時代は1970年代半ば。
私は当時、小学生。
いわゆる
スーパーカーブームが真っ盛り・・・
カウンタックが一番好きだったけれど、もっとレアなヤツの存在を知った。
雑誌、小学何年生だったかのグラビアで【ランボルギーニ・イオタ】と紹介されていたのがこれ。

スーッと引き込まれていくような気分だった。
■ミウラ J 通称:ランボルギーニ・イオタ
元々はランボルギーニ本社でボブ・ウォレスの主導により、
ミウラのレース仕様車が製作された。
たった1台だけ。
3万㎞ほどテスト走行を実施された後、【シャシNo4683】を与えられ売却される。
ところが、販売業者がテスト走行中にクラッシュ。
ドライバーは一命を取り留めるも車体は大破炎上、
残骸は本社へ引き取られていった・・・と。
その後、レースへの参戦を望むユーザーや販売代理店の要望でレース仕様車っぽく仕上げたメーカー製のレプリカが【イオタ】として何台かが販売された・・・と、
マニアの間では周知。
昨今、この辺の情報の集積精度は高くネットの検索でたくさん出てくる。
そして、これらの【イオタ】はシャシNoが確認されており、
所在やコンディションがほぼ把握できる状態にある。
ネット社会のおかげで、【何でも検索で見つけられる】ようになった。
例えば、シャシーナンバー3781(SVR)
例2、シャシーナンバー4860(SVJ)
それにしても、
前回のブログでも述べたようにミウラ自体、
スタイリングの完成度は神の領域に思える。
それをあえて乱暴な処理を施すことは【蛇足】という言葉の実行かも知れない。
しかしながら、それはユーザーや開発者共に
公式レースステージでの華々しい活躍の切望を裏図けるものであろう。
今や神話に登場する神々たちに思える
フェルッチオ・ランボルギーニ、
ジオット・ビッザリーニ、
パオロ・スタンツァーニ、
ジャンパオロ・ダラーラ…
そしてボブ・ウォレス達の
抜き差しならぬ諸事情や葛藤はいかほどのものであったろうか?
とは言え、
改造車、メーカーワークスの希少車種・・・
このワルっぽさ&インチキ臭さをまとったMAX激レア感といったら・・・
あぁ~っ!!!たまらんね!
ところが、
長年、一番好きなあのイオタだけは所在がつかめなかった。
とにかく、ずっと気になっていた。
どこかでひどい事故にあって全損になってはいまいか?
あるいは
価値の分からない輩の手に堕ちてグチャグチャにされてはいまいか?とか。
年末の事、不意に40年ぶりで所在を知る。
なんと、
ジュネーブに拠点をおくオークション業者のHPで紹介されているのを発見!
2019年配信の記事だから1年以上前から出てたのか…
これまで判らなかったことが次々と氷解
まず、
形状でリヤビューがオリジナルのミウラやイオタとはまるで違う処理という事。
そして、ファクトリー製の【正規版のイオタ】ではないという事。
言うなれば【イオタ】というより
【元祖ミウラ・J コンペツィオーネへのオマージュ
】と言えよう。
個人的にゾッコン惚れこんだのがリヤカウルのルーフ後端からフェンダーにかけての造形処理。
不意に施されたエッジが斜め前から見た時、
フロントカウルのエッジと奇妙な整合を成している。
他のイオタはSVR以外リヤカウルはミウラの柔らかいラインを踏襲している。
このクルマの制作に関係した人たちは特別な名称として
【Millechiodi】(ミッレチドリ)と呼んでいたと。
直訳すると【1000本の釘】
レース仕様の元祖ミウラ・Jの特徴をあしらった
無数のリベットが印象的だったからという。
当然だが制作はもちろん、レストアにも莫大な費用が掛かっている。
それにしても・・・
あらゆる意味で正規版のイオタすら超越した特別なクルマ・・・
ミウラのままのエンブレムがいよいよ眩しい。
ひとまずは…あって良かった。
あぁ~!!! どこかで…逢いたいな。
Lamborghini Miura P400S Millechiodi
使わせてもらった写真の配信元
ジュネーブ(スイス)に拠点を置く自動車のオークション業者
キッズトン(kidston)社の公式URL
Posted at 2021/01/25 16:09:06 | |
トラックバック(0) |
スーパーカー | クルマ