
今日は、袖ヶ浦のサーキットでランボの撮影をしていました。その時、一本の電話が鳴った。宮島さんから二村保さんが逝ったという知らせだった。昨夜の麻酔科の電話は、二村さんの事を尋ねる電話だった、、、え、お前は知っていたの?僕が当然知っているから、と思い、言わなかったのか?
言葉にならないくらい悲しい。
二村さんの事を知ってから30年。
師匠、但馬治がもっとも尊敬し、愛したレースフォトグラファー、二村保。
昨年の6月26日のブログはモンテのプジョー205ターボ16の写真を使った。そして、その時のコメント、
(写真の右隅にベージュのダウンを着た方と取材を供にさせて頂いていたんです。彼は著名なジャーナリストの赤井邦彦さんです。そして、その足下で、写真を撮っていらっしゃるのが、伝説の写真家の二村保さんです。
この時にどんな写真を撮っていたんだろう、っていつも思っていました。もうー、本当に凄い写真を撮るんですよ。隣で撮られちゃうから、凄いショックでした。ずーと目標としていた時代があったのですが、感性に天と地ほどの差があることに気がつき、、、努力だけでは、届かない事もあると初めて挫折を味わいました。
あ、この写真を撮っていた時代は、僕もまだまだ若かったので、挑戦者でしたよ。
モータースポーツの写真で、唯一アートと呼べる写真を撮っていらっしゃいました。本当に凄い方です。長くヨコハマタイヤのカレンダーを撮っていらっしゃいました。もし、そのカレンダーをお持ちの方がいらっしゃいましたら、大切にしてください。宝物ですよ。
ニキラウダを使ったヨコハマのTVCMも撮っていました。タッタラー、って寺尾さんの音楽のCM覚えてる方いないかなー。)
F1カメラマン7人の写真集、セブンスフォトグラファーというタイトルの写真集を作った時に、二村さんに入って欲しくて、何度か、お話をさせて頂きました。その時、、、写真の事を楽しそうに語られた二村さんの顔を忘れられません。
タンボ、さ、鈴鹿F1でさ、ヘリでこんな写真が撮りたいんだよな、解る、130Rをドリフトしてセナが行くんだ、それを追うプロストが、デグナーを立ち上がり、立体に入る瞬間を撮りたいんだよ。な、良いだろう?凄いだろう?と言いながら絵を描くんです。六本木のマックで話したのは、昨日のような気がする。
色々な編集者や雑誌社に、二村さんの本を作って欲しいと訴えていたが、、、間に合わなかった。
アウディ、クワトロの右隅にベージュのダウンの赤井さん、隣が二村保さんです。
二枚目の写真は、ザラリー、レコードの裏面のストラトス、写真集フィニッシュの一枚、木の枝の中のランサー、ニキラウダの写真集。
逝ったなんて、、、、
まだ、信じたくない。
Posted at 2011/07/28 22:29:21 | |
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