
今日のブログは、明日が亡くなって丁度1年となる、愛犬の話を書きます。
当初は写真見るだけでもウルッと来てましたが、この節目にブログという形にしてみます。
我が家の愛犬『ボブ(柴とシェルティのミックスらしい・♂)』は、平成3年の春にやってきました。
当時Kunyは小学校1年で、うちの向かいの家で飼ってた犬が大好きで、よくイジって遊ばせてもらってたのを覚えてます。
そんな姿を両親は見ていたからか、その向かいの家に話をして、その兄弟を譲って貰うことになったようです。
会津坂下町に住んでいる、向かいの家の親戚宅からやってきた犬、それがボブでした。
↑6月5日となってますが、4月だった気がします。。。

↑セクシーショットwww口をモグモグしてるけど、母犬に甘えてる夢を見てるのかな。。。
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しばらくは室内飼いしてましたが、ある程度成長したところで軒下に家族総出(主に父親)でケージとハウスを作りました。
といっても、折に触れよく室内へ上げてましたがww
↑脱走計画中?w
ここまでの三枚はフィルムをスキャンしました。
↑見返りボブ。この土のところを、よくダッシュしてました。
2000.7.23撮影(Kodak DC210Zoom)
↑映ってないテレビを凝視。なんというホラー。。
2000.11.27撮影(Kodak DC210Zoom)
↑そっぽ向いてますが、眼はこちらをチラチラ伺ってますww
同上
雷と花火が大ッッッッキライで、夏はよくケージを飛び越えたりして脱走ww
しかし、遠くまでは逃げずに家の裏手側へいき、家族に助けを求めるように吠えてましたねw
↑爆睡中。まさに「荒巻スカルチノフ」ww
2005.8.28撮影(Canon Powershot A80)
また、アルコールもダメでした。恐らく悪ノリした家族がビールを無理矢理に口を開けて飲ませたのが原因でしょうが、
それ以来、匂いがしただけでクシュン、クシュンとくしゃみをしながら逃げ回ってましたw
散歩中にヘビやウシガエルに出くわすと、基本ビビリの癖に前足でちょっかいも出してました。
傍から見てると、明らかに腰が引けてるwww で、相手がちょっとでも動くとキツネの狩りの反対動作のように、
斜め後ろへピョーーーンと跳んで距離をとったりwww
↑家にあった福笑いのパーツ装着w 以前は油性ペンで眉を描かれたことも。。
2005.5.7撮影(Canon Powershot A80)
↑ _, ._
(゚ ^゚)
同上
↑「笑いすぎだろ?ヤンのか?」
同上
身体が水に濡れるのも嫌がりました。雨が降ってるときの散歩は、出発の時からテンション下がりっぱなしw
シャンプーは風呂場でやってたのですが、雰囲気を察知したのか、シャンプーしようとした日は朝からハウス外に出てきませんw
奥の手で、散歩に使うリードを持って「散歩行くよ~」→繋いで、風呂に近い家の裏手側へ(笑)
その時の「散歩ヒャッホウ!」→「え?そっちは行き先違うよね?」→「謀ったな!!」的な顔は気の毒になりましたが、仕方ないw
↑「やべっ、見つかった!・・・障子破いたのは母ちゃんには黙っててくれ!」・・・すぐバレて怒られましたwww
2005.10.22撮影(Canon Powershot A80)
↑「勝手に入ってきたけど、何も悪さしないよ?」←既に障子は破いてますw
同上
↑「ほんとに何もしないよ?(ほふく前進しながら)」
同上

↑「・・・こちらスネーク。潜入に成功した。」
2006.5.26撮影(Canon Powershot A80)
朝・昼・晩と一日三回の散歩を、Kunyが中学一年の時に父親が亡くなるまで続けてたと記憶してます。
その後は朝・晩の二回となりましたが、漏らすことはほぼありませんでした。
たまに体調が優れず、間に合わなかった時は「やっちゃった・・・」と言いたげな、申し訳なさそうな顔をしてました。
反対に、ドライブは大好きでしたね。乗り物酔いするわけでもなく、窓をちょっと開けてますとそこに鼻を押し当てて
「フゴフゴ・・・クシュン」と繰り返して、窓を鼻水だらけにしてましたwwww
散歩中に自分が通りかかる(当時シビック)と、乗りたかったのかドアやフェンダーに飛びかかってきました。
少し、爪痕が残って「うわあぁぁぁ」となりましたが。。。
エスに乗り換えてからも、タイヤやフロントスポイラーに寄りかかって、よく日向ぼっこしてましたw
考えてみればあのスポイラーのエラ、良い感じに寄りかかられるんですねww
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よく”室外飼いの犬は10年が寿命”と言われており、『じゃあ自分が高校の頃には居なくなっちゃうのかな』と
漠然と思ってましたが、いざその時期がきても”よく食べ、よく遊ぶ”を地で行っておりましたw
しかし、やはり生き物。だんだんと衰えが見えてきて、眼は白内障のために白く濁りはじめたり、
ある日、散歩中あぜ道の土手で用を足してた際に踏ん張りがきかず、そのまま田んぼまで転がり落ちてしまいました。
田んぼまで救助のために下り、一人と一匹で泥だらけになりながら、”年とったなぁ”としみじみ。
そして平成19年の11月だったかな?
