
そんな訳でフランカーです。
昨日帰宅途中、黒毛和牛を輸送しているトラックに
追い抜かれたんです。
そしてその後ろを、黒毛和牛の卸問屋の保冷車が
追走しているという・・・
生々しいわ!(;・∀・)
いや、偶然なんでしょうけどねぇ~w
あ、写真は去年秋に釣ってきた、サワラの焼切りですw
しかし、その黒毛和牛の表情というか目に、ふと視線が行って、ちょっとココロがチクッと
したというか・・・
物凄い憂いを湛えたというか、自らの運命を悟ったような寂しくて、悲しそうな目。
そうだよね・・・数日後には彼らは・・・・・・
ウチの職場が鹿児島と熊本を繋ぐ幹線道路沿いなので、家畜を運搬してるのは良く見るし、
仕事中に豚の悲鳴が聞こえたりするんです。
運ばれていく彼らは一体どんな気持ちなんだろう、どんな思いで風景を見てるんだろう?
親戚が酪農していたので話を聞いた事あるんです。
屠殺場に運ばれる時は絶対にトラックに乗りたがらないし、今まで見たこと無い位にガタガタと
震えて怯える。と・・・
彼らもやっぱり、何かを感じるんでしょうね。
人の食料となるために飼育された家畜という大義名分は確かにありますし、それを否定する気は
全くありません。
人間のエゴ的な発言をするならば、その運命の元に生まれて来た命なのだということも・・・
ただ、それならば先日の鳥インフルエンザもですし、口蹄疫にBSE等の免疫で殺処分され、
埋設処理された命は?
その運命さえ全うされず理不尽に殺められていった彼らの存在は?
私たちの生活とか命は、そんな彼らの犠牲と命の上に成り立ってるのだと。
だったら家畜食べなきゃ良いじゃんって意見もあるでしょう、確かにそれも一つの答えだと思います。
でも私はそれ無理です。
だって、美味しいじゃないですかw
家畜に限らず、魚だって野菜だって果物だって、好き嫌いはあってもどれも美味しいでしょ?
特に旬の食材は食べて幸せすら感じるほどですしね!
そんな訳で、私の答えはこれかなと思います。
理由はどうあれ、殺められて目前に来た食材は、可能な限り美味しく食べる。
そしてほんの少しでも幸せを感じて、ホントちょこっとでも良いから感謝する。
って事かな?
「いただきます」の意味って、“あなた達(食べもの)の命を、私の生きる糧にさせていただきます”
ですからね。
私が以前、釣りのブログの時に書いた
「自分の持てる技術を持って、可能な限り美味しく食べるのが最大の供養だ」というのは、そんな意味
なんです。
可哀想って思うならキャッチ&リリースすればって意見もあるんでしょうけど、食いしん坊の私は
それは到底ムリ(;^ω^)
ならば、持てる技術と知識をもって、最高の状態で家に持ち帰って丁寧に加工して、家族皆で喜んで
美味しく食べて、会話も弾む幸せな時間を過ごしたい。
そう思って現地でキッチリ血抜き&神経締め&エラと内臓処理を施しています。
正直面倒だし、多分一緒に釣りに行ってる友達もウザがってるかも知れません。
ここだけ見れば強烈に残酷に見えるかもしれませんし。
でもね、適当に扱ってクーラーや魚籠の中で死んだ(野締め)状態の魚って、どうしても臭みが出たり
食感が損なわれたりと不具合が出るし、そもそもクーラーの中なんかで呼吸も出来ずもだえ苦しんで
じわじわ死んでいくのもむしろ残酷なのかと・・・
そうであれば、メンド臭かろうが残酷だろうが、幸せな時間と美酒に酔いしれるため、そして自分の
命の糧となるのであれば、そんな有意義で記憶に残るような食材にしたい。そう思うのです。
実際、自分で釣って食べた魚って結構覚えてるモンですしね(*´∀`)
最近盛んに食育食育言われてますが、こんな基本的なことから見直す事が大事なんじゃないかと。
自分の命の糧となる生き物に対して、ほんの少しだけでも哀悼と感謝をする気持ちが大事なんじゃ
ないかと思うんです。
子供もですが大人も、そんな気持ちや思いをほんの少しでも考えてみるのも、たまには良いのかも
知れませんね。
なんて、ゆーさく君にもらったカマスの一夜干を美味しく食べてビール呑みながら、そんな事を
ふと考える夜・・・
って、ヤベェ・・・
ガラにも無く真面目にブログ書いちゃった(;´∀`)
明日の熊本地方はきっとアレです。
天気大荒れだな(;´Д`)
Posted at 2014/06/21 20:38:18 | |
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