NTVの鳥人間という毎年楽しみな番組がありますが、それについてどうやら裁判沙汰が発生したとか。
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墜落時に重大な後遺症を負ったパイロットが、設計主任者やサークル幹部、さらには大学や顧問、テレビ局に対して損害賠償を請求するというものだそうです。
所謂危険を伴うスポーツをやっていて、さらに言えば趣味とは無関係ながらも交通事故で後遺症(労働能力逸失率が割と高い)を負っている身としてはちょっと気になったのでコメントを書かせてもらいます。
さて、
「詳しく記事も読まず、鳥人間関係者のコメントも読まず」の感想としては、Twitterでもよくあるのに、パイロットの自己責任では?というのが僕の意見です。ま、この詳しく話を聞いていない状態でのという前提は重要なんですが。
僕らのやっているようなモータースポーツは、鳥人間のような危険性を伴うスポーツの一種だと思います。
ぱっと思いつくだけでも、
・強度のある壁や他の車両に衝突したことでの大きな衝撃による身体の損傷
・横転したことでの予想外の方向からの入力による身体の損傷
・車体の極端な軽量化、あるいは事故時にロールバー等の安全装備がきちんと取り付けられていなかったがために破損し、それが体に刺さるなどして損傷を与える怪我
・急激な火災からの逃げ遅れ
等、死や重度後遺障害を負う可能性のあるものはたくさんあります。
それゆえ、
僕らの出ているレベルのモータースポーツに参加する者の基本前提としては、すべて自己責任という表現がとられています。だれが設計して製作し、安全を担保しているかはともかく、
最終的に出走するからにはドライバー自身が車両及びドライバー技量の適格性を担保するものとするということです。
それゆえ、
10mもの高台から(殆ど墜落前提で)飛出し、軟着陸(水)できるだけの操縦系統も用意されていない自作飛行機による飛行に参加するなど、怪我をすることが前提で乗っているようなもので、それに対して保険を掛けたり、後遺症を担保する資金を確保したりするなどは自己責任でやるべきだろう。とい思うわけです。
一方で、ちょっと調べると、鳥人間業界の方々はこういった意見とは逆の立場であるとか。
具体的には、
・人力飛行機部門は並みの自転車競技を超える運動能力とトレーニングが必要である
・その為、パイロットは飛行機制作にかかわることは無く、別メニューで育成される
・ゆえにパイロットは機体の設計については全く知るものではなく、また「乗っていただいている」存在である
・結果として、期待が安全に、あるいは競技として飛べるか飛べないかの判断や責任の担保は制作チームが持つ
ということだそうです。さらに言えば、
・スタートラインで棄権することは実質出来ない
・「テレビ」であることが良くも悪くも響いている
ということらしく、結果としてこういう事態になった責任をパイロットに問うのはおかしく、チームの運営やアフターケアなどといった部分に問題を見出すべきではないかということだそうです。
なるほど、たしかにこれは一理あります。
テレビを見ていても、もはや常人とは思えない体力を持った人がパイロットになっているというのはよくわかります。そういえばパイロットと呼ばず、「エンジン」と呼び、昨年は競輪選手を乗せた企画もありましたね。
しかし、こちらとしてはこういう点にやはり違和感を覚えます。
実際に飛ぶのはやはりパイロットなのですから、彼らには設計通りに作られているかを確認し、また不安があるなら(設計チームへの信頼性という部分も含めて)、飛び立つことを拒否する権限を持たせるべきではないでしょうか。
そしてフルスクラッチの飛行機であるわけですから、それが的確であるかを判断するための、、エンジニアとしての知識教育もすべきですし、まともに飛べる可能性が薄いならば、墜落によるリスク評価もきちんと理解できるように説明すべきでしょう。この辺りはチームの責任として教育すべきであり、そういう意味で、それを怠ったということで訴えられるなら納得は行きます。
また、これらの前提上で、パイロットに責任を持たせると同時に、(リスク的に成立する保険料がどの程度なのかは知りませんが)傷害保険の整備をするべきでしょう。昨今なかなか引き受けてくれないとはいえ、まだラリー保険が存在している以上、できないわけではないでしょう。
ところで、ああだこうだ言っていますが、逆に僕らは、どこに安全性の担保を求めているのでしょうか?
そして、どこまでをリスクとして許容しているのでしょうか?
まず、安全性の担保ですが、我々は市販車両の改造によるモータースポーツをしていますから、その点でフルスクラッチの飛行機とはスタートラインとなる担保された安全性が全く異なります。実験機も飛ばせない、前年の飛行実績もないチームが図面だけで作った手作り飛行機と、大量の人材と時間、機材、経験を基に作られた市販自動車ではスタートラインが全然違うのは当然ですよね。
ただ、ロールケージなどを後付し、フルハーネスを取り付けるなどという部分は各個人の行動。そこは強度計算も何もなく、ただレギュレーションと経験則にしたがっているだけですから、そういう意味では一抹の不安はありますね。
また強大なパワーを絞り出す競技においては、エンジンが文字通り吹っ飛ぶ可能性もあるわけで、そのあたりもまあ、綱渡りをしてると言えます。
また金銭面という意味では、JMRCの共済だったり、走行会でのわずかながらのお見舞金制度が存在しています。通常の交通事故での重度後遺障害を負った場合に評価される損害金額を知った身としては、これらで保障される金額は全く持って不足していると思いますが、ないよりはましです。そして、多くの人が「好きでやっていることだから最悪の場合は仕方がない」という意識を持っているからこそこの金額で成立しているのかもしれません。
そして、元の車両や、歴史から学べる経験、そしてそれによって定められるレギュレーション、特に安全規定というバックグラウンドがあるおかげで、我々は安心して、自分で評価できる部分は自分で評価をし、できない部分は十分に信頼のおける「何か」を頼って、「自己責任で」モータスポーツを楽しめているようです。
他方、飛行機の黎明期と同じようなことをしている鳥人間は、それ自体が
「冒険家とエンジニアの両方」の気質を持っていた当時の人々と同列に立つ意思と技術がある人のみに、飛ぶ権利があるのではないでしょうか。
昔の鳥人間はそれがあったと認識していますが、人力でのパワー競争に突入し、パイロットではなくエンジンとして、一つの部品として組み込んでしまっている。それ故に起きた悲劇だったのでしょうかね。
最後にふと、桜花という兵器を思い出してしまいました。
誘導装置が作れないなら、人を乗せてしまえばいいとなり作られた特攻専用機です。
切羽詰まった状況が、エンジニアリングとして下の下といえるプランを取らせてしました。
鳥人間に出ている大学のサークルも、人生で一度しかない、飛ばせる機会は一生に一度しかないという自己縛りが、悪い方向に進ませてしまったのかもしれませんね。
おじさんたちの鳥人間サークルは、こういうところがないから和気藹々とやれているように見えるのかもしれません。
以上、取りとめのない文ですが、ニュースへの感想でした。