今の愛車、Z2に出会ったのは・・・。
一応東京の大学に進学してみたものの、そこは元々自分の志望した学部ではなかったし、しかも教授の大半が真っ赤な方面の人ばかりでニ、三日通ってハイさよなら(籍は一年ほどあった)。あとはバイトに励む勤労青年になってました。
そんな東京の生活に見切りをつけて帰郷、僕は何をするでもなく、立派なクマのプー太郎になってました。
そんな頃に知り合った人にEさんという方がいました。Eさんは廃品や古い農機具の回収などの商売をしていました。ある日のこと、
「メリーちゃん、今度の日曜ちょっと仕事手伝ってくれないかな?バイト代弾むから」
とのことでしたので、あっさりOK。次の日曜日に、Eさんと一緒にトラックに乗って、農家の納屋を何件か回っていたわけです。そして、よくわからないけど何かの機械の買取りの商談に寄った農家の納屋に、昔見たことのある黄色い縞模様のバイクがあったわけです。それはたくさんの稲穂の束に埋もれていて、埃だらけになっていました。
「ゼッツーだ・・」
と、思わず見入ってしまいました。遠い少年の日、母の実家の年長の従兄が新車で買って乗り回していたあのバイク・・。まだ砂利道だった大通りを、ノーヘルのタンデムで乗せてもらった。当時は何というバイクかも分からなかったけど、お父ちゃんの乗っていたメグロや、街中で見かける他のバイクとは全く違った雰囲気があって、まるで未来から来たスーパーマシンのように思えたゼッツー・・。それまで違う場所で見かけたことは何度もあったけど、農家の納屋で見るゼッツーは、まるであの時の従兄のゼッツーがそこにあったみたいで、胸が熱くなって・・。
Eさんと商談の終えたらしい、その農家のお爺さんが来たので、思わず
「すみません、このバイクを俺に売ってもらえませんか?」
と言ってしまいました。そう、僕の場合どうしてもZ2が欲しくて探し回っていたわけではなく、この偶発的出会いで手に入れたくなってしまったわけです。しかもまだ中免しか持っていなかったのに。
「息子のバイクだがら息子に聞いでみねどわがんねえ。でも、何年も放ったらがしだがら話してみんべえ」
とのことで、息子さんに聞いてもらえることに。商談は、その方々と付き合いが長いEさんがうまくまとめてくれることになり(勿論仲介料は払った)、目出度く成立。値段は二十数万円だったので当時でもリーズナブルな値段だったと思います。
Z2を先輩のバイク屋に持ち込み、オイル交換、キャブの掃除、バッテリーを新品にしてセルを回したらゴゴゴっと一発でエンジン始動。思わず歓声を上げてしまいました。でもよく見たら、調整のあと取り付けたポイントカバーが逆さまに付いていて、思わず先輩と笑ってしまいました。
その後、このマシンに乗るために限定解除に挑戦!途中挫折(柄にもなく女が出来て、その娘と一緒になりたいために就職活動に励んだ。そして就職してしまったのが今の職場。結局その娘とは別れた)したものの、その後5回目で合格!先輩のバイク屋に立ち寄り、Z2のタンクを抱いてほんとに泣いた。
その後、派手にすっころんで一緒にけがをしたり、お巡りさんに捕まったり、女の子とタンデムしたり。いろんな経験をしたものですが、まだまだ元気でいてほしいと思っています。
そんなZ2ですが、一生僕の大切な友人です。

Posted at 2014/10/09 22:19:37 | |
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バイク | 日記