがないので、上記と同じですが、おばあちゃんやじいちゃんは、オセロをして時間をつぶしていたのを記憶しています。
夕食:17時30分ぐらい 上記と同じですが、やはり夕食は少し多めの量でした。ただ、忘れられないのが、汁物に善哉(これで間違ってないですよね)が出てきたのを非常に覚えています。一度、部屋に献立を決める方(なんて言ったっけ)が来て、「食事に問題はないですか」と聞かれたので、善哉だけは勘弁してほしいと申し出ましたが、その方は非常に若い女性の方で、入院患者が皆、「善哉だけはやめてほしい」と言ったらしいですが、なかなか聞き入れられず、相変わらず出ているようです。(相部屋の方からの情報)
入院中、一番の楽しみは、食事と入浴です。
入浴は、火曜日、木曜日、土曜日の3回でした。風呂は一つしかないので、曜日によって、男女が入れ替わります。
浴槽は結構、大きくて手足が十分伸ばせますから、入院中の自分にとっては、非常に楽しみでした。ただ、男性が後番になった際は、少し気を付ける必要がありました。というのも、入浴は9時30分ぐらいから11時までで、その後は我々とは別次元の隔離の方が入ります。時々ですが、男性の最後になって隔離の方とすれ違ったことがありますが、隔離病棟の方は、かなり重症の方で、「うわー、人間て壊れるとこうなっちゃうんだなって」感じでした。自分はもともと、風呂好きで毎日入りたいし、唯一のストレス発散がサウナでしたが、入院中の入浴時間制限で退院後は、サウナにもあまり行かなくなっちゃった感じです。(何か別に毎日風呂に入らなくても、いいんじゃないって感じになってました。慣れってものは、恐ろしいものです。)
そんな、状況が約2週間ぐらいして、病院から文化祭があるので、何か展示しないかとの話がありました。「そういえば、家に山のように積まれたガンプラがあったなあ」ってことで、早速、外出許可を貰い、自宅へ工具とガンプラを入手に向かいました。文化祭には、ジェガン(一般機)MG(マスターグレード)を展示し、その後、MG5台とPG(パーフェクトグレード)1台を製作しました。PGは相部屋の相方の要望で、ガンダムMK-Ⅱ(ティターンズカラー)を製作しましたが、当時、主治医から、「ずいぶん凝ったものを作っているので、それがストレスになってるんじゃないか」と言われましたが、確かに久々のPGでしたので、病み上がりには、ちょっと堪えるものがありました。けど、多分、今までPGは自宅でも1週間は製作にかかっていましたが、3日間でできたのを鑑みると、かなり集中力があったなあと思っています。
残念ながら、退院後はなぜかその気にならなくて、1体も製作できていません。(唯一、完成済の数体のデーカールを張り終えたくらいです。)
また、自分が製作しているのを見に来てくれるギャラリーがいたから出来たと言っても過言ではないでしょう。
また、外出が許可されてから、ちょこちょこショップに顔を出し、タービンの取り付け風景などを見にも行ってましたね。
また、少し疲れましたので、続きは後程。
Posted at 2011/05/19 14:49:23 | |
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病気 | 日記
2011年05月19日
こんにちは。
先日、予告した通り、今回の病気の再発について考えてみたいと思います。
思い起こせば、1/28に当年度の最後の有給を使い切り、以前から通っていた社内のメンタルヘルスから「もう、頑張らなくていいよ。休みましょう。」とのアドバイスから、心療内科で3か月ほどの診断書を貰い、休職に入りました。
当時の症状としては、以下の通りです。
・長期間に及ぶ不眠の継続(睡眠薬を服用していましたが、朝起床しても、全く疲れが取れない状態。朝起きて、今日は何時に帰れるかを考える状態。)
・職場での人間関係の悩み(当時、直属の上司のほか、更に上位の上司二人から、納期の短い特務を指示されるとともに、その指示がよく相反することが多く悩んでいた。また、昇進したにもかかわらず、全く部下を持たず、よく言うマックの店長状態だった。)
・持病の顔面神経痛がひどく、仕事にほとんど集中できなかった。(これは、今でもペインクリニック(ペインクリニックは正式名称ではなく、正式には「麻酔科」)で治療中。)
・ともかく、何事も相談できる存在がいなくて、全て自分で抱え込んでいた。
・趣味(車、PC、プラモデル製作)に、なぜか興味が持てなくなってきていた。
・休みの日も何かしていなければとの焦燥感に追われ、体を休めることができなかった。
大きな会社であったため、メンタルヘルス室という駆け込み寺があり、ずいぶん助かったと思います。
で、いよいよ、1/29から休職となり、2週間ほど自宅で療養していましたが、ただ家にいるだけで、病状は一向に快方に向かわず、妻と心療内科に勧められ入院を決断。
ところが、入院を決め、正月の初売りで購入したタービンキットを装着しようとショップへ向かう最中に、信号待ちで停車中、後方から追突事故に合い、車ともども入院となった。(これは、後から考えてみると、色々なところで装着したパーツが一気に新品となったほか、パーツの装着に問題があったことが判明し、愛車にとっては良かったことだった。)
入院してみて、感じたことは以下の通り。
・病院が精神科ということで、かなり悪い先入観を持っていた(隔離や鉄格子などがあるのでは)が、入院した病棟は、それほどひどい患者さんはいなくて、逆に、この病気にかかった人しかわからない悩み、苦しみについて、お互いの辛さを話し合うことができて良かった。
・作業療法として、自分の趣味である模型作りを許可いただき、そこで何かに集中することが久しぶりにできた。
・相部屋の方が、自分と趣味が合い、今まで鬱積していたことを会話という形で発散できた。
ただ、全て良かったことばかりではなく、以下の点では不安もありました。
・まずは、家計の問題。入院中は基本的に傷病手当のみの収入になるので、家族、特に妻に迷惑をかけた。(退院後、やっと保険がおり、何とかしのいだ)
・思春期の子供たちに、どう説明すれば良いか悩んだ。(長女には正直に、長男には長期出張ということにしたが、後々、バレバレだった。)
・自分の気質が子供たちにもあるので、今後、子供たちが同じような病気にならないか心配だった。
ちょっと、疲れましたので、ここで、一度区切りを付けます。
続きは後程。
Posted at 2011/05/19 10:29:42 | |
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病気 | 日記