
私がアルファロメオ147GTAというクルマがなぜ好きなのか、について考えてみた。
思えば他にも好きなクルマは古今東西を問わず、イロイロとある。それを並べてみれば、世間のクルマ好きの皆様と何ら変わらないメーカ、車名が並ぶことであろう。
しかしクルマとは大きな買い物である。人生の中では家に次いで金額の高い買い物であろう。
であれば好きなクルマに乗りたい、と思うのは自然のことである。
もうひとつ、できれば同じようにそれを愛好する人がいると、いい。
それは情報源であったり同じ思いを共有できることもあるけれど、世間的に知名度のないクルマを所有すること、というのは実際私のような小市民に取ってみれば、メンテナンス等の問題にもかかわる大事なことなのである。
私はスーパーカー世代ではあるが、子供のころから好きなのは専ら日本車だった。
最初に学校帰りのディーラーで見たマツダRX-7には「とうとう日本車もこんなクルマが作れるようになったのか」と感慨の念を抱いたし、同じく学校帰りの本屋で立ち読みした雑誌で知ったAE86のときも「トヨタGTやってくれた」と喝采を送りたい気分だった。また同時に60年代の日本車も大好きだった。小学校のころに夏休みの宿題で「紙の」スバル360を作っていったこともあったし、高校生のころにプラモデルで組み立てたトヨタ2000GTも両親に「今が底値だと思うので買っておこう」と進言するような子供だったのだ(もちろんこの、今にして思えば的確な進言は至極まっとうな理由によって却下されたが)
だが大学の機械系で学んでいたときにイタリアのクルマというもの、それも古いアルファロメオやアバルトなどを知るに至る。所以はもちろん「GT Roman」だ。クルマを愛する者たちが集い、そしてそこに生まれるいろいろな物語。まだまだ将来が明るい見知らぬ大人の世界をそこに感じていたのかも、しれない。そして学業はともかくバイトに励んだ結果、ようやく1台のべスパを手に入れた。「125ET3」は新車でこそあったが、デロルトのキャブに混合給油の、それは十分に「旧車」でもあった。それを機に、いよいよイタリア車好きを確信することとなった。
それから10年ほど経って。
アルファ147を初めて見たのは、パシフィコ横浜で開催されたムゼオ・アルファの会場だった。
イタリアはミラノのアルファロメオが自ら所有する博物館から持ってきた、それまで雑誌や本でしか見たことのなかったスポーツカーたちに交じって、アルファ147の日本での発表はここで行われた。前任の145とは異なる流麗なボディラインと内装は、私のような「イタリア車かぶれ」を洗脳させるのには十分だった。何せそれに遡ること’98年に発表となったアルファ156でその路線については、すでに十分洗脳されていたのだから、受け入れ体制は整っていたようなものだった。
その頃乗っていたフィアットパンダも十分大好きではあったが、もとより大学時代から「いつかはアルファロメオ」という思いもあり、たまたま見つけた並行輸入車の147セレスピードを入手し、「これでいよいよアルファロメオ乗り」になったのだ、と意気揚々であった。
それから2年ほどすると、156に引き続いて147GTAが発表になった。
147GTAの掲載された雑誌は、カーマガジンやカーグラフィックを筆頭に、すべて買い揃えた。だが、残念なことに雑誌や世間の評判は好意的なものが多い一方で、「GTAを名乗るには重すぎる」など、GTAという名称の下敷きとなった、’60年代のジュリアGTAの「精神を引き継いでいない」この現代のスポーツカーには否定的な意見も多々あった。
しかし私の意見は、こうだ。
確かにGTAを名乗るのであれば、せめてカーボンやアルミのボディパネル、ボンネットだったら良かったかもしれない。しかし21世紀の自動車は、もはや単に軽量なだけのクルマを一般市販車のレベルで作るのは安全性を筆頭に容易ではない。これには当然コストも含まれる。高価なパーツをスポーツカーの精神のために採用されると、それはまた、私には手の届かないクルマになるのも間違いない。
しかもライバルのフォルクスワーゲンはすでにゴルフにR32という3.2Lのエンジンをブチ込んだ、モンスターカーをデビューさせていた。クルマを軽量にして、レスポンスよいNAエンジンを積んだ、GTIというモデルがあったにも関わらず、である。
だからアルファは147GTAに、当初噂のあった2.5Lターボなどでなく、156GTAとパフォーマンスがバッティングすることを承知で同じエンジン-アルファロメオ生産設計の伝統的V6-を搭載したのだ。
つまり、これはガソリン自動車が行きついた、最後の姿でもあり、また、フィアットに吸収されたアルファロメオの最後の足掻き、でもあったのだ。
それを裏返しにして、かつ私の趣向と現実を加えると、私がなぜ147GTAを好きなのか、の説明になる。つまり;
●1970年代にそのオリジナル設計を見た、純正アルファロメオ設計、ミラノ生産のアルミV6エンジンの最終形、かつGTAのみに与えられた専用のクランク設計などを含む3.2L/250PSのエンジン
●一説にピニンファリーナが関与したと言われる、実用的(大人4人が十分乗れる)、かつ流麗なボディ
●賛否両論あれど、スポーツカーメーカーであるアルファロメオの名にふさわしい、「GTA」の名称の復活
●6速MTでありながら、現代の流行である「セミオートマ」のはしりである「セレスピード」の採用(6速セレは147/156のGTAにしか採用されていないことには注意しておく必要がある)
●エアコン含めて長らく日本で乗るには厳しかった快適性の向上(アルファで日本でも耐えうるエアコンが搭載になったのは147/156/166以降のことである)
●ノーマルの147から、GTAのために採用された、数々の専用設計(フェンダーパネルやブレンボブレーキの採用含む)
これらを考慮してあの値段(当初6MTが428万円、最終セレで458万円)は、いろいろ考えてバーゲンプライスだと思っていた。ボディパネルの専用設計も考えると、これでは儲かってない=商売が下手=であろう。しかし考えてみれば最初に147を見たときにドアノブがアルミの成型品であることを知ったときに、さすがの私もイタリア車メーカのコスト意識の低さに苦笑したが・・・これは現代のアルファロメオであるMITOではプラスチックにめっきする、という至極正解な方法に改められている。
時代は急速にエコ・電気自動車へと向かいつつある。
私は時代の要求としてのこの流れを否定しないが、しかしスーパーカー世代のはしくれ、として小市民ながらイタリア車・ガソリン車・大排気量の大パワー車には乗ってみたいし、所有してもみたい。
この私の勝手な要求に応えられるのは、イタリア車の場合、エアコンが効くようになった90年代終わり以降のクルマでなければならず、しかしダウンサイジング化した最近のクルマでもない。
だからいろいろ考えて、の147GTAなのである。
ついでに新車当時29万円のオプションだったヌヴォラホワイト、それに福野礼一郎氏の「アルファに乗るなら布シートに限る」、また別の業界ではあるが、私もエンジニアのはしくれとしてメーカの設計に敬意を払った(工業製品のエンジニアリング、とは常にいろいろな条件を加味した最適化である)結果、その条件を満たすのが、私の現在の愛車、ということになるのだ。だからモディファイは機械としてのオリジナル設計に大きく影響しないエンジンパネルの塗装、ホイールの塗装、燃料キャップ部のカーボンパネル貼り付け、のみに留めている(もちろん自分の財布との相談、もある)
(注)本文は私の嗜好と見解を述べているものであり、必ずしも正しいとも限らず、また他のお考えや他のクルマが好きな皆様の何かを否定したりするものではありません。