
前回のクラウンのオーナーをみてて
自分の親父を思い出した
私が まだ5歳くらいの頃だから
昭和39年ごろだと 思いますが
我が家に
初めて納車された車両が トヨタパブリカバンだった
当時助手席は私の指定席
父親が配達に出かけるときは必ずついて行き
ダッシュボードにしがみつき 走るパブリカから景色を観るのが
好きだった パブリカのダッシュボードは鉄板製だったので
ブレーキかけるたびに 私は ダッシュに頭を打ち付け
おでこが赤くなり 母親に毎回バカになっちゃうよって言われた
お陰で ノータリンになりました ・・・
そんな パブリカ 2年ほど使用してましたが
いつ観ても 綺麗に磨かれピカピカしてましたし
とても大事に乗ってましたね
昼夜関係なしで仕事を頑張り いつかはクラウンなんて言ってたな~
仕事も順調になり そんな時 親父は、母親にだまって クラウンに買い換えるために
トヨタの営業マンを 家に呼びクラウン購入の為に契約書にサイン
そんな事を知らない 母親は、激怒!
契約書を見るなり その場で破り捨てました ・・・
これを機会に 親父は、生涯 クラウンに乗ることはなかった
その後 数台乗り換えましたが 車はいつ観てもピカピカ
愛車に対し 一礼こそしないが
車に対する気持ちは すごかった
私は 父親の意思を引き継ぐ事も無く
トヨタ車からフォルクスワーゲンの道を歩むことに ・・・。
トヨタ自動車博物館に行くたびに
オレンジ色に輝く 初代パブリカの前にくると
足が止まり ついついダッシュボードを眺めてしまう私です。
Posted at 2016/11/15 00:30:45 | |
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