
どうでも良い話。お付き合いください。
僕が初めてバイクに乗ったのがホンダタクト初期型。
その頃実家は駅から遠い不便な場所にあって、僕は自転車で駅に。
共働きの親父とお袋はぼろいクルマで駅まで毎日通勤してた。
使う鉄道が違ってたから、僕だけ自転車。
田舎道の自転車はキツイのよ。
ある時、親父がホンダのタクトを買ってきた。
正直驚いた。何でかと言うと金良くあったなと思ったのと、祖母が高校生の乗った250のバイクに轢かれて亡くなったばかりだったから。
我が一族は決してバイクに乗らず。乗せず。と言う空気感だったから。
不便には勝てなかったのだろう。
当時はヘルメットの着用も原付は義務化されて無かったから手軽だったんだろうな。
高校生だった僕も学校に黙って原付免許を取って借りて乗ってた。
そのうち直ぐにヘルメット義務化となり、僕はアライのスペンサーレプリカを手に入れた。
ヘルメットの嫌いな親父は乗らなくなり実質タクトは僕の半専用となる訳。
で、この大事な我が家の移動手段のタクトがある時盗まれてしまったの。
数日後、根性でさがし出したは良いけど、めちゃくちゃされてて族車になってた。
俺が暴走族やら旧車會が大嫌いなのはそれが理由。
マフラー切断して乗られた為、エンジン焼き付いて放置されてた我が家のタクト。
根性というか必死に勉強して治した。
2サイクルの動作原理、2ストオイルポンプの動作原理、キャブレターの動作原理などなど。
今みたいに簡単にネットで調べられる時代じゃなかったからかなり時間が修復に掛かった記憶があるよ。
原理がわかったから実践。
幸いな事にホンダ狭山工場が近所にあり、ホンダ純正パーツ販売店も隣接されてたから、パーツは歩いて買いに行けた。
何と、サービスマニュアルもパーツリストも見るだけならと店頭で貸してくれたから必要なパーツを無駄なく買えた。
今じゃ考えられない大らかな時代。
もちろん工具も無かった。
けど、当時ホームセンターが出来始めた時代だったから、必要な工具だけは手に入れる事も出来た。
ただ、まだ中華製やら激安工具が世に出始める遥か前だったからKTCとか高級品しか扱いなく、工具を買う為にアルバイトすると言う、今とは隔世の感。
逆にこの高級品のお陰で今でも24ミリのレンチとかは現役。
そのあと、暗記したサービスマニュアルの記憶と試行錯誤の繰り返しで、シリンダー交換、ピストンリング交換、マフラー取り付け、焼けたピストンの研磨とかやって、何とか復活させた訳。
キャブレターとオイルポンプは何回も何回もやり直したなあ。
すんごい勉強になった。17歳そこらの文系の割には頑張ったよ。
その後、ちょくちょく細かいパーツ買うついでにサービスマニュアル見せて貰うのを繰り返して変速機も自分で治せる様になった。
文章だとあっさり治したみたいになるけど一年以上費やして治してた。
アルバイトしないとパーツも工具も買えなかったから。
その頃には進路を決めなきゃ行けなくなってたんだけど、即答で文系に進路を決めた。
2ストとは言え、あんなに微妙なタイミングで動くものを設計出来る理系の人には俺成れないと悟ってしまったから。
タクト。色々な意味で僕のバイク&クルマ好きになった原点なのであります。
これと並行して、アルバイト先で頼まれたった半分不動車のCB50復活もやってたんだけど、これはタクトと比べ物にならない位更に勉強になった。
CB50復活はパーツ代はオーナーが負担してくれたから。楽。
クラッチ交換とバルブクリアランスが取れる様になった。
4ストってすげえなあと感じた青春時代でした。
Posted at 2022/04/20 19:06:11 | |
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