朝、母親が見ますとボブがケージ内のコンクリート上でジタバタしてたそうです。
すぐにかかりつけの動物病院へ行き、脳梗塞と診断。。。
投薬・室内で安静にさせておりました。
横になりながらも、人の気配を感じてそちらへ振り向き、尻尾を扇状にワサワサ振ってくれました。
そんな姿をとても愛おしく感じ、だいたい家にいる母親に任せっきりにせず、自分のできる範囲でお世話をしようといった気持ちになれました。
食事は介助しながらできましたが、生き物ですから食べたら出すのは当たり前。
病院でその介助方法を聞き実施しましたが、はじめの頃は上でも書きましたように”部屋やケージ内で出す→悪”という考えなのか、
ショボーンとしてましたので、陽気な外国人もびっくりなオーバーリアクションで褒めたところw、分かったのか以降はスムーズでした。
その甲斐あってか、首が斜めに向いた状態になるという後遺症はありましたが、自力で散歩できるまでに回復しました。
その経緯を知らない、行き交う人は「あの犬、首傾げてて可愛い」といっておりました。何にせよ、可愛いと言われることは嬉しいですし、
また一緒に散歩できた達成感がありました。
↑「自分、寝相悪いんすよw」
2009.12.26撮影(N-01A(ケータイ))
その頃から、インターネット上で同じように老犬を飼っている方々のコミュニティに参加させていただき、
問題に直面した際に相談したりもしました。ここの方々には、最後までお世話になりっぱなしでした。
そこでは季節の移ろいと共にそれぞれの経験や問題点を挙げ、自分も夏場の冷却ジェルや、虫対策のコメントを参考に
ホームセンターやペットショップで良さそうな商品を購入してきました。
また、オヤツも色々買ってきて与えましたが、ゴン太シリーズのジャーキーに”ほねっこ”の入ってる商品が、
最後まで飽きずに食べてましたね。
・・・若干甘やかしてた感も否めませんが、長い付き合いで懐いてくれてましたし、色んな表情が見られて嬉しくなってしまいました。
何より、社会人となり金銭的にも自由度が大きくなりましたので、その点だけでも少しは負担できたら、といった考えからでした。
↑2010年の元日を迎えられましたが、だいぶ首が曲がってます。。
2010.1.1撮影(Canon IXY DIGITAL 95IS)
今でも覚えてるエピソードの一つが、自分が晩酌してて酔った勢いでボブを部屋に上げた時です。
若干酒の匂いを気にしながらも近づいてきたので、脇の下に両手を入れ、がっちりホールド&抱きかかえて横になりましたw
普段なら意地でも逃げようとするシチュエーションですが、軽く暴れたので「いいの!!」と静かにさせようとしたところ、
観念したのかそのまま脱力。自分もだいぶ飲んでたので、そこで意識は途切れましたが、目覚めるとそのままの格好で
ボブが気持ちよさそうに寝息を立てているではありませんかw
普段からじゃれ合ってた流れで腕枕をしたりはしてましたが、ここまで安心しきった顔は初めてでした。
写真撮れなかったのが悔やまれます。。。
↑身体の自由が利かなくなってきましたが、一緒に日向ぼっこ。
2010.5.2撮影(Canon IXY DIGITAL 95IS)
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そんなこんなで穏やかな老後を過ごしておりましたが、昨年の6月頃からケージ内を自力で移動することさえ難しい、いわゆる「寝たきり状態」
となってしまいました。
室内に入れることも検討しましたが、なかなか落ち着かず自由のきかない身体でケージに戻ろうとしてます。
結局、ケージ内で介助することになりました。
脳梗塞の後遺症からか単に衰えか、腹ばいの格好ができなくなっており、また左側面を下にしますと落ち着きません。
なので右側ばかり下にしてたのですが、右肩に脱臼癖がついてしまい、体勢替えで持ち上げるごとに肩から「ゴキン」と鈍い音が。。。
夏場ですので、水は切らせてはいけないですが身動きできないので、スポイトやプリンの容器のようなもので
少しずつ回数を分けて与えました。
また、いくら清潔を心がけてたとはいえ、自身で毛繕いなどできないせいでお腹の周りに虫がたかっていたのはショックでした。
何気なく「同じ格好ばかりだとティンティン蒸れるから、風送ってやるwwww」と後ろ足上げたところ発見。。。。
体力的に不安でしたが、翌日シャンプーして、即病院でお腹の毛を剃って、万一に備えて虫退治の注射を打って貰いました。
