
みゆき姉さん・・・ 適当な呼び方がないので、そう呼ばせてもらうことにする。もちろん血がつながっているわけではない。親愛の情を込めて今回はそう呼ばせていただくことにする。
姉さんは私と同郷で、言わずと知れた有名な歌手である。実は驚くことに、私の父が姉さんのことを知っていたのだ。いや、正確には医者だった彼女の父親を知っていたのである。生前、おそるおそる父に姉さんのことを訪ねてみた。「歌手なんだって?有名なんだってな。」父が口にしたのはそれだけであった。もっと何か言ってほしかったが、まあ、青江美奈や八代亜紀が好きな父からすれば、姉さんのことには何の興味もなかったのかもしれない。
姉さんが幼少のころに過ごした町、帯広には、過去に2回訪ねていた。初めての訪問は高校生のとき。こすぎじゅんいち氏の著作を頼りに帯広駅周辺を散策していたら、偶然にも中島産婦人科を見つけた。もちろん、姉さんの父親が亡くなってから10年以上経っているわけで、建物はかなり煤けてしまっていた。実は最初の訪問のとき、私はカメラを持っていなかった。まだ高校生であり、自分のカメラを持つような身分ではなかったし、まさか姉さんの実家が見つかるとは思っていなかったのだ。中島産婦人科を偶然に見つけたのは幸運だったが、カメラを持っていなかったのは幸運を吹き飛ばすほど不運なことだった。
2度目の訪問は大学生の頃。今の家内と北海道旅行に出かけた際に立ち寄ったのだが、中島産婦人科はあとかたも無くなっており、愕然とした。というより、自分の記憶が間違っているのかとさえ思った。姉さんの実家が取り壊されるはずはない、きっとそのままで残されているはずだと頑なに信じていた。そのことで、最初の訪問の際に写真を残せなかったことが私の記憶にさらに深く刻まれることとなったのである。
今回の訪問は、ある意味で過去の2回の「リベンジ」である。自分の記憶にある場所を写真に収めておきたいと思ったのだ。上の写真は、一昨日、3度目の帯広訪問の際に私が記憶を頼りに撮影したものである。その場所は、いまは帯広厚生病院の駐車場(の一部)になっている。おそらく、駐車場の入り口の部分が緑色のカード発給機のあたりが中島産婦人科の場所だったはずだ。
と・・・ちょっと自信がなかったのだが、家に帰ってみて、いろいろインターネットで調べると、どうやら私の記憶は間違いなかったようである。検索をかけると、私の写真とまったく同じ構図の写真が見つかった。おまけに、私が高校生のときに撮りそびれた中島産婦人科の写真を、どなたが親切な方がアップしてくださっている。はじめて帯広を訪れたときにカメラを忘れたことを心底後悔したのだが、積年の思いが叶った。興味のある方はgoogle等で探してみるとよいと思う。
今回の帯広訪問は、ちょうど平原盆踊り(お祭り)の日で、とても賑やかであった。みゆき姉さんも、盆踊りを楽しんだのだろうか。帯広駅は高架になって立派になったものの、列車の発着は根室本線のみであり、少々寂しくなってしまった。駅前の「はとやホテル」も再開発で無くなっていたが、藤丸デパートは健在なようである。帯広はそれほど大きい町ではないが、十勝のさわやかな風と高い空を感じる、とてもよい町だと思う。
追記 「まつりばやし」の中で歌われているのは、帯広七夕祭りではないかと思う。北海道の七夕は旧暦なのだ。もちろん、父親へのレクイエムである。彼女が帯広の話をすることはとても少ないが、歌の中には帯広の記憶が語られている曲がいくつかあるように思う。
Posted at 2012/08/18 02:24:54 |
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女性ボーカル | 日記