
「解放後のくらし」
1945年8月15日、ポツダム宣言の受諾により日本は敗戦し、朝鮮人は祖国の光復・解放を迎えました。
当時、日本に居留する朝鮮人の数は約200万人に達していました。故郷への帰国を急ぐ人々が、下関や博多に殺到しましたが、帰国事業は円滑に進まず、港の近くは船を待つ人であふれていました。
一方で、持ち帰り財産の制限や朝鮮の不安定な社会情勢、すでに祖国での生活の基盤を喪失していたなどの理由によって、約70万人が引き続き日本にとどまりました。
しかし、戦争の終結によって軍需産業が停止されたため、朝鮮人の大部分が職を失っていました。在日朝鮮人は衣食住から教育まで、すべてを自分たちの力で解決するほかありませんでした。

混雑する夜汽車に乗っての食料の買い出し、闇市での統制品の売買、一枚の板に商品を並べただけの露天、行商、ニコヨン(失業対策、職安の斡旋で一日240円の賃金が支払われた)、どぶろく・焼酎造り、飴売り、養豚など、生きるためには、どんなつらい仕事でもしました。

日本政府は、在日朝鮮人をひきつづき「日本人」とみなし、その法令に従うことを要求しました。その反面、参政権を停止し、外国人登録を実施するなど、一方的に権利を制限し、管理政策を推し進めました。当時の吉田茂首相は、マッカーサーに朝鮮人の強制送還まで提案しました。闘いなしに民族権利、生活権の擁護はできない、そんな厳しい時代とくらしでした。
これに対し、帰国事業の支援、生活権を守る運動、教育・文化事業など在日朝鮮人が直面するさまざまな問題の打開に向けた民族団体が各地で組織されます。在日本朝鮮人連盟(朝連)は当時最大の民族団体でした。また、新聞や雑誌などの出版活動が盛んになり、文学の同人誌をはじめ、多彩な文化活動が各地で展開されました。
「民族教育」

日本に残った朝鮮人の多くは、いずれは祖国に帰るという考えを持っていました。そのためには、日本で生まれて皇民化教育を受け、日本語しか知らない子どもたちにウリマル(母国語)を教える必要があります。そこで、日本全国6百か所に国語講習所を作りました。
先生も校舎も教材もない中、「知恵のあるものは知恵を、力のある者は力を、金のある者は金を」を合い言葉に民族の言葉を取り戻す気運が高まり、民族教育が始められたのです。約6万人の子どもたちが、ここで歴史や言葉を教わりました。
こうした民族学校に対して日本政府は、「共産主義の温床」という理由をこじつけ、GHQに働きかけます。1948年1月、「朝鮮人設立学校の取り扱いについて」という文部省学校教育局長名の通達が出されました。朝鮮人の自主教育を否定したのです。これに対し朝鮮人は、民族教育を守ろうとして反発しました
在日同胞の多い大阪、神戸では、激しい衝突が起こり、後に「阪神教育闘争」と呼ばれるようになりました。4月24日には非常事態宣言が発令され、警官の発砲により少年が射殺されるという事件が起きています。
しかし、1949年10月に朝鮮人学校閉鎖令が閣議決定されました。ほとんどの学校は閉鎖され、子どもたちは日本学校への転校、もしくは不就学を強いられたのです。
「外国人登録法改正運動」
1947年5月、在日朝鮮人を管理する目的の外国人登録令(最後の勅令)が公布され、その後1952年4月のサンフランシスコ条約発効と同時に外国人登録法となりました。
この法律の問題点のひとつは、外国人登録証明書の常時携帯義務です。警官をはじめ日本の官憲が呈示を求めたときには応じなければならず、違反すれば重い罰則が科せられました。
もうひとつの問題点は、14歳(1982年からは16歳)以上の外国人に指紋押捺が義務付けられたことです。
元来が監視的色彩の強い法律であり、採取した指紋を警察が犯罪捜査に利用していた事実が後に判明しました。しかも、登録業務を国の機関委任事務として、市区町村役場に代行させていたのです。
1980年9月、東京に住む韓宗碩氏は、指紋押捺を「屈辱の烙印」だとして拒否しました。それは当初「たった一人の反乱」と呼ばれました。しかしその後、若い世代を中心に共鳴の輪が広がり、日本人をも巻き込んだ80年代の一大市民運動に発展しました。
運動の高まりに対し、法務省は、法律違反者の「逮捕」「再入国不許可」「在留不許可」などの弾圧を行いました。しかし、1985年には拒否・留保者が1万人を越えるほど運動の裾野は広がり、日本政府は黒インクを水溶液にしたり、押捺を生涯1回限りにするなど、小手先の「改正」で矛先を変えようとしました。

そして2000年4月、ついに外国人登録法の指紋押捺は全面撤廃されました。しかし、登録証の常時携帯義務は、残念なことに現在も温存されたままです。
以上が、在日本糞朝鮮人二世以降が共有する大まかな歴史認識、民族の足跡と言って良いと思います・・・私は、今回アップ致しましたものと含めまして先ずは一通り読んで見ました
読み進む内に、朝鮮人の度を超えた曲解と異常な迄の思考に幾度と無く躓き、理解に苦しみます
繰り返し読むと見えて来ますが、極左の思考とそっくりです「女の腐った奴」其の物です・・・もうちょっときちんと書きたいのですが今日は蒸され人と成り疲れましたので後で修正します。
ちょっと書き足します、朝鮮人を考える際に、とても重要な要素の一つとして極左・共産思想が在ると思います
良く謂われる中凶支那の特異性とは一見して似て、そして芯は全く異なる糞朝鮮人で在ります
思考の方向性では、原始共産主義にキリスト教を混ぜて牛乳で割った様な感じでしょうか
朝鮮人を考える上で我々日本人にとっても、一考の価値が有るなと感じるところが在りました
其れは、
Posted at 2012/08/11 23:52:18 | |
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