国内の主なヒルクライムイベントは約50年前に数回行なわれ、その後国内のサーキットの普及によって徐々に衰退、クローズドサーキットと国内ラリーに分かれていった。主に自動車雑誌に影響された世代であった。
90年代に入りこれ又、雑誌・ドリキンに憧れた若者の間でほんの少しだが大会が存在した。現在でも国産車主体で群馬サイクルスポーツセンターや長野の各地でひっそりと行われている。
5年以上前にヨーロッパで数度、本場のヒルクライム競技を走り・見て・国内でオーガナイズして来た者として何が違うかはハッキリと分かっているつもりだ。
過去の偉大な公道競技タルガ・フローリオは別として…
まず、2日間競技であること。試走を初日から行い、初参戦でも出来るだけハンデキャップを負わね様、オーガナイザーの配慮がある。宿泊が有るため各チーム同士の交流があり、勿論パーティーもある。
これは、参加者同士リスペクトすることに貢献していること。地元に貢献すると云う意味もある。
旧車や現代車、2座のオープンレーシングカー、フォーミュラまで様々なカテゴリーが存在すること。これに関して日本国内では現在のところ制限がある。パレードイベントなら別だが…今後も言えることだが、ナンバーの付かないレーシングカーのタイムアタックは日本国内では、FIA公認以外無理と言えるし、無理と断言出来る。実際、FIA公認競技のWRC IN JAPANでも国際ナンバー取得後に参戦しているのが実状なのだから。
それと国道・県道以下の市道・町道しか法的に無理であること。
最もの違いは事故によって可能性の有る怪我や死亡事故を想定した待機医師、救急車が必ず待機していること。競技を前提にしている以上当然の事実である。
安全を願う事は当たり前ですが、万が一を想定することもオーガナイザーの役目。絶対なんてあり得ないのがモータースポーツである。
公道完全封鎖のヒルクライム競技とは、競技中、どこまでほんの少しのマージンを残
せるかを競う競技なのだ。成熟した大人の成熟したドライバーのみが栄光を与えられる競技として成熟することを今後も望む。
勿論、車種などにとらわれず、主催者の要らね演出を無視してでも本気で走ることのみが観る者の心を動かすことが出来る唯一無二のことであることに変わりはない。
Posted at 2014/12/21 02:41:58 | |
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