16歳で初めてレーシングカートを経験して以来、色んなカテゴリーのレーシングカーに乗ってきましたが未だに越えられない人がいます。この人物が今回紹介する私の師匠達であります。
幼い頃からモータースポーツに慣れ親しんだ訳は、私が3歳の頃まで親父がトヨタ1600GT5で、ラリーやジムカーナなどに参加し、それに兄、母親と共について行ってた為、自然と違和感なく入って行きました。
元々、兵庫県明石市で四代続く商売人の次男坊に生まれ、親父も根っからの凝り性で、中学3年卒業式翌日から作り始めて製作約1年半かかった今で言う470艇くらいの木製ヨット。当時付き合い始めたばかりの母親を進水式に呼び、そのまま淡路島までの初デート。淡路は岩屋の友人、風呂屋の渡瀬くんとこまで行って風呂入って帰ってきたと今でも語り草。昭和20年代後半の明石の田舎のエピソードとしては何とも斬新やったと思う。その後、明石ヨットの社長と後藤の木型の社長らと昭和30年代初頭に明石ヨット倶楽部を創設し、その後大小合わせ5,6艇を木製、FRPで製作。趣味の釣り船を合わせると20艇ほど自作自演したみたいです(笑)趣味で。最大でも33fくらいの小艇
何とか記念ヨットレースとか何とか開港ヨットレースとか全日本何とかラリーとか・・・・
幼い私は、常に「ゲロ」との闘いにさらされていました。ただついて行くだけ、船に乗るだけでしたが・・・・
その後、小学生で水上スキー、競技スキーと実戦開始。これが無意識のうちに「遊ぶ」を教えられた師匠と呼べるかどうか・・・・・親父です。
そして、物心ついた頃、人と競う競技という事で、レーシングカートを始めました。その門を叩いたのは関西の名門ジェミニカート。野田社長、高畠さん、古野さんに鍛えられました。特に古野さんには関西カートランドでマンツーマンで教えて頂き、今日のドライビングの礎を築きました。戦いの場はもちろん地方です
それから、4輪レースへと戦の場を移し、JAFのツーリングカーレース(N1)(NR)、N1、S耐久、鈴鹿RS、FJ1600、Formula4、JCCAクラシックカーレース、時々草レースと浮気心炸裂のレース人生でもっとも教わったレースの師匠 藤原 進です。(実名、呼び捨てですが・・・本人承諾なし(笑))
今年、還暦の師匠(以後おとっつぁん)は若かりし頃、とは言っても遅咲きで、全日本カートで5回ほど優勝し、当時の世界選手権香港カートGPで5位とハリキリ、フィジケラ、マグ二ッセンなど後のF1ドライバーを従えて入賞した人物です。5年前まで鈴鹿FJ1600で活躍し、選手権のついたフォーミュラで日本最年長優勝記録保持者でもあります。確か55歳?
このおとっつあんにとことんレースの賭け引き、ブレーキングを教わりました。性格がくどいのでレースの話をしだすと朝6時から深夜まで一年100日みたいな感じでトコトン教わりました!
鈴鹿でもS字は遅い(爆)のですが、高速からのブレーキングは超絶で、今まで見た世界のトップドライバー(シューマッハ他含)よりも間違いなく上手い!!鈴鹿サーキットでレースしてる人、日本のトップドライバーならみんな知ってる事実です。なんちゃってレース通には知名度低!!
200km/hオーバーの130Rでも僕のインに捻じ込んでくるヤラシイおっさんですが・・・
そんな師匠も今なお現役。JCCAクラシックカーレースSクラスに510ブルーバードで出場してます。
何時までやるのおとっつあん?いやいや師匠(爆)
Posted at 2012/11/08 02:13:20 | |
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