クルマとは無関係な話題になります。最近は「歴女」などと称して、戦国時代などの歴史に興味を持つ女性も増えているとか、またテレビでもそれなりの頻度で歴史をテーマにした番組も放映されている昨今です。
過去にも少し書きましたが自分は昔から根っからの歴史好きです。いろんな本を読んだりして雑学的な知識を溜め込んでいるのですが、元よりその道の専門家ではないので、所詮は趣味であり個人的な思索の域を出ません。とはいうものの考察で得たものがあれば、それを文章にして残したくなるのも人情なわけです。そんなこんなで、みんカラのブログでは基本クルマをテーマにした話題を取り上げるとの自らに科したルールは時には脇に置いて、面白いと感じた話題があれば、取り上げてみたいなと考えている次第です(以前にも2-3取り上げてはいましたが)。勿論、何らかのかたちでクルマに関する思索を深める契機になるのであればそんな方向へ話を向けていくのはやぶさかではありません。
ちなみに「歴史」とは、特に○○の歴史などと断りがない場合は、「人間あるいは人間の集団を対象として何かしらの事物が時間的に変遷したありさま、あるいはそれに関する文書や記録」のことを指します。何故に自分が歴史好きかということを掘り下げて考えてみると、まず、人間の織り成すさまざまな物事の変遷はそれ自体が極めてドラマティックであり個々人の創造性に依存する凡百の小説、映画等が足元にも及ばないほど面白いということがあります。もうひとつは、歴史を知ることにより、これから先に起こるであろう物事によりよく応対できることに繋がる何がしかの教訓や知恵をそこから学び取ることができるということです。
ただし歴史は実験科学のように反復実施はできないものでありただ一回きりの事象であること、たとえ時間を巻き戻して同じところから再スタートさせても決して同じ歴史は再現できないことには注意が必要です。すなわち歴史は繰り返さ“ない”のです。しかし、「歴史」が人間の織り成す物事である限りにおいて、歴史上の物事がその時々における人間の思考とそれに基づく判断、行動の結果によってなされることもまた事実であって、我々が歴史から学ぶということは、当時の人間の思考、判断、そして行動を知って教訓とするということなのだと考えます。
もう一点歴史を考える際に留意しなければならないと個人的に考えていることは、現在の価値観や常識といった物差しを歴史的事実の解釈や評価には使わない、功罪や正否、善悪の判断を持って歴史の解釈を行わない、そして短期間あるいは単独の歴史的事実だけを切り出して解釈を行わない、可能な限りマクロな視点を維持する、ということです。
いずれも歴史というものが、長い期間にわたって複雑に影響しあいながら変遷を重ねていく人間社会の有様であるとするならば当然の配慮であろうと思うのですが、巷でなされている歴史解釈あるいは歴史認識に関わる諸問題については、どうも上記の諸点が遵守されていないのではないかとの印象を受けることも多くあります。政治や(国際)社会の現実にも密接に関わってくるためにさまざまな利害が対立して正当な評価や解釈が困難になっているのかもしれません(それなりの立場にある人たちは何がしかの白黒の判断が故意に求められるのかもしれません)。しかし、敢えてそういった領域に足を踏み入れるとするならば、より一層中立かつ正当な評価を行うことが重要ではないかなとも考える今日この頃です。
具体的な話題を取り上げてのブログにしたいと思っていたのですが、書き始めると長くなり、歴史に関する個人的な思いを書いた雑文となってしまいました。まあ、ある意味、今後のブログネタのひとつの方向性を説明する機会であったと勝手に納得して今回は終わりにしたいと思います。一応ここまで読んでいただいた方(が、もしいらっしゃるとするならば)長文、駄文失礼しました。また気が向いたらよろしくお付き合いください。
Posted at 2012/02/25 23:44:52 | |
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