百恵ちゃんの”プレイバック パートⅡ”は馴染みのある曲ですが、”Ⅰ”があることをご存じ? 何 知っている?
山口百恵とは何のつながりもありませんけど、以下、日記です。
昔 昔 あるところに 薄汚いアパートがありました。
流しとトイレが共同で、部屋は4畳半。それでいて、家賃が高い!
確か、10,000円だったと。 別にあたしが支払っていたわけじゃありません。
小さな玄関の扉を開けると、アパートのくせに、左側に管理人のおばさんのいる部屋があって、玄関が開くと、ガラス窓の奥からこっちを睨みつけるわけです。
男が顔を出すと、不審に満ちた顔で「なにか 御用?」。
用事は玄関で済ませねばなりません。靴を脱ぐことは許されないのです。それが親族であっても、たとえ、お爺ちゃんでもダメ!
そう、女子専用のアパート。 うん、入り口にそう書いてあった。
このお婆が守る関所を通らずに彼女の部屋にたどり着くための”登頂ルート”を開拓したのは あ た し です。
アパートの隣の家との境にあるブロック塀の上に乗り、2階の部屋の小さな窓枠に高くジャンプして手を掛け、腕力のみでよじ登る。 決して、物音をたててはいけない。
そういう離れ業が出来たんですよねぇ。
今はブロック塀の上に乗ることさえおぼつかないですが。
当時でも、侵入することより脱出が大変。ブロック塀の上に狂いなく着地しないといけません。
2度 ブロック塀の上に飛び降りられず、地面に落下。うち、1度はブロック塀に股間を打ちつけ悶絶の数分間。 やっと立ち上がっても歩く姿の情けなさ。
TBSのSASUKEもこういうリアリティのあるシチュエーション用意せんかぃ!
HAPPY ENDではなく、TRAGIC ENDだったので、その後、
東京の会社で仕事を始めたとき、この近辺によく利用するファシリティがあったのですが、記憶が生々しくよみがえってきたものです。 あの通りの向こう側には恥 恥 恥の足跡が。
2度の遭難を含む苦い経験からもう30年以上経過し、そんな記憶も風化の兆し?
ということで、27日、その近辺を散歩しました。
クリスマスのプレゼントを渡した店(”出がらし”じゃぁねぇかコレ という味も香りもないコーヒーを出す営業努力一切皆無の喫茶店)は小料理屋になっていて、近辺にはちょびっとオシャレなイタ飯屋が3軒できていました。
あのボロアパートがあった場所が今はマンション? 個人宅?
確か、この界隈 全域 汚い雰囲気が満載だったのに。

プリウス?が停まっているところが多分 あのころの玄関です。
電信柱の位置(昔と変わらずなら)からすると、ここからブロック塀が奥の方へ延びていた(はず)。 ほぼ痕跡ゼロです。 登頂ルートの石碑くらいあってもよさそう。

ただ、痛みが治まるまでじっとこらえていた公園は今もありましたヨ。あの日、雨が降ってたっけ。 ここは、下の写真の大通りから2-30メートル入った裏通り。
でもって、この大通り。 ご存じの方も多いのでは?
写真の奥の方に進んでいくと、こんなものを売っている店がある ホレ あの通りです。

散歩の後、泳げタイ焼きくんの”なにわや”よりも深い思い出のある”わかば”でたいやき買って帰宅しました。 30年ブリ。 http://www.246.ne.jp/~i-ozawa/
申し遅れましたが、妻はこのへんの話 すべて知っております。 ハハハハッ。
Posted at 2012/12/28 18:38:22 | |
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