おそらく眼は見えてないようですので、声を掛けつつ鼻の前に手を出し、「Kunyだよ」と認識させた上で介助してました。
当然自分は仕事もありますので、出勤中などは母や家族にお願いしてましたが、痩せたとはいえ中型犬の世話は大変だったと思います。
もう、年齢も年齢でしたので、ただただ穏やかな最後を迎えられるように願うばかりでした。
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夏の盛りも一段落した2010年の9月13日、仕事から帰宅しますと外にまで聞こえる声で吠えています。
「あれ?朝は外にいたはずなのに」と思いながら入りますと、夕方から尋常ではない吠え方で、近所のことを考え部屋に入れたようです。
宥めようと抱きかかえると、立ち上がろうとしながら吠えてます。
立つと言うよりは、足が突っ張った感じで痛々しい印象でした。
そんな状況でも、食欲はありました。冷蔵庫にあったシュークリームを吠えながらも食べてましたので。
結局、その後にお腹の中の物をすべて出してしまいましたが。
午前2時頃まで様子を見てましたが、翌日もありましたし、現状では”なるようにしかならない”状況でしたので
母にお願いして布団に入りました。
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翌9月14日の午前5時すぎ、母に「ダメだった」と起こされました。
その姿は、とても穏やかとはいえない顔でしたが、「お疲れ様、ありがとう」と素直に思え、しばらく身体を撫でてました。
近所に住んでる親戚も駆けつけてくれ、二匹を看取った経験で、以前お世話になったところで荼毘に付す段取りを付けてくれました。
休みだった兄も来てくれるとの事でしたが、自身も精神的に参っており、最後を見届けたいと思ってたのでその日は休みをいただきました。
職場に電話して理由を言っところ微妙に呆れられましたが、世間的にはまぁそんなもんですね。
まる19年と長い間いっしょでしたし、ペットというよりは家族の一員。
しかし翌日、猫を多頭飼いしてる職場の後輩に話したところ、「休んだ理由って、、、それですか?」と言われたのは若干ショックでした。
彼なら分かってくれると思ったのに。。。人それぞれですね。。。
さて、大きめの段ボールにボブを納め、花やお気に入りのおもちゃやオヤツを入れ、親戚がアドバイスくれた斎苑へ。
ここまでは冷静にやってましたが、到着しその雰囲気や係の方の話、そして釜に入れるときに「あぁ、死んだんだな」と急に実感が沸いてきて、扉を閉める瞬間は見てられませんでした。
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時間がかかるとのことでしたので、いったん帰宅。
いつもの癖で、帰宅一番にケージ内を確認してしまいました。
「今どこで何してきたんだ?」とセルフツッコミ入れる気力も当時はありませんでした。
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2時間ほどしてから収骨へ。
骨となってしまえば、自身である意味諦めもついたのか「19歳とは思えない、頑丈そうな骨ですね」という係の方の話も
まともに聞いていられました。
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しばらくは部屋に置いてましたが、天気の良い日に庭の片隅に埋め、そこをお墓としました。
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ボブを通じて、散歩の時など他の飼い主さん達との交流もできました。
また、脳梗塞を患ってからは「ボブ元気?」と家の前を通る、事情を知ってる方からも声援をいただけました。
テレビを見ながら家族で「また飼う?」的な話になったりしますが、母の「また20年生きたら、どっちが介護されるの?」
と言われたら、何とも返せませんww
でも、いつかまた飼いたいとは思っています。
最後に、まさに自分の気持ちを表してる2005年配給の「いぬのえいが」という映画のワンシーンを貼らせて貰います。
YouTubeに上がっていた物で、中国語の表示がありますが。。。
今気づいたのですが、この映画の新作が出てたのですね。近々買ってこよう。
全く車と関係ないブログでしたが、どうしても文字にしたくて勢いで書いてしまいました。
ありがとうございました。