
チューニング業界でよく言われてた陰口
「EIJIってフォーミュラードライバーだよ」
雑誌社にも念押されました
「EIJIさんのGT-R取材ではEIJIさんドライブの件はふさせてもらいますね、だってフォーミュラー乗りですからプロドライバーが乗ってるSHOPさんと一緒ですもんね」
アホくさい話しです
僕のモータースポーツの経歴ですが18歳から2輪のレース開始 筑波でN250クラスに参戦
諸事情で2輪のレースをやめてイライラしてた時にGT-R(BNR32)が発売
GT-Rを購入してイジって乗ってましたが・・・公道ではどうもスッキリしないというか・・・
そんな時日本海間瀬サーキットでチューニングカーの草レースが開催されたんです
僕は迷わずGT-Rで参加しました(初参戦で予選1位 決勝2位)
雑誌の企画でもこの間瀬サーキットでチューナーズバトルをやってましたが・・・僕とそんなに変わらない
だったらSHOPもブッチギリのタイム出しちゃおう なんてGT-Rをイジリはじめたら・・・そんなに速くならないし壊れてばかり
走れば走るほど2輪とは全く違う事を感じた
運転手がイケルのに車がいう事きいてくれない
4輪の事もっと勉強しないとダメだな
って事で僕で出来る(?)最高峰のレース フォーミュラートヨタに参戦を決めました
フォーミュラートヨタ(以後FTで)に参戦って・・・結構無謀なんですよ
このレースってシャシー屋さんとエンジン屋さんが独立してて勝つのは個人(素人ですね)にはかなり困難なレースなんです♪(参加するだけで年間2000万 勝つ体制なら4000万かかるレースですからね)
最初の頃は予選で赤旗出して参加者に迷惑かけたら「お前みたいな奴が出るレースじゃねえ」なんて言われた事もありました
順位だって毎回後ろのほう
自分でメンテナンスしてドライビングしながら車の事覚えていきました
スタッフも自分の会社の社員一人・・・回りからは冷たい視線かんじてましたね
この頃はJAFの規定でAライ保持者は草レース禁止だったんですが、並行してGT-Rで草レースにも参戦してましたよ
レースでの経験が功を奏して筑波でスンゲ~速い33GT-Rがいるって噂になったり
筑波スーパーバトルでだって勝てるチャンスもあったんです
33GT-Rが発売されてすぐにチューニング開始 筑波TC2000でシェイクダウンで1分2秒台 2走行目には1分01秒9!(あんなのSPコンのタイムだよ・・・なんて言われてました)
雑誌社さんに筑波SVに出させてって言ったら「EIJIさんはチューニングSHOPじゃないからダメ」って言われちゃいました
この時の筑波SVの1位が○インズ33GT-R1分01秒7 2位がH○S33GT-R1分01秒7 コンマ差でしたから・・・
この頃はGT-Rの為に参戦してたFTで勝つ事に執着してたんでどうでも良かったんです
FTでは3年目からモデルチェンジして名前もFT20に 足回りもプッシュロッドに変更されてさらに楽しくなってきました
開幕戦富士ではフリー走行からTOPタイム連発 予選3位 決勝3位 うれしかった初表彰台ですから
この頃にはレース屋さんの合言葉は「EIJIに負けたら商売になんないぞ」なんて言われてたりしてました
だって僕は完全プライベーターですからね・・・気分良かったです
でも初優勝までの道は長く険しかった
FT参戦5年目西仙台ハイランドで決めた初優勝
もう最高の気分でした 最終ラップはブッチギリだったんでクルージング
なんかジワ~ンてきてチェッカーを受ける前に泣いちゃいました(黄砂じゃなかったです!)
この日は父の一周忌 勝てなければやめるつもりだったんです
やっと勝てた事で心機一転
翌年からGT-Rで業界をひっくり返す準備を始めたんです
FTレースに出て、シビックワンメイクレースに出ながら・・・
だから僕はGT-R(BNR32)を速くするためにFTで勉強してGT-R(BNR32)でチューニング界に帰ってきた
が正解なんです
陰口叩くヒマがあるならもっと努力しろって僕はいつも言いたかったです・・・
Posted at 2011/05/02 22:59:05 | |
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